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20050510 旧東海道を歩く(8)

 息子と二人で旧東海道を歩いた$${^{*1}}$$。歩いている間、何人かとすれ違った。同じように旧街道を歩いている人達である。大抵は二人組だった。皆、京に向かって歩いているので、江戸に向かう我々とすれ違う。すれ違った人々の中には赤ん坊を背負った夫婦もいた。挨拶をする人もいるが、黙々と歩いている人もいた。

 日が暮れかけてきた。矢作川$${^{*2}}$$を渡れば岡崎宿である。結構疲れてきた。息子の顔が険しくなってきている。日が沈めばもう歩けないのでやはり岡崎がこの徒歩旅行の終点となる。

 矢作川の手前までは街道は真っ直ぐ$${^{*3}}$$で地図を見なくても大体歩けたが、矢作川を渡り岡崎城$${^{*4}}$$下に入ると東海道は曲がりくねる$${^{*5}}$$らしく地図なしで旧東海道を辿るのは難しい。本当にこの道が旧街道なのか道の形状を見ただけでは全く判らないし、旧街道を詳しく示した地図$${^{*6}}$$を持っていかなかったので、自分たちが歩いている道がそうなのか自信がなくなってきた。何となくそんなことはどうでも良い気持ちになってきて大雑把な地図を見ながらそれらしい道を歩き続けた。

 矢作川を渡ると東海道は八丁味噌$${^{*7}}$$の工場の近くを通るということは判っていたので工場を目指して歩いた。その後はもう適当である。丁度日が沈んだ頃に籠田公園$${^{*8}}$$に着いた。旧東海道はこの籠田公園の真ん中を南北に通っていた$${^{*9}}$$らしい。公園になっているのでその部分の街道の痕跡は一切ない。主要な道路が消失してしまうというのはどういう理由からだろう。町並みは道の形状に左右される。古くからの道を潰してしまうと言うのは余程のことがあったのか。戦災復興の都市計画でなくなったのだろうか。この部分だけ潰した理由がよく判らない。

 この籠田公園で旧東海道歩きを終了した。公園の前で記念写真を撮り、名鉄東岡崎駅に向かった。駅に着いたのは六時五十分頃であった。

*1 20050509 旧東海道を歩く(7)
*2 日本の川 - 中部 - 矢作川 - 国土交通省水管理・国土保全局
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*4 岡崎城 施設案内
*5 岡崎二十七曲
*6 岡崎市観光協会/おすすめコース
*7 八丁味噌 カクキュー
*8 マピオン - 「愛知県岡崎市籠田町」付近地図
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