【読む雑談】#13 継続することは武器やな(3/6)
雑談ラジオ # 13 独立元年から振り返ろう企画:牧貴士編をテキストでお届け。因みにほんのり関西弁。
▼前回はこちら
【読む雑談】# 13 「牧です、これから起業します」(2/6)
牧
僕がどんな事業をやったかというと、
2005年9月からワーッと動いてて、その頃に情報商材の今すごい有名な人と出会いました。
当時なんやかんかで何かすること決めんとあかんなと考えたとき、自分にはバスケをやってきたことと競馬が得意やったことしか強みがなかったんです。
バスケはコートを作ったりしたいっていうお金のかかることをしたがってて、お金の稼ぎ方集め方を全然わからなかったので、するなら競馬しかないな、と。
でも予想屋さんみたいに予想を売るのは嫌なので、予想に対する考え方やスタンスを発信していこうと思って。そのことに「じゃあ情報商材で売れば?」と言ってくれた人がいて。その人のところに弟子入りじゃないですけど結構ずーっと通い詰めて、一個情報商材作ったんです。
松本
おおお。それがいつです?
牧
発売したのが2006年の春くらいです。年明けくらいから働きながら作って、3月くらいに完成して、4月くらいに販売した。
松本
どうでした?
牧
売れたんですよ。29,800円で30部か40部くらい一気にがっと売れたんですよ。
すごいじゃないですか。でも、販売するときから思ってたんですけど、こんなただ考えまとめたような、普段自分が考えてるようなことに価値があると思ってなかったので、心苦しくなってきて、販売1週間でやめたんですよ。やっぱちょっと無理ですと。
今だったら全然気にせず売れるんですよ、そのマインドに追い付いたんで。価値はお客さんが決めることであって、値付けもこっちが好きに決めたらいいし、安売りするもんでもないし、それで勝ってたんやし。
当時はそこまで思えなかったので、一週間くらいでやめて。
とはいえ一応そこが僕の人生で初めて稼ぐっていう体験でした。
松本
でかいですね。急に100万くらいどんと売り上げたら、テンション上がりますね。
牧
ね。ちょっとしばらくはバイトも抑えられるし。
その販売もやめてその人たちともちょっと疎遠になって、どうしょっかなと思ったそっから半年くらい不毛な時間を過ごしました。そのとき一回死にたいなと思ったんですけど。
松本
ええぇ。
牧
情報商材販売やめて、なにしようかと考え始めて、でも全然見つからないんです。深夜もずーーっとパソコンみて、ちょっと終わったらテレビ見たりして、しょうもない時間を過ごしてて、俺は一体何をやってるんだろうと腐ってたんです。
そんな中、2006年末くらいに競馬の会員制サイトを作ることになりました。
大学のときからチャットが流行ってたんですよ。週末になると、チャット掲示板みたいなところで夜な夜なその週末のメインレースの本命とか予想をし合う競馬の掲示板があって、そこで仲良くなった人がいて、その人と一緒になんかやろっかとなったんですよ。競馬に対する予想の考え方とかストイックさが似てたので、何か一緒にできないかなと思って。話してるうちにいいよって言ってくれて。まずWordPressを使って会員制のサイトを作ろうとなった。
情報商材は単発でポンと売上が上がるのはいいけど、継続性がないから全然安定しない。だから継続課金みたいなものを作らないといけないなと思って。
競馬の考え方を教えるサイトを作って、プランを3パターン松竹梅と作って、真ん中のメニューで全部見られます、プラス予想が見られるのを一番上にして、その導入の部分だけを一番下にして、3,000円5,000円7,000円のプランを作って、やろうと。
やってみないとわからないから、2007年の年明けくらいからそういう予想の考え方とかをブログに書き始めました。
競馬のシーズンって6月から始まるんです。6月にデビューする馬たちがいて、翌年5月の日本ダービーを目指す、っていう一連の流れがあるんですけど。それで2007年の6月から1年間テスト運用みたいなことをしました。
松本
すごいですね、今にも通ずる。
牧
通じますかね。
テストやってみて、いけそうやと思って。その過程も全部発信してたんですよ。2005年からその人たちと競馬のネットラジオもやってて、それも当たってたのもあって。満を持して2008年6月くらいに競馬の有料サイトをアップしました。
そしたら3か月で月100万超えて、会員がいっぱい入りました。
ラジオファンとブログファンがいて。僕のブログ、当時毎日書いてたんですけど、多いのか少ないのかわかんないんですけど月10万PVくらい。
松本
めっちゃ多いと思いますよ。
牧
ネットラジオのほうが登録者数2万人くらいいました。毎週末予想配信したり、レースの振り返りをしたりしてて、競馬界の中ではそこそこ名が知れ渡るようになりました。当たる人たちの予想もあったし、その会員サイトにも来てくれる人たちが増えて、ようやくそれで食えるようになった。のが2008年の10月です。
松本
一気に成功の。
牧
結構色々端折りましたけど。
松本
大分端折った感じはありましたけど、それだけでもかなり濃いですね。
牧
なんかね、東京出てきてからセミナーに行きまくったときの繋がりよりは、その前から繋がってたネット掲示板の人たちと結局一緒にやることになった、っていうオチではあるんですけど。
2005年の年末くらいにネットラジオも始めてるんです。
競馬のことしたいと決めたタイミングやったんで、お金になるかわからんけど、ネットラジオ面白そうやしやろうぜって。
松本
それが後々で芽が出た感じですね。
牧
そうですねぇ。当時他で全然やってなかったのもあって。一番人気のあるネット競馬ラジオでしたし。あれを受けて未だにポットキャストをずーっと続けてる人もいるんで、先駆者やったと思います。
競馬のことをブログに書き続けるっていうことをしたのは多分僕らが最初なんです。
2002年か2003年くらいにブログが始まったんですよ。ココログでしたかね。真鍋かおりの。あのときにもう競馬のこと書き始めてた。
2010年くらいまでは毎日ブログ書いてたので、それを継続したのは強みではありますね、今振り返ると。
競馬の中では一定層のファンもいてくれたから、有料コンテンツ出した時に買ってくれた。
出してみるまでは気付いてなかったんです。その自分の続けていることの凄さと言うか。たまたま蓋開けてみたらそこがかみ合って。
継続することは武器やなと思いましたし、普段自分が何気なくやれてることに目を向けてそれを仕事にするのは楽というか、やりやすいなと、当時は感じました。
松本
専門家ですからね、毎日やってたら。
牧
ちょっとお金が儲かるようになったので、競馬の本を作ったり、フリーペーパー出して競馬場でばーっと配ったり。競馬場でピクニックとか、イベントを企画したり。
僕らネットの中での活動と、オフラインで競馬やってる人と属性が違うんで、そういう人達にもうちらの活動を知ってもらおうと思って。
コンセプトが家族で楽しめるレジャースポーツにするっていう想いでやってたので。家族で東京競馬場行くと気持ちがいい。芝生やし、子供が遊べる遊具とかもある。家族で一日遊べる場所として、お父さんは競馬して、お母さんと子供が芝生で遊んで、みたいなことがあればいいなぁと思って。
最近JRAも若い女性というか若い人たちに来てもらう支援をやってるんで、方向性としては間違ってなかったと思います。
(4/6へつづく)
役に立つかもしれない# 13話題のURLもご参考にどうぞ。
松本さん回との読み比べもおすすめです。
【読む雑談】# 12 独立元年から振り返ろう企画:松本博樹編(全6回)もくじ