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雪と砂漠、チェコ語とロシア語、青と赤(下)〜LOLOのチェコ編⑥

  チェコで初めてバドワイザービールを飲んだ時です。

「おや?味が全然違いますね。このバドワイザービールはなんだか別物ですね」

 アメリカのバドワイザーは軽くて口当たりがよくぐいぐい飲めるのですが、チェコで飲んだ初めてのバドワイザーはコクがあって深みや重厚感があり、まるで違うビールでした。

 すると、パブで一緒にいた会社のチェコ人たちが一斉にキッと恐い表情になりました。余談ですが、会社帰りに同僚達とパブに寄るなど、イスラム教国家のエジプトでは皆無だったことです。

「Loloさん、あなたの言うバドワイザービールはアメリカ産のバドビールのことだと思いますが、あれはオシッコの味しかしない、まがい物でFAKEです」
「ハッ?」
「あなたはチェコに住むなら、バドワイザー戦争を勉強せねばなりません」

 そうして彼らは百年以上続く「バドワイザー戦争」の歴史を熱く語りだしました。

「オリジナル」チェコラガーと主張しています

「チェコが本家バドワイザーです」

 1998年、プラハの街中を歩いていると、やたらと目についたのが「REAL BUD」というバドビールの広告看板でした。「REAL」とは、「本家大元」を意味しております。

 最初、なんのことか全然分かりませんでした。
 でも「バドワイザー百年戦争」を知ると
「なるほど。チェコのバドワイザー(バド)が本物だ、と主張しているのか」

  ざっくり概要を聞くと、ドイツの街「バドヴァイス」(*ドイツ語はWをVの発音なので)は現在のチェコ共和国の街ですが、 そのバドヴァイスの街でバドワイザー・ブドヴァルというビール会社が創設されました。創設者は「二人」いました。

 そのうち共同創設者の一人がアメリカに移住し、1876年にアメリカでビール会社アンハイザー・ブッシュを設立しました。(以下、会社名はブッシュ)

 アメリカのブッシュ社は、チェコのバドワイザー・ブドヴァル社から名前を「借用」し、自分たちのビールに「バドワイザー」の名前をつけました。

 つまりチェコのブドヴァル社よりも先に、バドワイザーの名前でビールを売り出したわけですが、それと同時にやり手の広告会社と契約を結び、広範囲にわたってマーケティング展開を、そして卓越した国際的な商品発表を長期的攻略で行いました。さすがアメリカです。

 ブッシュ社はたちまち世界最大のビール醸造会社になり、150 か国以上で事業を展開し、同社が醸造するバドワイザービールは、世界中で年間推定 5 億ヘクトリットルを販売するまでにもなりました。

 一方、チェコのブドヴァル醸造所が醸造するバドワイザー・ブドヴァルビールは、世界中で年間推定 120 万のみの販売規模でした。

 つまり、アメリカのバドワイザーがチェコのバドワイザー・ブドヴァルよりも 4166 倍多くのビールを販売していることを意味し、あまりにも規模が違い過ぎます。

 ここまで大差をつけられる前に、チェコ側はとうにアメリカの「バドワイザー」のビール名の商標登録について異議を唱え、訴えていました。

 だけども、ナチス・ドイツにブドヴァル社が吸収されたり、第二次大戦後はチェコスロヴァキアの国が今度は「鉄のカーテン」に組み込まれ、西側とは遮断されたりと、歴史的にもなかなか状況が難しく、この訴訟問題は解決に向かい、すんなり進みませんでした。

 共産主義崩壊後、ブドヴァル社はチェコ政府の管理下で存続し、そして共和国として生まれ変わったチェコは、改めてアメリカのブッシュ社と対決することを心に誓い、1998年の時点では一旦、チェコ側に有利な判決が出て、チェコは喜びで浮かれていました。


 「Budweiser商標登録裁判」の話をチェコ人の同僚らに聞かされ、早速すぐに私はチェコ語学校のクラスの皆さんに話しました。非常に有名な事件で、なんと全員すでに知っていました。

