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ノスタルジーと東京いぬ散歩の話

「小学生の時は、いつも(乗換の)渋谷駅で、棒を振り回してハチ公を追いかけ回していたねぇ。ハチ公はその都度、駅長室に逃げ隠れていたよ。

飼い主をずっと待っていた? 違う違う、あれはどう見ても"焼き鳥"だよ。当時は渋谷駅の横に焼き鳥屋があってね、ハチ公は目を輝かしてゴックン唾を飲み込んでさ、いつも売れ残りの焼き鳥を狙っていたのさ」。


そんなエピソードを話してくれたのは、犬散歩でいつも会うお婆さんだった。お婆さんは現在96歳。ハチ公のことをよく覚えている。

焼き鳥ばかり狙っている汚い野良犬だった、という印象しかないそうで、その"汚い野良犬"が主役の映画がハリウッドでも製作されたと聞いた時は、どえらくたまげたそうだ。


都内犬散歩をしていると、非常に多くの人々に声をかけられる。人口が多いせいもあるが、私の連れている二匹のうちの一匹がとにかく歩くのが遅い。

かたつむりに何度も追い抜かされるぐらい(←実話!)のろい。(以下、かたつむり君の名前で!)

しかもかたつむり君(犬)は一箇所をクンクンする停滞時間も長いので、とても人に声をかけられやすいのだ。


ちなみになんでそんなに歩くのが遅いのかといえば、前の記事でさらりと書いたが、

JKCチャンピオン犬→パピーミルに売り飛ばされ、チャンピオン犬=金になる仔犬を生む製造マシーン。だからかたつむり君も繁殖酷使→10歳過ぎまで狭い檻に入れられたまま

→繁殖能力も限界の10歳半で殺処分決定(炎天下にコンクリートの外に数日放置され死なされる)

→ぎりぎりで保護→長年叫び続けていたので声は枯れている、栄養失調、全身真っ赤で臭いし脱毛もごっそり。

かつ顎も半分溶けて(歯周病放置と栄養不足。ちなみに多くの雌犬は大抵度重なるお産酷使で仔犬に栄養分を取られ、顎も溶けています。)、

また腸が飛びだしている&繁殖酷使によるヘルニア、会陰ヘルニアも発症中(←去勢は大事です)

→だからサクサク歩けない。


でもやっぱりかつてのショードッグ時代の記憶があるのだろう。

実際、のろのろ歩きでも、ギャラリーが多いとそれを意識して顔を上げ、しっぽも大きく上げて振り回して、四つ足で優雅に歩いた。

栄養失調で顎も溶けて毛も抜けて全身真っ赤なくせに、キャットウォークをしカメラを向けるとポージングを決めるのだ。


保護したては特に哀れな見た目だったのだが、初めからショードッグの歩き方をした。私も彼がチャンピオン犬とは知らなかったので、ものすごく不思議だったものだ。

とにかく見た目がボロボロなのに、ずいぶん偉そうに歩く。だから非常にちぐはぐで目立った。実際、非常に多くの人が不思議そうに見つめてきた。


声をかけてかたつむり君のことを聞いてきた半分は、皮肉にもJKCの元審査員や、ブリーダーの人々だった。

ある意味さすがプロ、「おや?なんでこんないい犬がいるんだ」とすぐに気がつく。

「ちょっと触らせてもらってもいいですか」

と言われ、彼らにかたつむり君を渡すと、その触り方がまさにもう値踏みそのもの。

普通の人なら「まあかわいい」と撫で撫でするだけだが、さすが"業者"はそうじゃない。

骨董屋で持ち込まれたツボを見る店主のように、かたつむり君の骨格や体格、四つ足の長さや毛ぶきをフムフム言いながらチェックしていくのだ。


そして必ず言われたのが

「この犬は元々ものすごくいい犬だ。こんな特Aのいい犬がなぜ、一般家庭に"落ち"てきたのですか」。

本当にいい犬は売り出さず、彼らが全部抱え込んでショーに出したり繁殖に使うので、そのレベルの犬がなぜ普通に散歩をしているのかびっくりなのだという。

そこで私が経緯を話すと、全員あっさり

「ああなるほど」と頷く。

「でもなんでまた使い古した年寄りの犬なんか引き取ったのですか。不思議ですねぇ」。

(ちなみに彼らはみんな見た目も普通で話し方も穏やかで、犬の知識は豊富で、そして全員が犬への愛情を長々しく笑顔で語ったことも追記しておきます。)



