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家族葬をミニマムでやりきるのムズい

今日5/1で、父が死んで1年が経った(はず)。

(はず)という煮え切らない補足をしているのは、
死んだ日が正確にはわからないからだ。

「亡くなった」と連絡が来たのは5/5だし、
医師の診断、つまり書類の上では5/2だし、
しかしスマホの使用履歴を見ると5/1っぽいし。

結局、もっとも確からしい日は5/1では?
と家族で話し、5/1ということにしたので、今日が命日(のはず)です。


父が死んだことがわかった後、
「式、どうする?」となった。

人望があったら、知り合いを呼んで盛大に送りましょうとなるだろうが、
世の中、そうして大勢に見送ってもらえる人ばかりではない。
私の父も、残念ながらそちら側だったと思う。

私たちはさまざまな理由を鑑みて、
斎場を経由せずに火葬場へ移す「直葬」を選択した。
静かに、密やかに、数少ない知人には事後報告、という感じで。

しかし私はまもなく、
地方の葬儀で「密やかに」とか土台無理だと知ることになる。


直葬のスピード感というのは尋常じゃなく、
事の発覚が5/5の午前で、
火葬は5/6の昼に行うことになった。

火葬場に到着すると、
斎場のスタッフ(火葬場でのもろもろは委託する必要があった)が、
棺をガラガラと押しているのが見えた。

挨拶をしようと近寄ると、
そのスタッフは「ざんぞうくん?」と声をかけてきた。

え? と思って顔と胸元の名札を見ると、中学の同級生だった。
仲が良くも悪くもない、いわゆる「顔見知り」程度の関係値。

卒業以来、10数年ぶりの再会である。
火葬場で。しかも、父が眠る棺の横で。

いったん置いとこ、と火葬炉の前へ移動し、
父と対面して、縮んだな、と思いながら泣き、
「もう1回、棺あけてもらっていいすか」と言って追加で泣き、
炉に入っていくのを見届けて、合掌。
その一連のイベント中の視界の端には、中学の同級生。

密やかに送るの、ムズい。
と思った。


スタッフ(同級生)に、
今後の遺族の動きなどについて説明してもらった後、
まあ…お互いの身の上でも話しとく? という空気になった。

奇しくも相手の斎場スタッフという職業を明かされ、
名刺までもらっているので、やむを得ないことである。

私が「Web記事の編集とライターをしてるよ」と言うと、
同級生は「?」という顔をした。

さらには、
母がすかさず「ねえ! 何やってるか本当にわかんないよね! 私もサッパリで〜アッハッハ」と乗っかってきて、
この仕事に就いてだいぶ長いのに、未だそうなのか、と愕然とした。

たしかに、「編集・ライター」という職業は、
何をやってるかがパッとわかりにくいというか、
言ってしまえば、“胡散臭い”のだ。

Web記事ひとつ作るのに、
執筆担当(ライター)とそれを取りまとめる人(編集、ディレクター etc)が分かれている意味など、
当事者でないとわからない。

また、「編集者」と名乗っているのに、
ロケ地の許可取りみたいな細かい事務仕事に追われていたりする。

変なところで棲み分けて、普通なら分担するようなところはしていない。

今回のような出来事があるたび、
言葉を扱う職業であるにもかかわらず、自らの仕事を端的に説明できない、と私は内省することになる。

それは、この仕事に就いている間の宿命みたいなものだと思っていたが、
まさか父を荼毘に付してる最中までやることになるとは。


思わぬタイミングでやってきた、悶々とした感情と戦っていたら、
火葬が終わったとのアナウンス。

縮んだように見えた父だったが、
大腿骨はこれまでに見たどんな骨よりも太くしっかりとしていて、
かつての大柄な姿と重なった。

それから父の骨は、実家にある。
簡単に用意した祭壇に、母は毎日、線香をあげ続けている。

今朝、私も線香をあげながら、
1年前の、もうまもなく死ぬ(はず)父に思いを馳せ、
穏やかに過ごせていますように、と祈った。

(サムネイルは実家近くでもうじき出回る、甘すぎてうますぎるとうもろこし。早く炊き込みご飯にして食べたい)

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