 なんていいましょうか、エジプトにいた私だけ、知らない世界ニュースの多いことよ。特に酒絡みの報道なんて、入ってくるわけなかったですから。

「ヨーロッパではね、アメリカのブッシュ社は版権侵害を避けるために、バドワイザービールのラベルの名前を「バド」にして販売しているんだ。

 つまり、アメリカ国内やアジア・南米ではバドワイザービールをその名前で販売しているけれども、ヨーロッパではバドの名前に変えて販売せざるをえないと。チェコが噛みついているからね。

 でも逆にアメリカでは、チェコから輸入したバドワイザー・ブドヴァル社のビールはバドワイザーでもバドでもなく、「チェコヴァル」という名前で販売されているんだよ」

 ドイツ人氏がそう話すと、イギリス人氏はこう述べました。
「しかしイギリスでは、アメリカ会社ビールも、チェコ会社のもどっちも”バドワイザー”の名前で販売しているよ。イギリスの法律はもっと柔軟で理解があるからね」

「それは単にイギリスがいつもヨーロッパ大陸とは反対のことをしたがるからだ。それだけだ」
 ドイツ人氏は鼻で笑いましたが、するとデンマーク人が
「あれ?ヨーロッパではチェコのバドワイザーがバドの名前で、(アメリカの)バドワイザーの名前のビールはそのままバドワイザーだよね?」

 ややこしい。ややこしい、ややこしいです。「大阪王将」の名前のように「アメリカバドワイザー」「チェコバドワイザー」としてくれればいいのに。

イギリス人氏は無視し、こう続けました。
「でも、チェコのバドワイザーをイギリスで飲むと、ちょっと味が変わるんだよね。同じチェコのバドワイザーなのに、この国で飲むのとは別物なんだ。

 バドワイザーまたはバドなんであれ、同じ飲み物でも、生産地や工場の場所によって味覚や風味に違いが出るものだからだろうね。

 ビールだけではなく、どの飲料液体も国によって味が変わるのは、水源によるものだからだろうな。飲み物の味の決め手は何でも水にかかっているからさ」


 この問題は、日本においては2002年に、アメリカのブッシュ社が日本への「バドワイザー(ブドヴァイゼル)」ビール輸出を始めたチェコのブドヴァル国営会社に対し、「バドワイザー(ブドヴァイゼル)」ビールの輸入・販売の差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こしました。

 しかしその翌年、東京裁判所は両者が誤認混同される恐れはなく、アメリカのブッシュ社側の訴えは商標権の濫用であるとして、Budweiser Budvar、またはBudějovický Budvarと記されたチェコ社製ビールの輸入・販売は制限されないとの判決を下しました。

 だけども、19世紀末から始まった「バドワイザー戦争」はなんと2024年の現在でも、いまだに終わりを迎えていないといいます。

ヨーロッパのHEART(中心)はどこ?


 話が変わりますが、チェコのパンフレットやガイドブックを見ると、どれにも必ず【 Czech Republic- the Heart of Europe】と書かれてありました。

 私はこれにちょっと違和感を覚えていたのですが、別の日のチェコ語学校休憩時間の時のこと。

 話の流れで、この【 Czech Republic- the Heart of Europe】の話題になりました。

 イタリア人氏がぼそっと発言しました。
「 The Heart of Europeのheartはcenterの意味だと思うが、もし地理的にヨーロッパの中心というなら、それは間違っている。リトアニアだ。地理的にヨーロッパの中心はリトアニアなんだ、チェコではない

 フランス人氏も頷きました。
「地理的な意味での”中心”(heart)はリトアニア、そしてヨーロッパの経済的な中心はドイツ、金融の中心はベルギー、グルメの中心はフランスだ。一体、チェコが何のヨーロッパの”中心”なんだろうか?そんなもの、何もないじゃないか」

 教室内はガヤガヤしました。ペトラ先生はまだ入って来ていません。 

 と、この日たまたま私の隣に座っていたアメリカ人夫人が首を傾げて

「ヨーロッパの中心の場所がリトアニア?まあ、知らなかったわ。もっと言えば、リトアニアってどこ?やっぱりソビエト連邦だった場所なのかしら?
 そもそもまったく、【ーニア】の国が多すぎて、ややこしいったらありゃしないわ。リトアニア、エストアニア、マケドニア、スロベニア、ラトビア、アルメニア、アルバニア…他にまだあったかしら?ナルニア?」