かたつむり君は(以前の)首相、(以前の)副首相、芸能人たち、芸能事務所の社長などにもとにかく声をかけられた。

私もいろいろな犬の散歩をしてきたが(保護犬預かりもしてきたので)、ここまでこういった顔ぶれにも声をかけられた犬は他にはいなかった。

人間でも歌手やモデルのオーディションで、一見容姿などに大差がなくても、やっぱり一際目立つ子というのはいるものだ。かたつむり君も間違いなくそれだった。


もっとも、かたつむり君に何かハッとして声をかけてくる大半は、やはり散歩中のお年寄りだった。

どのお年寄りもかたつむり君を見ると、何か考えこみおそるおそる声をかけてくる。かたつむり君の何かから哀愁感を感じとるのだろう。

で、聞かれれば私はかたつむり君の過去を簡単に話した。するとどのお年寄りもかたつむり君の話が引き金になって、必ずご自分たちの様々な話もし始めた。

それは身内のいざこざの話だったり、遠い昔の幼少時代の思い出話だったり、会社勤めのエピソードだったり。

何故なのかは分からないが、哀愁を帯びた犬の瞳を覗くと、胸の内をさらけ出したくなるのかもしれない。


もっとも、こうしてSNSに書こうと思って話を伺っていたわけではないので、どのお話もちゃんとは記憶していないが、いくつかとても印象に残ったものもあった。

その一つは、長野の蚕工房が実家だったというお婆さんだ。


長野のどこだったか忘れてしまったが、とても田舎だったそうで一階が住まいで2階が蚕繭糸工房だったという。

なので2階にはいつも猫を数匹置いており、絶対にネズミに蚕を殺られないよう、猫たちに見張りをさせていたそうだ。

蚕繭糸から着物を作るわけなのだが、それらは京都の呉服店に出していた。


しかし時代の流れで、手織り蚕繭糸工房は閉鎖。家業を手伝っていたお婆さんは上京し、銀座の料亭で下働きをする。

そしてある男性と出会い結婚。(←詳細、忘れました)

夫は木○サーカスの団長の婿養子になり(すでに婿養子だったかもしれません。忘れました)、毎晩、後楽園でも木○サーカスのショーを催した。

それはたいていボクシングの試合の前座で、一番人気があったショーは小人プロレスだった。

観客は大人も子供も大喜び。ものすごく人気だった。また小人(お婆さんがそう言っていたので、あえて小人と書きます)の皆さんも胸を張って真剣にショーに出ていた。

ところがそのうち、法律でこれが禁止になり"差別"と言われ出す。小人プロレスのショーを出来なくなった後、彼らは障害者手帳を発行され、国から特別障害給付金を貰うようになった。

しかし今まではちゃんと自分たちで働いて稼いでいた。それなのに...彼らは大きくショックを受け逆に自尊心を傷つけられ、しょんぼりとしてしまったという。

「本当に小人のみんなは楽しくプロレスの試合をしていた。観客から投げられるおひねりも喜んで貰っていた。汗をかいた後に日当を受け取る時は満面の笑顔だった。

それがなぜか差別だ、可哀相だと決めつけられてしまった」。


夫も亡くなった後、お婆さんは都の公団にひとり暮らしし始めた。普段、特に何もしていないが、月に一回のペースで歌舞伎座に行くのは唯一の楽しみだという。(←五年前の話です)

お婆さんはうちわをゆっくり扇ぎながら続けた。

「今の唯一の趣味は歌舞伎を観に行くことぐらいなんだけど、銀座の方もずいぶん変わっちゃったねぇ。昔は洋装でも和装でもパリッとした装いの人しか歩かない街だったんだけどねぇ。

でもね、先週も歌舞伎座に行ったら、本物の着物を着た女性を見たんだよ。蚕の糸で手で織った本物の着物だよ。もうびっくりして全身震えてさあ、思わずその女性を追いかけて声をかけたんだ。

すると、ぱっと男の人たちに取り押さえられかかってね、その女性は○○組の姐御だったんだ。しかも日本人じゃなかったんだよ。」

お婆さんはワハハ笑った。

「着物を褒めたら、えらく喜んでくれてさ、どこで入手したのかと聞くとアメリカだってさ。多分戦後にアメリカに流れた本物の着物を、向こうの人が大事に保管してくれていたんだろうねぇ。

本物の着物を見て、子供時代を思い出して何だか胸が熱くなっちゃったよ」。


それ以降、この公団の前を通ってもお婆さんには全く会わなくなった。単に夕涼みの時間帯を変えただけだと思いたい...



