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20040710 空の青(3)

 空はなぜ青いか$${^{*1}}$$の続き。光がどうして空気の中で散らばるのか。光が散らばるとは一体どういうことなのか。

 例えば、パチンコ玉が釘に行く手を阻まれてあらぬ方向に行ってしまう$${^{*2}}$$のが「散らばる」という感覚に近い。太陽の光をパチンコ玉、空気の分子を釘と考えてもいいのだろうか。

 パチンコ玉が大きければ釘に当たりやすくなるので散らばりやすい。釘が太くても散らばりやすい。これの類推で空気中での光の散らばり方を理解することはできそうだ。

 「光のパチンコ玉」の大きさと何か。光の大きさをどのように考えればいいか。光は「波」と同じ振る舞いをする$${^{*3}}$$ので「光は波」と考えてもいい。波ならば波長がある。山と山、谷と谷との間隔が波長と呼ばれる。波長が長い時「大きい」と考えればいいか。確かにさざ波と津波とでは、さざ波が小さく津波が大きいと言う感覚になる。波長も津波の方が長い。しかし波の高さが全く違う。むしろ波の高さで大小の印象が決まっている。

 波の高さで光の大小は決められるか。光の波の高さは光の強さと考えればいいだろう。光が強ければ「光のパチンコ玉が大きい」とする。光が強いと散らばり易いとすると、空が青いというのが説明できない。太陽から直接来る光はいつも同じ強さで、光の色が白っぽい。空気によっていつも同じ強さの光が散らばっても光の色は変わらない。そうなると空は青くならずにいつも白っぽくなるはずである。

 「光のパチンコ玉」の大きさは光の強さでない。光独特の性質として、光の持つエネルギーの大きさは波長に反比例する$${^{*4}}$$というのがある。これはアインシュタイン$${^{*5}}$$が言い出した。前述した「光の強さ」と「光のエネルギー」との違いは、パチンコ玉でたとえれば、前者は「玉の数」、後者を「玉の大きさ」と考えればいいだろう。

 玉の大きさが波長に反比例すると言うことは、波長が短い青い光は「玉が大きく」、波長が長い赤い光は「玉が小さい」ことになる。これはたとえなので実際に青い光の玉、赤い光の玉というのが飛んでくる訳ではない。ただ、波とは言っても太陽から延々とつながっている波ではなく細切れになっていて、更に横方向も細かくなっている$${^{*6}}$$と考えられている。こう考えてくると光は粒々になって飛んでくることになるのでパチンコ玉のたとえもあながち外れていない。

 青い光は玉の大きさが大きいので赤い光よりも散らばりやすい。一般に波はその波長よりも小さい物の影響は殆ど受けない。空気の分子は1nm$${^{*7}}$$(1nmは100万分の1mm)ぐらいしかない。青い光の波長は400nmだから格段に小さい。光が単なる波であれば無視されてしまう。ところが光はパチンコ玉のようにも振る舞うので波長より小さな空気の分子でも、それに当たれば散らばると考えてもよさそうである。

*1 20040709 空の青(2)
*2 gazou203.jpg
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