 「…」
 全員、黙りましたが、そういえば、ついでを言えばソ連崩壊後【ースタン】諸国も増えました。
 カザフスタン、タタールスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、パキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタン、タジキスタン…。

 蛇足ですが「スタン」はペルシャ語ستانの土地や国、街、場所を表す言葉から発生しています。

「とにかく、チェコ中に見られる【 Czech Republic- the Heart of Europe】のキャッチフレーズは、チェコ人の妄想と理想でしかない」
 誰かがそう言うと、珍しく全員が頷き意見が一致しました。

世界で最も難しい言語のひとつ

 昔、十代だった私がイギリスの英語学校に通った時、ヨーロッパ出身の生徒たちの上達には目を見張るものがありました。
 同じクラスには日本人の私とタイ人の男の子もいましたが、この二人よりも西ヨーロッパ人達の英語上達スキルは桁違いでした。

 英語学習においてはあれほど優秀だった西ヨーロッパ人でしたが、チェコ語となると、そういうわけにもいかないようで、かなり手こずっていました。特にアメリカ人夫婦が落ちこぼれていました。

実際、Prague Morningの記事(2024年2月26日付)によると、英語を母国語とする人にとって、習得がもっと難しい外国のトップ20は以下の言語だといいます。

20. トルコ語
19. ロシア語
18. タガログ 語
17. ポーランド語
16. ペルシア語
15. セルビア語
14. ハンガリー語
13. ブルガリア語
12. クロアチア語
11. アルバニア語
10. ベトナム語
9. ギリシャ語
8チェコ語
7. ヒンディー語
6. タイ語
5. フィンランド語
4. 韓国語
3. 日本語
2. 中国語(北京語)
1. アラビア語

 1位のアラビア語がいかに難しいかのか、例えばカイロ大を卒業した著名人リストリストを見れば分かります。
 このリストが全てではありませんが、卒業した外国人の顔ぶれを探すと、外国人は外国人でも、同じアラブ人かまたはアラブ圏で生まれ育った人だらけだ、というのが一目瞭然です。

 アラビア語はさておき、チェコ語はどんな言語かと言いますと、北スラブ語グループに属する言語で、ラテン・アルファベット文字を用いています。

 そして、いくつもあるスラブ語グループの中で「複雑な文法体系と多様な名詞と動詞の格」で有名なこの言語がもっとも難しいとされています。

 チェコ語の 7 つの格はチェコ語学習の複雑さに影響を及ぼしていることで、それぞれに性別に基づいた独自の名詞、形容詞、代名詞、数詞の変化があります。

 しかし、これらの変化形を暗記し、文法上の性別を理解するのは大変で、それにチェコ語の活用には4 つのクラス、6 つの人称、および性別と数によって決まる動詞の形態が含まれているため、なおさら一筋縄ではいきません。

 その上、この言語には、フォーマルな話し言葉とインフォーマルな話し言葉の区別があり、音声特性上、発音に影響を与える発音区別符号が導入されているので、かなりの集中的な学習努力が必要です。

 チェコ語を習得するには、英語話者の場合、約1,100時間の授業が必要であると、言語学者が述べているくらいです。

   
 チェコ語初級クラスが始まり、二か月ほど経った時です。
「チェコ語の授業、ついていけていますか?私はさっぱり分からない、お手上げ」
 私が正直に白状すると、教室中の生徒が一斉に頷きました。ただし一人除いて。ブルガリア人です。

優等生はブルガリア人だけ

 チェコ語初級クラスには、一人ブルガリア出身者の男性がおり、彼は皆よりも抜き出て優秀でした。

 いつだって誰よりも理解が早くすぐに手を上げて、ペトラ先生の質問に何でも「はい!はい!」答え、小テストでは必ず最高得点を出していました。他の生徒全員が白けるほど、そのブルガリア人氏の一人勝ち、ワンマンショーでした。