また別の時だった。

「あら、懐かしいワンちゃん!」

かたつむり君を連れてベンチで休んでいると、やはり見知らぬお婆さんが声をかけてきた。

「旅順にいた時、中国人の使用人が飼っていた犬にそっくり!ああ懐かしい!」


そのお婆さんは、旅順生まれ育ちだった。父親が○○製鉄所を満州で経営しており、向こうの大きな屋敷で生まれ育ったという。

「兄たちは毎年日本に行かせてもらっていたのに、娘の私だけは行かせてもらえず、それがすごい不満でねぇ」。

お婆さん曰く、中国人もモンゴル人も韓国人とも仲良く遊んでいた。だけどロシアの子供達だけは意地悪だったという。苦笑(←最近ではなく、数年前のやり取りです)

また、大人たちを見ていても国籍民族で何か揉め合うなど全くなかったはずだ、と。(←子供だったお婆さんの目線話)

ところが日本が戦争で負け、旅順を去ることになった。

まだ幼かったお婆さんは、どこかワクワクしていた。日本にずっと行ってみたかったからだ。

「ところがねぇ、日本の鉄道があまりにも淋しくてがっかりしちゃって...満州の鉄道はどれも豪華だったんだけど、日本の鉄道はあまりにも貧乏たらしく侘しい...本当に本当にがっかりした..。

中国語もロシア語もまだ覚えているよ。中国といおうか旅順に帰りたいねえ。日本の方が緑があるのは美しいけれど、雄大な土地の向こうに帰りたい」。


ちなみに満州生まれ育ちという老人はものすごく多いようで、犬散歩中に他にも複数のそういう老人に声をかけられた。

「実は私の生まれは満州でね」

と言われるたびに「またか!」と思った。


別のあるお婆さんは、新京生まれ育ちで、父親は満鉄のエンジニアだったという。親は華族でもなんでもなかったが、特に母親が新京ではまるで華族夫人のように振る舞い、

「ただの普通のおばさんだったくせに、毎晩毎晩パーティーに明け暮れて呑気だったものよ。

子供同士はみんな仲良くて、中国人の仲良しもいっぱいいたわよ。でもロシアの子供達は意地悪で、よく喧嘩したわ。

日本に引き揚げてから、母親がすっかりしょぼんとしちゃって。だって天国から地獄に突き落とされたようなものだもの。

向こうでさんざん贅沢三昧の生活をしていたのに、日本ではもうどん底でしょ。ずっと亡くなるまで新京のきらびやかな生活のことばかり、語っていたわね」。


ちなみにこのお婆さんのお父さんは日本に引き揚げ後、満鉄の技術を用いたある鉄道技術の会社を立ち上げ、日本の○○電鉄会社にそれが丸ごと使用され、日本でも財を成した。

そしてこのお婆さんは今から十年ほど前に、旧新京に訪れた。すると驚いたことに、自分たちが住んでいた家がまだ残っていた上、現地の中国人たちがちゃんとそこに住んでいたのだという。

近所の家もわりと残っていて、やはりそれらにも人が住んでいたという。いかに頑強でいい家を建築していたのかというのが伺え知れる。


あと、かたつむり君の犬散歩では、「上京してきてホームシックだ」という地方出身学生や、外国人留学生にもずいぶん声をかけられた。

かたつむり君はそういう若者たちにもすりすりした。長年人間に虐待を受けていたのに、男気がある。

エジプト人からは「お前は何歳か。結婚しているか独身か」を聞かれ(私が80になっても同じ質問され続けるんかいな)た時は、かたつむり君は珍しくワンワン吠えた。爆笑

またかたつむり君はノロノロと、心の病があって喋れない坊やにも近づいて、その坊やが言葉を発し、お母さんがびっくり仰天して泣いたとか、

カラスと仲良くなって、それを見た動物学者に頼まれ、ちょっと研究実験に協力したり、色々奇跡を起こし話題を呼ぶ犬でもあった。10歳半で引き取ったのだけど。


実はそのかたつむり君はコロナの真っ最中に死んでいる。引き取った時は10歳半。既に状態が悪すぎたので、獣医に「まああと2,3ヶ月でしょう」と言われていたが、16歳8ヶ月生きた。

でも最期は壮絶な脳腫瘍との戦いで、このことは省くがとにかく、動物も人の話していることが分かるという。

多分、かたつむり君も私と一緒にお年寄りたちの波瀾万丈の身の上話やいろいろな人間の悩みや愚痴または自慢話を聞いて、愉しかったと思う。

このかたつむり君がいなくなって、自分の身の上話や思い出話を私にしてくるお年寄りもいろいろな人々もバタッといなくなった。

煩わしなくていいといえばいいが、やはり何だか寂しいものだ。


昨夜、夢に出てきたかたつむり君の月命日にて


おしまい

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※ノスタルジーといえば、家系図を元に過去を遡る記事などを投稿されているもののふ椿さん。

その調べ方がこれまた玄人😆で感心させられる上、調べているうちに思わぬことを発見したり、時にはミステリアスな事態にも遭遇。面白いです、お勧めです😆✨🙌




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