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こだわりストという生き物

「なんかさ、私こだわりとかないんだよね。自分がないっていうか、薄っぺらいっていうかさ。」

知り合いの弁である。知り合いと表記したのは、決して友人ではないからである。潤滑な社会関係を構築していくために当たり障りのないやりとりをするだけの存在。別に一緒にいる必要はないが、一緒にいるときに努力は必要になる、そういう存在。

彼女が言うにはこうだ。
最近、自分というへんてこな人間の性質にようやく気付き始めた。学生時代を過ごし、当たり障りのない大人になった今になってようやくわかることがある。私という人間は、あらゆることにこだわりがなく、自分がない。なので何か主義主張を求められても特になにもないので困ることが多い。しかしそれ以上に、こだわりがないおかげで他者との衝突を避けられることが多い。あらゆる人間や環境になじむことができるので、結果としてこだわりのない自分でうまくいっているし、そんな自分が好きだ。自分を偽ることなく、自然のままに生きている。そういう意味で自分はナチュラリストなんだ。
ということらしいのだ。

彼女の話を聞き(流し)ながら、コーヒーの中でただ溶けていく氷を見つめていた私は、過去の彼女とのやり取りを思い出していた。

一度、一緒にいるときに、彼女のスマホに着信があった。
「ピヨピヨピヨ…ピヨピヨピヨ…」
鳥のさえずりである。
え、いや、それ、こだわりじゃん。こだわりがないなら、初期設定1のプルルルルルでよくない?
例えば、自分の好きなアーティストの曲を設定する人が「着メロ(死語)にこだわりがある」といえるのかもしれない。でも、着信音を鳥の鳴き声にあえて設定する人に、こだわりがないとは思えない。人前で電話が鳴った時に「え、鳥のさえずりじゃん!」とか言われて「いや~なんでもいいんですけどね」とか答えてんのかな。ナチュラリストの皮をかぶったこだわりストじゃん。

他にも、彼女はシンプルな服装をよく着ているらしい。らしいというのは、私ファッションに興味がないことと、それ以上に彼女に興味がないのでよく知らないからだ。
でもさ、それは、シンプルしか選ばないというこだわりじゃん?確かに、比較的派手な柄とか、サイズ感をあえてずらすとか、突飛な組み合わせとか、そういう方向性のファッションを好む人が「ファッションにこだわりがある」といえるのかもしれない。しかしシンプルを選ぶならそれがシンプルでありたいというこだわりなのであって、別にナチュラリストではない。シンプリストのこだわりストである。

そういえば何人かでご飯を食べたことも有った。チーズフォンデュだったかそんな感じで野菜をたくさん食べられるよ~といううたい文句のお店だったのだが、彼女は「これオーガニック?」としきりに店員に確認していた。
そのときに頼んだピザのことも最初から最後までピッツァって言い続けてたし。

私は彼女のことをよく知らないうえに、知りたいという気持ちは微塵もないのだが、彼女がこだわりを持っているとか持っていないとかそういうことは関係なく、たぶん馬が合わないんだとおもう。

合わない人とは最低限の付き合いで良いし、何なら離れていってもいいじゃん、というのが、私の些細で大切なこだわり。

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