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「この本を買うのは運命だった」と言わざるを得ない


約1ヶ月前、書店でたまたま目に留まった本。

なぜ目に留まったかは覚えていない。しかし、表紙の海苔巻きと、帯にあった「台所日記」という文言、コメントが知っている人だったというところに惹かれたのかもしれない。

と言いつつ、買うまでには至らなかった。しかしそれをずっと気にかけてもいた。題名も作者も覚えていないその本を、やっぱり買えばよかったかもと思い続けていた。


なぜなら、何気なく開いたページに「赤パンプキン黄パンプキン砂糖にパイ」と書かれていたからである。



かぼちゃ、パンプキンという文字を見るだけで、これは私が買うべきではという思いに駆られてしまう。エッセイならなおさら。

しかし、さすがにそれだけで買うのはいかがなものだろう。あの日はそう考え直し、同じくエッセイ本でも勉強チックな作品を選んだ。


しかしそちらは相性があまり合わず、なかなか捗らない。こうなると「パンプキン」への思慕は高まるばかりである。


***

そうして再び書店にやってきたとき、あの本を探した。表紙すらまともに覚えていない私の手がかりは、次の3つ。


  • 作者の頭文字は「伊」。「呂」もどこかにあった

  • たぶん題名に食べ物要素があるのだろう

  • 文春文庫じゃなかったっけ


先に答え合わせをしてしまうと、1つ目しか合っていない。そんな絶望的な状況だったが、作者名を二文字だけでも覚えていたのは大手柄(?)だった。


……あ、これかもしれない。



伊藤比呂美『またたび』、中公文庫、2023年(単行本は初版2000年)。


題名は食べ物じゃなかったし、表紙を見ても「ああこれだった」と記憶がよみがえることもなかった。しかしこれなら手に取るだろうなと納得する要素を兼ね備えているのは確かだった。


前回と同じように、テキトーに本を開いてみる。


半分より手前側、99ページ。


そこに書かれていたのは、その日初めて既視感を抱くあのカタカナ5文字だった。


それを見た瞬間、内容もろくに見ずレジへ直行したのは言うまでもない。


***


まだパンプキンの話には辿り着いていないが、現状楽しく読めている。

読点を細かく挟みつつ続けていったり、逆に一文が短かったり。丁寧語で綴られていることもあり、目の前でしゃべっているのを聞いているような感覚になる。


押しつけがましさもなく、「うちはこんな風にやってます」と、カリフォルニアでの生活を話してくれる感じ。へえ、と思ったり、わかる~と共感したり。


この調子なら、99ページはあっという間に辿り着くだろうな。



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