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かもしれない会議

リモート会議をする機会が増えてきたので、マイク付きイヤホンを買おうかどうか検討している。今使っているものは確かダイソーの500円商品。ネットで500円のイヤホン買うのは躊躇わずポチれるのに、ダイソーで買うとなると二の足を踏むのはなぜだろう。リトルリーグに大谷翔平が混じっているような威圧感がある。

実際のところ、リモート会議に支障がでているわけではない、と思っているが、相手方がどう聞こえているかはわからない。
もしかしたらボソボソガサガサと、ただでさえ耳障りの悪いダミ声が余計に不快指数を増しているかもしれない。こればかりは相手に聞いてみるしかないが、それを聞くためにリモート会議を開いたとしたら、また不快な音を奏でてしまう。不快の輪廻。ネバーエンド不快。

とりあえず大きな声でハキハキと話すことで「大丈夫だろう」と安寧を得ているが、そのハキハキも相手にすれば単なる騒音になっているかもしれない。それを直接確認するためにリモート会議を開きたいが、この後どうなるかは省略する。

いずれにしても、あらゆる場面で「かもしれない」と考えることは大切だと思っている。相手への過剰な配慮をせよというわけではなく、色々な可能性を思い描くことが、すなわち気遣いなんだと思う。

優しい人になりたいと思うなら、ちょっと意識してみるといい、かもしれない。

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