〈キューバ紀行2〉お金持ちになっても、しかたがない国
「貨幣経済」って、なんだろう。
適当なことを言うが21世紀中に(早ければ15年くらいで)、世の中からほとんどお金(の必要性)が無くなると私は思う。正確には、無くなるというより「ほんま要るか? これ」という感じになる。お金の利便性を、もう人間は超えられる。
「世界の金持ちトップ8人と、貧困層36億人の財産が同額」というニュースが世間を騒がせたが、これは誰にとっても意味が無い情報だ。本来の富(豊かさ)は誰かと較べられるものではない。
人は、必ず死ぬ。これは身も蓋もない事実だ。金も家も車も、自分自身の肉体、頭脳はおろか、精神すら、死んだら持っては行けない。どうやら、みんながそれに「本気で」気づきはじめている。そう遠くない未来・・・・・・、テクノロジーと倫理観の発達によって、お金が無くても世界の1/3くらいの人には、文化的な生活に必要な物やサービスが過不足なく行き渡る。残る2/3の人たちにも、時間をかけて行き渡るような方向性に時代は流れるだろう。なんせ本当は、カネは余っている。
現在、世界の人口が約80億人。トップの金持ち8人と下位36億人の財産が同じならば、大雑把に考えても、みんなが暮らせるだけのカネは絶対にある。
誰でも一度は考える。
「金持ちは何故、ケチなんだろう。ああ、自分が金持ちだったら、全財産を使って、貧困にあえいでいる人のためにお金を分配するのに」
なぜ一人くらい、そういう金持ちがいないのか不思議に思う。あなたが社長だったら、社員に自分と同じだけの収入を分配するだろうか。
ある経済学者によると。血管を締めたり緩めたりして血行を促進させるのと同じで、カネの流れを活性化させるためには貧乏人の存在が必要だそうだ。経済を循環させるために、金持ちはみんなと平均的になるほど金を分け与えたりはしない。貧乏人自体が、金持ちをよりリッチにする装置なのだ。
仮に世界一の金持ちが全財産を分配しても、それを世界全体に行き渡らせることができるほど、人間は正しくもないし社会は成熟してもいない。カネは余っていても、別のところで、総体としての我々は、どうしようもなく貧しい。
もしカネが行き渡っても、それに見合うだけの物資は無いだろう。カネが増えすぎていることに気付かせないため、秩序維持のためにも、貧乏人の存在は必要だ。
AIやブロックチェーン、IOTの発達がめざましい。市役所や郵便局の緩慢な事務作業に苛立ち、「すべてAIに任せて公務員の人数を減らせ」と言う人がいる。
私は裁判や教育、政治すらAIに任せてしまえばいいと考えている。まあ私ごときの考えとは関係なく、近い未来、AIの経営者や国家元首が誕生する。国民がAIだけの国家も出現する。各国、各社の長がAIになって繋がれば、物もカネもバランス良く配分できる。戦争をする必要も無い。
立身出世や保身に忙しい人間より、はるかに良い政治をしてくれることは想像に難くない。つまり「神を代行するシステム」はすでに生み出されてしまっている。
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