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20050509 旧東海道を歩く(7)

 息子と二人で旧東海道を歩いた$${^{*1}}$$。更に岡崎に向かって歩く。

 古い信号機$${^{*2}}$$から少し行ったところ$${^{*3}}$$に花崗岩で出来た石柱が乱立$${^{*4}}$$しているところが見えた。何となく異様な雰囲気である。

 記念碑や石柱碑が所狭しと建っている。設置してある間隔が通常の感覚よりも狭すぎる。この間隔の狭さが独特な雰囲気を醸し出しているのだろう。その場所を更に不思議な感覚にさせているのは、この「お相撲の石像$${^{*5}}$$」である。像の大きさは道端の地蔵$${^{*6}}$$程度しかない。力士は大きいと言う概念があるので、地蔵程度の大きさというのは何とも不釣り合いである。全体は人の背丈と同じくらい。土俵をかたどっていると思われる台座も何となく違和感がある。考えてみると力士の像というのを初めて見たような気がする。これが変な感覚の原因だろうか。この土地出身の力士なのだろう。旧街道とは特に関係がないに違いない。

 調べてみるとやはりそうだった。「濱碇(はまいかり)$${^{*7}}$$」という名の明治時代の力士だった。ここの石柱群がいつ頃建てられたのかはよく判らないが、江戸時代ではないことは確かである。東海道とは関係がない。濱碇は廃業後、薬の行商を始めた$${^{*8}}$$らしい。受け継がれて現在は薬局$${^{*9}}$$になっている。

 1.5kmほど歩くと寺があった$${^{*10}}$$。萬寿寺という名の寺$${^{*11}}$$だった。何の変哲のない寺だったが通り過ぎる時に何かが見えた。梵鐘である。鐘楼$${^{*12}}$$に吊り下がっているのが見えたのではない。本堂の軒先に置いてある$${^{*13}}$$のが見えた。住職が不在なのだろうか。檀家がいなくなり廃寺になったのか。とにかくこういった寺を見るのは初めてだ。

 お相撲の石像、古ぼけた信号$${^{*2}}$$、時間が止まっている看板$${^{*14}}$$、いい感じのうどん屋$${^{*15}}$$、傷痍軍人の廃屋$${^{*16}}$$と旧街道の時刻の経過を遅らせる不思議な力を見せつけられているようだ。

 寺から暫く行くと一里塚の跡$${^{*17}}$$があった。一里塚その物は消失してしまっている$${^{*18}}$$。そのすぐ横には第一岡崎海軍航空隊$${^{*19}}$$があったことを示す看板$${^{*20}}$$があった。これは本業の領域$${^{*21}}$$である。ここは改めて探索することにしよう。

*1 20050508 旧東海道を歩く(6)
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*3 「愛知県安城市里町」付近地図
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*6 20010420 歩く地蔵
*7 濱碇之碑
*8 はまいかり・濱碇又七
*9 濱碇・ハマイカリ山口旭薬局のプロフィール
*10 「愛知県安城市浜屋町」付近地図
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*12 3-3. 梵鐘と鐘楼との大きさの関係寸法
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*14 20050506 旧東海道を歩く(4) 0505030053.jpg
*15 20050505 旧東海道を歩く(3) 0505030040.jpg
*16 20050504 旧東海道を歩く(2) 0505030030.jpg
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*18 東海道と一里塚 東海道 尾崎一里塚
*19 戦争遺跡見聞録 海軍航空隊 岡崎基地
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*21 遺構探訪

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