 最初は確かに彼も他の外国人たちと同じくらいの初級者でした。チェコ語など何も分かっていませんでした。

 ところがいざ授業が始まると、理解の速度が一人だけまるで違いました。これはその男性の母国語であるブルガリア語が、チェコ語と同じスラブ語グループだったからです。


 とはいえ、ブルガリア語は南スラブ語のグループに属し、文字はキリル文字なので、同じ「スラブ語」でも北スラブ語のチェコ語とは大きくかけ離れてはいます。

 ところが、いくつも共通する単語や、互いの言語からの借用語が色々ある上、特に学校でロシア語を学んだ世代同士ならば猶更、ロシア語という共通言語により、コミュニケーションが取りやすい。

 よって、チェコ人とブルガリア人は最初は互いに理解しあえなくても、短期間ですぐに相手の言うことが分かり、会話ができるようになっていました。

 私の長い知り合いのブルガリア人も、チェコ語など勉強したこともないのに、初めてチェコを訪問した時、最初から比較的べらべらチェコ人と会話をし、私を驚かせました。

 このブルガリア人いわく
「だってさ、チェコ語とブルガリア語は英語とオランダ語の関係みたいなもの
 最初は理解できなくても、短期で習得しやすい仲間の言語だ。チェコ語のdobrý den(ドブリデン・こんにちは)はブルガリア語ではдобър ден(ドバルデン)だしね。ちなみにロシア語では「ドブリ・ウートラ」さ」

 でも、例え言語が似ている部分があっても、チェコ人とブルガリア人の民族は全然異なります。

 ブルガリア人の場合は、歴史的にも地理的にもあまりにも多くのトルコ人、ギリシャ人、ロマ人、アルメニア人等が混ざっているので
「お母さんはトルコ系でアルメニアも入っている、お父さんはギリシャ系だ」
などざらにいます。

「それに気質や性質、思考回路もあまりにも違う。チェコ人はクレイジーだ。一緒にしないでくれ」

 同じことはポーランド人も言っていました。なぜチェコ人が「クレイジー(!)」なのかというのは、またの機会として、あとブルガリア人、ポーランド人、ロシア人も私に言ったのが
チェコ語は語感(音)が滑稽に聞こえる」

 それに同意するにしても反論するにしても、チェコ語をほとんど分かっていないので、私は何も答えられなかったのですが、それはともかく、

 ブルガリア人以外の外国人たちがチェコ語学習に苦戦したのは、チェコ語そのものが難しい言語、というのが第一の理由なのは間違いありません。

 クラスの顔ぶれは皆さんは仕事でチェコに駐在しているだけだったので、本気で勉強しようという意欲に欠けていたせいもあると思います。

 それにチェコ語が国外では役に立たないマイナーな言語であったので、勉強意欲がなかなか沸かず、それに当時はチェコはまだEUに加盟していません。EUに加盟できるなど私もそうですが、誰も夢にも思っていませんでした。

 またエジプトでは日常生活においてアラビア語ができないと、もろもろ死活問題に直結でしたが、チェコではチェコ語を話せなくても、割と生活に支障をきたしませんでした。

 もちろん、英語やチェコ語を話す人々にもずいぶん助けてもらいましたが、プラハにはチェコ語を喋る日本人もわずかですが住んでおられ、そしてドイツ語専攻の日本人もプラハに住まわれていました。

 チェコはドイツの隣国で、まだまだドイツ語が大変よく通じ、それでいて生活費も安く、当時は在留資格も取りやすかったのも理由だったからだと思います。

「ブリジット・ジョーンズの日記」

 ある時、プラハに住む日本人女性たちとダンキンドーナツの店内で待ち合わせしました。

  同じ日本人なのに、一人はチェコ語翻訳の「ブリジット・ジョーンズの日記」のぺーパバックを持って登場、もう一人はその小説のドイツ語翻訳版、そして私はオリジナルの英語版を持って現れました。

 この現代版「高慢と偏見」の英小説はそもそもアラビア語には翻訳されていません。

 だから、エジプトにいた私は、この小説の存在すらも全然知らなくて、どこかの空港の本屋で山積みになっているのを見た時、
「新たなアンネフランクの日記?」
と思ったぐらいです。

 日本では雑誌「コスモポリタン」だったかな?に日本語版が連載されて、大人気だったそうですが、アラブでは内容的にアウトですし、今見たらアラビア語のウィキペディアも存在していません。

 ドイツ語、チェコ語、英語の「ブリジットジョーンズの日記」の本を抱えた私たちは、それぞれ異なる言語版を読んでいるにしろ、感想は同じでした。

「ブリジッドはいいよね。ふられてもすぐにいい男に言い寄られ、失業してもすぐにいいところに転職できて、実家は仲の良い両親で大きい一軒家だし…。”みじめ”と嘆いているけれど、ブリジッドの何がみじめかさっぱり分からない」

 会社のチェコ子さんたちも同じことを言っており、ブリジットジョーンズに対する女子の意見はああ万国共通…。(しかも映画版ではヒュー・グラントとコリン・ファース両方にモテる…一体どこが”みじめ”?)

