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あなたは「ここはレーベの村だよ」と言う村人Aではない

RPGのゲームなどをやっていると
ふと突然に怖くなることがある

例えようの無い怖さ

悪寒が全身に走る。
断じて風邪では無い。

おかんがぜんしんにはしる。
オカンが全身に走る。
「大輔!あんた何またバカな事やっているの!」
「あんたまた最近太りすぎてお腹の山が更に高く…。」

とにかく馬鹿な事を書いて怖さをごまかす事しかできないが、
例えようの無い怖さの正体は、
私もRPGのゲームの登場キャラのようなプログラムされたキャラクターの1人では無いか、ということだ。

ああ書いてしまった恐ろしい。この世界の真実を書いている気がする。

RPGのキャラクターは主人公が村に到着して話しかけると
「ここはレーベの村だよ。」
とかのセリフを言っているが、あれはゲームをわかりやすくする為に、そういうセリフがあるだけだと思っている。

あのキャラクターにも生活があって毎日をちゃんと暮らしていて、主人公が話した時にマニュアルとかプログラムで
「ここはレーベの村だよ。」
って言っているだけの気がする。

主人公からすれば、
「いや、ちょっと待てよ。なんか他の情報もあるだろう」
という気分なんだけど、村人Aは
だってゲームのマニュアルにはそのセリフ以外に言うな
と固く禁じられているから、それ以外の情報は渡さないし話さない。

何回、冒険に出て話しかけた場合でも
魔王を討伐した後も
主人公の一行がヘンテコな装備をしていても
あの村人には感情があるはずなんだけどセリフはいつも

「ここはレーベの村だよ。」

しか言わない。怖い。めちゃくちゃ怖い。
たぶん自我が無いのが怖いというよりも
自我をコントロール、表現できていないのが怖い。
そう自我が無いんじゃなくて、出していないのが怖い。

桃太郎を読んだとする。
川の上流から大きな桃がドンブラコ、ドンブラコ。

おばあさんも「今日は甘い物、食べたい気分じゃないわ」
とか言って拾わないという行動が無い
例外なく拾う。
家来の犬、猿、雉も「今日は気分が乗らないから鬼退治行きたくない」
とか言わない。きびだんごってなんだよとか疑問に思わない。

何回RPGをプレイしても村人Aは
「ここはレーベの村だよ」とセリフを言うし
桃太郎のおばあさんは例外なく大きな桃を持ち帰る。

現実世界でもスーパーなどに買い物に出ると
ポイントカードをお金と一緒に出しているのに
「ポイントカードはお持ちでしょうか」とか聴かれたりする。
いや、ここのトレーのお札の上に置いてあるだろう。

たぶんマニュアルでそういうのが口癖になってしまっているのだろう。
もうセリフの一部として頭で現実を考えずに、お客さんがきたらそう言う
としてプログラムされている。

「ここはレーベの村だよ」と変わらない。

それか私に「ポイントカードはお餅でしょうか?」と聴きたかったのかどちらか
こんな時は何て返答するのが正解なのだろうか。
「いやポイントカードはお餅じゃなくてパンです。」とかだろうか。
そんな事を現実で言ったら「は?」とか言われてパン野郎とあだ名が付くに違いない。

巧妙なトラップである。

家族に「お父さんのせいであのスーパーに買いに行けなくなった」と大ブーイング必至である。

あぶないあぶない引っかかるところだった。

問題なのは、こんなプログラミングされているような事が現実に多く散見している事だ。頭を使わない、考えないで行動をするのは正直とっても楽だ。
誰かがそう言ったから。他の人もそうしているから。

でも立ち止まって自分の頭で本当にそれが正解なのかをよく疑って考えた方がいい。
毎日のついついしてしまう行動を「誤りだと気づいているならば」それは変えた方がいい。
魔王も鬼たちも自分がしている事が誤りだと気づいたならば
早々に謝って罪を償う行動をすれば争いなんて起こらない。
そんなRPGや桃太郎があっても良いと思う。

現実世界で、またかよ。
という何も考えていないような
残念な出来事に出会う度に私は
この世界がプログラムされたとしても
私だけは行動を変えて、RPGのキャラクターの1人として
ゲームをしている誰かをビックリさせたいのだ。

わたしの人生のゲームの主人公は私。
あなたの人生のゲームの主人公は貴方。
自分自身で選択権と行動する責任と意思を持って
この世界をビックリさせていこう。
あなたもわたしもロボットでは無いのならば。

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