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私が私に給餌している

閃輝暗点っぽい症状(死ぬほどしんどい頭痛)に襲われた翌日、
「生きてるって素晴らしい」と思いながらポストを開けたら、健康診断の結果が入っていた。

そこには惨劇が広がっており、
試験なら、留年。オーディションなら、出禁。
さすがに年貢の納めどきか、となった。

あれからちょうど1カ月。
食事に注意を払い、途中から朝のジョギングも取り入れて生活したところ、
銭湯の脱衣所で体重を測ったら、2kg減っていた(家に体重計ありません)。

終末レベルの健康状態だったことを考えると、
大成功!とは言えないものの、まずまずの進捗である。


今のところ、モチベーションに変化はない。

食事に関しては、本当に「時代に感謝」としか言いようがないが、
ちょっとリサーチすれば、無限では?と思えるほどレシピが出てくる。
何かに飽きたらまた新たな味付けを探せばいいだけのことだし、お気に入りの味を見つけたら、それをずっと食べ続けたらいい。

料理家や管理栄養士、フィジーカーにファッションモデルなど、彼らが試行錯誤して作り上げたレシピはどれもおいしいし、今のところ続けられそう。
ただ、何も考えずにチャーハンを作ってがっつり食っていた時に比べると、食費はそれなりにかかるな、と思う。

(個人的ヒットはこの無水キーマ)

そしてジョギング。
そもそも、疲れ果てるほど追い込むことはない(できない)ので、
デスクワークで凝り固まった頭をスッキリさせてくれる効果も期待できるし、もうしばらくはやってもいいな、という気持ちはある。

「気持ちはある」と書いたのは、早くも膝を痛めたからで、どうも強い衝撃が加わったことによる「ジャンパー膝」というものらしい。

本来、ジャンプ必須の競技であるバレーやバスケ選手がなりやすいとのことだが、運動不足だったり、体重が多かったり、固いアスファルトで走り続けていたりしても、なる時はあるのだそう。

つまり「バレーとかバスケ選手」という条件以外、おおむね当てはまっていたわけである。アキネーターだったら秒で特定してくる。

なんか、こういう「不健康ゆえに、不健康の改善に取り組めない状況」を乗り越えられる気合いのある人が、フィジーカーとかを目指し始めるんだろうな。
ともあれ、ストレッチやウォーキングと組み合わせつつ、どうにか継続の道を探っていくしかない。


…と、ここまで書いて思うのは、
「健康管理って、自分をペットと見做してるみたい」ということ。

減量や健康増進を目指すとなると、食べるものの種類や、その「食べ方」、生活リズムもコントロールすることとなる。

決まった時間に、決まった量を、決まった品目で食べ続けていると、
「食事」ではなく「餌」という感覚になってくる。

先に書いた通り、今の食事に不満があるわけではない。
ただ、「私が私に餌を与えている」と感じる時があるのだ。

人生のほとんどの食事を「娯楽」と捉え、脳に快楽をもたらすイベントとして食べていた私は、フィジーカーやモデルなどきちんと自律できている人とは、対極の思考をしているのだろう。

健康管理によって心身が整っていくのは気持ちのいいことだが、
もし私が人生を捨ててでも食べ続けたい、これを食べられれば他のことなんかどうだっていい、という料理に出会ったとしたら、
正直、健康は捨てていいな、とは思っている。

ここ数年は「何が食べたいかわからない」という時期が断続的に訪れるので、当分その心配はなさそうだけど。

※サムネイルは、あまりにもフィジーカーっぽい食事を作ってしまい、アイデンティティの崩壊を感じながら撮影したものです(実際の栄養バランスについてはよくわかりません)

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