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20040117 確率(3)

 確率というのは実生活で役にたっているのだろうか。おそらく個人にとっては確率を論じることは殆ど意味がないのではないだろうか。これは以前にも書いたことがあるが、小口しか取り扱わない個人には殆ど役にたたない$${^{*1}}$$。

 宝くじを毎回10枚程度買う人にとって一等賞が当たる確率は殆どないし、仮に当たったとすればそれはそれで結構なことで幸運なことであったと思うだけで、あらかじめ当たる確率を調べたり計算することは何ら意味をなさない。つまり小口の人にとっては「当たる」か「外れる」かしか意味はないのである。

 実生活で意味のある確率は「殆ど起こりえない」もしくは「必ずと言っていいぐらい起こる」しかない。これ以外はいくら論じても意味がない。何かを選択するもしくは岐路に立たされた場合に、どれが最良の選択かを決めるのに起こりやすさや可能性を元に選択すると自分の願望や理想だけで選択するのとは全く差異はない。当たる時は当たるし、外れる時は外れるのである。

 とはいっても確率を計算すれば外れた時に「運が悪かった」と納得できるし、当たれば「自分は間違いなかった」とあらかじめ確率を計算して事に臨んだ自分の用意周到さを再確認できる。このこと自体実効的な意味はないが、精神衛生上いいのかもしれない。

 確率に関して非常に面白い話題をこのページ$${^{*2}}$$で知った。ある抽選大会で三つの箱の出てきた。どれかの箱に景品が一つ入っている。挑戦者が一つの箱を選んでその中に景品が入っていればその景品をが貰える。挑戦者が景品を当てる確率は1/3と計算できる。どの箱を選んでも1/3となる。

 挑戦者が箱を選んだ後、大会の司会者は残りの二つの箱の一方を開けてその箱が外れであることを明かした。これで景品が入っている箱は挑戦者が選んだ箱か残りの他方の箱となった。司会者は挑戦者に「箱を選び直してもいい」と宣告する。

 この時、挑戦者が考えるのは(1)選び直した方が当たりやすい(2)最初に選んだままの方が当たりやすい(3)選び直してもそのままでも当たりやすさは変わらない、のどれかである。直観的には(3)以外考えられない。なぜなら外れの箱が判った瞬間にそれは初めから無かったことと同じになる。従って二つの箱から選ぶことと同じだからである。

 ところがそうではない。(1)選び直した方が当たりやすい、のである。一体どういうことなのだろうか。

*1 20010428 確率(2)
*2 Gabacho-Net 確率のパラドックス(その2)

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