 チェコ語を習得した日本人といえば、KaoRUさんもその一人で、頭が下がります。

「ブリジットジョーンズの日記」チェコ語版ブリジッドがダサいパンツを履いていて恥をかくシーンがあるのですが、だからなのでしょう。表紙がそのオバサンパンツ!表紙がこれ…日本にはないセンスです。

チェコ語とロシア語

 チェコ語夜間学校の喫煙所では、よくそこで出会うロシア人の中年紳士がいました。ウラジミールさんといいました。

 大学の先生で、年齢は私より二十歳は上で、チェコ語上級クラスでしたが、喫煙所ではみんなの人気者でした。
 
 英語もべらべらで、物腰が柔らかく社交的で会話の内容も豊富で、それに笑顔を絶やさず、誰に対しても何でもにこにこ答えていました。

 それに「物知り」だったので、色々なことを教えてくれ、個人的にびっくりしたのが、バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフがシベリアのタタール人でムスリムであったと聞いたことです。伝説のバレエダンサー、ヌレエフがイスラム教徒!本当に驚きました。

 それはさておき、人当たりが良く顔の広いウラジミールさんについて、チェコ語初級クラスのイギリス人銀行員氏いわく
「絶対彼は元KGBだ」
 
 エジプトにはテロ組織話好きの外国人が集まっていましたが、チェコには「スパイ」話好きの外国人が集まっており、このイギリス人氏によると
「KGBも密かには再結成し、西側の情報を収集している」
とのことでしたが、実際はプラハはスパイの街ではありませんでした。

 トム・クルーズの【ミッション・インポッシブル】の映画のせいで、プラハ=スパイ活動の町というイメージがついただけで、現実ではキエフやベオグラードの方がスパイ活動が多いらしかったです。

 ちなみに、プラハで一度日本人の(自称)公安に会ったことがあり、「日本語べらべらで日本人に見えるからといって油断しないようにね」と言われました。
 当時はその意味が分かりませんでしたが、公安はヨーロッパで調査をしていた?北朝鮮がヨーロッパでの日本人拉致を認めたのはこの数年後…。なのでもしかして…?


 世話好きで面倒見の良い親切なウラジミールさんはチェコ語上級クラスだったということで、初級クラスの私たちの宿題もよく手伝ってくれましたが、毎回必ず
「これはロシア語ではねー」
とロシア語の説明もしてきました。

「ああ、それはチェコ語では◯◯というけれど、ロシア語では△△の単語で、ロシア語では△△は✘✘とか■■という言い回しもできて、さらにロシア語ではこうだよああだよ」

「ねえ、混乱するから、いちいち”ロシア語ではー”と付け足すのはやめて」
 私達は何度もそうお願いしたものの、ウラジミールさんは聞いていません。

 とにかく、ウラジミールさんの補習によって、初級クラスの私たちはチェコ語宿題など実に助けられました。
 しかし同時に彼のおかげで、ロシア語の情報も大量に入れられたため、チェコ語とごっちゃにもなりました。

 もともと日頃、私たち外国人はお年寄りのチェコ人には必ずロシア語ばかりで話しかけられていたものなので、余計混同します。

 ウラジミールさんの話で今でも一番覚えているのは
「ロシアの国民もロシア政府を嫌っているんです」

 それから
「北方領土問題はロシアが悪い」
と私にはっきっり言ったことです。

ビールの注文


 一学期がもう終ろうとした頃です。
 チェコ語初級クラスの皆さん数名とパブに寄り、いわゆる「お疲れ様会」を開きました。

 奥のテーブルにつくと、イギリス人氏が
「よし、僕はピルスナービールを飲もう。チェコ語しか使わないぞ。チェコ語で注文してみるぞ」
といい、チェコ語でウェイターを呼び、鼻高々にビールを注文しました。
「Одно пиво, пожалуйста 」

