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『パーラー・ボーイ君、高波にさらわれる』

 38度超えの真夏日に、イーベン・リッヒ氏は庭の草をむしっていました。
 家の中からハラルド君が心配そうに見ています。
 なぜこんな日にイーベン・リッヒ氏は草むしりをしているのかというと、彼は気になったことをほっとけない性格だからです。
 オマケに一度決めたことを、なかなか変更できない融通の利かない性格だからです。

 今週の初め、仕事に行く前に庭の雑草が気になったイーベン・リッヒ氏は、
「次の休みに庭の手入れするから」と奥さんに宣言して家を出ました。
 しかし、当日はあいにくのカンカン照り。普通ならここで諦めるところですが、イーベン・リッヒ氏は違います。
「やめといた方がいいわよ」と心配する奥さんをよそに、炎天下の中、草むしりを始めました。

 むしりだしてすぐに、さすがのイーベン・リッヒ氏も内心(やっぱり、やめとけばよかった)と思いましたが、ここでやめるわけにはいきません。
 さっきから、視線を感じ振り向くと、窓からハラルド君がコッチを見ているからです。
 ここでやめれば、「お父さんカッコ悪い」と思われるだけでなく、ハラルド君がなんでもすぐに投げ出す意思の弱い子になってしまうとイーベン・リッヒ氏は考えます。
 今こそ、自分が見本になって、一度はじめた事は、どんな事でも最後までやり遂げるつよい精神と、数々の苦難を乗り越えてきた歴史を持つ、ゲルマン民族の不屈の魂を見せる時だと思っているのです。

「Vater(パパ)日射病になっちゃうよ!」
 ハラルド君が心配して家の中から声をかけると、イーベン・リッヒ氏はつよがって、
「大丈夫、ヘッチャラ、ヘッチャラ」
 と手を振って答え、
「ホラ、こうすれば日差しを避けられるだろ」
 とポケットからとりだした木綿のハンカチーフを、頭にマチコ巻きにしました。

草むしり

 
 クラクラめまいがしながらも、イーベン・リッヒ氏が一生懸命、庭の手入れをしているところへ、斜め向かいのパーラー家から、パーラー・ボーイ君とパーラー・パパが、“わきあいあい”としながら出てきました。
 2人は車に浮輪や水着を運んでいます。どうやらこれから海に行くようです。

 パーラー・パパはイーベン・リッヒ氏に気づいて、
「こんな暑い中、草むしりですか。頑張ってください」
 と、半笑いで言いました。
 そういうパーラー家の庭は、草がボーボーでオマケにパーラー・ボーイ君のオモチャが、そこらじゅうにコロがっています。
 イーベン・リッヒ氏が、
「おたくも庭の手入れ、ちゃんとしたほうがいいですよ。もしここがヨーロッパなら、街の美観を損なうと市から忠告されますよ」
 と言うと、パーラー・パパは、
「じゃあ、ついでにウチの庭も片付けといて下さい」
 と言い返し、パーラー・ボーイ君と一緒になって、「ケラケラ」と笑いました。

 これから海に行くのがよほど嬉しいのか、パーラー・パパとパーラー・ボーイ君は若干うざい感じでテンションがあがっています。
 イーベン・リッヒ氏は内心イラつきながらも、2人を見て、ハラルド君を海に連れて行くという名目があれば、堂々と草むしりをやめれると思いつき、
「ハラルド君も海行きたい?」
 と、たずねました。しかし、水に顔を浸けるのが怖いハラルド君は、「行きたくない」と首をヨコに振ります。
 パーラー・パパが、
「せっかくだから、一緒に行こうよ」
 と誘いましたが、ハラルド君は、
「だって、ボク泳げないもん」
 と渋ります。パーラー・パパはそれでも、
「パーラー・ボーイ君も泳げないから、一緒に練習したらいいよ」
 と誘い、本人に自覚は無いものの、イーベン・リッヒ氏に助け舟を出します。

 イーベン・リッヒ氏は(ハラルド、行きたいって言え。行きたいって言え)と念じます。しかし、ハラルド君は、
「……だって、だって、だって……」
 と煮え切らない態度です。
「みんなで一緒に海で遊べば楽しいよ~」
 根気よく誘ってくれるパーラー・パパに、イーベン・リッヒ氏は心の中で、
(パーラー・パパ、頑張れ。パーラー・パパ、頑張れ)とエールを送りました。