「…」
 ウェイターは黙りました。そして白けた顔で、”英語で“聞き返してきました。

 優等生のブルガリア人氏はため息をつき、イギリス人氏をつっつきました。
「気をつけろよ。今のはロシア語だったぞ。君はロシア語でビールを注文したんだぞ」 
「あっ…」
イギリス人氏の顔が赤くなりました。彼もまた熱心にウラジミールさんからロシア語が混ざったチェコ語補習を受けていたため、どっちの言語がどっちか混乱していたのです。

 注文した全てのビールがそろうと、
「乾杯しましょう」
 アメリカ人夫人がビールを高く上げました。しかし、すぐに困惑顔になりました。

「ええと、あれ?乾杯ってチェコ語でどっちだっけ? ザ・ズダローヴィエ?ロシア語?ナ・ズドロヴィ?どっちがどっちだっけ?同じだっけ?」
「…」

 誰も答えられません。そこをもって
「バドワイザーとバド、あれ?チェコではどっちが正しい名称だっけ?チェコ産がバドワイザー?アメリカ産がバド?逆だったっけ?」
「…」
 酷いレベルのクラスメートたちです。ブルガリア人氏はまたため息をつきました。

「結局”アホイ”しか覚えなかったな…」

 誰かがそう言いました。「アホイ」はチェコ語のさよなら、ですがこの言葉だけはロシア語には似ていないので、間違えません。
 そこに私がふと口を開きました。
「アホイといえば、日本語ではstupidをアホといってね、アホイに似ていてねー」

 するとです。一斉に
「シャラップ!」

青と赤「君の青いコートは旧ソ連の党員コートそっくりだよ」

 パブを出ると、そのブルガリア人氏が珍しく私に声をかけてきました。
「ずっと聞きたいことがあったんだけど、冬の間、君はいつも青いコートと赤いマフラー姿で学校に来ていたよね?」
 なんだかもじもじしています。

 もう冬は終わっているので、この時はその格好をしていないのですが、確かに寒い間はいつも日本から持ってきた青いコートと赤いマフラー姿でした。そのコートは銀座一丁目のブティックで購入した日本製です。

「確かに冬の間、いつも私はその姿でしたけど、それが何か?」

 ブルガリア人氏は咳払いをしました。
「ずっと言うべきかどうか迷っていたのだけども、次の冬の時にはあの青いコートと赤いスカーフは止めた方がいいと思うよ」
「なぜ?」

 氏はまた咳払いをしました。
「ソ連時代のね、党員の制服コートにそっくりなんだよ」
「えっ?」
ソビエトコートにしか見えなんだ」

 言われてみれば、私が青いコートと赤いマフラーで歩いていると、なんだかチェコ人にじろじろ見られ、会社のチェコ人たちも何か言いたげの様子がありました。

「ああチェコ人が嫌いなソ連の党員を思い出させるコート姿で、私はいつも出歩いていたのか!」
 
 ひょっとしたらもしかして。毎朝地下鉄の改札口ですぐに巨大役人に捕まり「身分証明証出せ」と偉そうに命じられたり、地下鉄車内で泥棒に遭ったのも、この真っ青なソビエト・コートのせいだった?

 
 その夜、ベッドの中で「ブリジットジョーンズの日記」の続きを読みました。すると

”“Oh God, what's wrong with me? Why does nothing ever work out?”
「ああ、神様、どうしちゃったんだろう?どうして何もうまくいかないの?」

 そのフレーズを読みながら
「ほんまや」
 とバドワイザーだがバドだがのビールをぐいと飲みました。

                 テレビ番組撮影編へつづく

上は60年代、70年代のソ連の典型的な労働者コート、下は「銀座1丁目で購入した日本製の”オシャレレトロ”コート」
着ていませんが、まだ持っているので、撮影しました。
ロシア編のタンタンも青い服に赤いマフラー

追記
バドワイザー百年戦争は複雑なのですが、あえて自分の記憶と当時のメモを見て書いただけなので、誤りがあるかもしれません。

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