 もとから日光にやられてた上に、あまりにもムキになって、念じたり、エールを送ったりしたせいで頭に血がのぼってしまい、イーベン・リッヒ氏は倒れてしまいました。

☆                       

 イーベン・リッヒ氏が、意識を取り戻した時には、頭に冷えピタを貼られ、自宅のソファーに寝かされていました。
 意識を取り戻したことに気づいて、奥さんが言います、
「アナタ、バカね~。なにも倒れるまでやらなくて、いいじゃない」
「面目ない。こんなはずじゃ……」
 イーベン・リッヒ氏は、部屋の中を見渡して聞きました。
「ハラルド君は……?」
「ハラルドなら、パーラーさんと一緒に、海に連れて行ってもらったわよ」
 それを聞いて、イーベン・リッヒ氏は大慌てです。保護者として自分も一緒に行くのならいいけど、パーラー・パパに子供をあずけるのは不安です。まして行き先は海。いかにも危険な香りがします。
 イーベン・リッヒ氏は、急いで車に飛び乗り、海に向かいました。                  
 
          ☆

 海ではパーラー・ボーイ君たちが浅瀬で遊んでいます。
 最初は水を怖がっていたハラルド君も、ノリノリのパーラー親子につられて、いつの間にか平気でチャプチャプしています。
 そのうちに、子供たちが、ボートに乗りたいとせがみだしたのでパーラー・パパは、少しだけ子供たちのそばを離れ、海の家に手漕ぎボートを借りにいきました。

 その、ほんのわずかな間に、浜に西海岸特有のビッグウエーブが打ちよせてきて、パーラー・ボーイ君とハラルド君は波にのまれてしまいました。
 大きな波が来たことに気づいて、パーラー・パパが振り向くと、パーラー・ボーイ君とハラルド君は沖に流されていました。
 パーラー・ボーイ君が浮輪を着けていたおかげで、おぼれずになんとか浮いていますが、ハラルド君は泣きながら、必死でパーラー・ボーイ君の浮輪にしがみついています。
「大変だ!」
 パーラー・パパは慌ててボートに乗り込み、沖に向かって漕ぎだしましたが、生まれてから今までに、2回ぐらいしかボートを漕いだ事のないパーラー・パパは、慌てていた事もあり、上手く漕ぐことが出来ずに、その場をクルクル回ってしまい、ちょっとした、うずしおを発生させることぐらいしか出来ません。

 そこへ、タイミングよく到着したのがイーベン・リッヒ氏です。
 イーベン・リッヒ氏は異変に気づいて車から飛び降りると、着ている服を脱ぎ捨てながら海に向かって駆け出しました。
 どちらかといえば、運動の苦手なイーベン・リッヒ氏は、水泳も得意ではなく、日頃は平泳ぎ一辺倒ですが、この時ばかりは猛烈なクロールで、一直線に沖を目指します。

 しかし、同じく子供たちを助けるべく一生懸命にボートを漕ぐパーラー・パパの近くを通ったときに、パーラー・パパの作る、うずしおに巻き込まれてしまい、沖に向かって進むどころか、どんどん、どんどん、うずの中心にのみ込まれていってしまいます。
 あげくの果てには、パーラー・パパの振り回すオールに頭を強打されて、本日2度目の気絶をしてしまいました。

          ☆

 パーラー・ボーイ君とハラルド君は、すぐに、近くを泳いでいたアラン・ドロン似のハンサムガイに助けられたので事なきを得ましたが、イーベン・リッヒ氏は出血していたせいもあり、「ドイツ人が溺れているぞー!!」と大騒ぎになり、浜辺中の人たちが見守る中、ライフセーバーに助けられました。

 頭から血を流しながら全裸で気絶するイーベン・リッヒ氏の姿が、あまりにも尋常じゃないため、パーラー・パパもハラルド君も恥かしくて、「知り合いです」と名乗り出ることが出来ず、イーベン・リッヒ氏は救急車が来るまでの間ビーチにさらされた後、ひとりぼっちで救急車に積まれて病院に運ばれていきました。

 パーラー・ボーイ君たち3人は、遠ざかって行くサイレンの音を聞きながら、かなしいような、さみしいような、なんだか夏の終わりに感じるのに似た、せつない気持ちになりました。

海

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