見出し画像

20020907 人形

 斎藤$${^{*1}}$$孝の「理想の国語教科書$${^{*2}}$$」に小林秀雄$${^{*3}}$$の「人形」という随筆が取り上げられていた。

 この「人形」という随筆は、小林秀雄が大阪行きの急行の食堂車で出会った老人夫婦の話である。この老人夫婦は古ぼけた大きめの人形を同伴させて小林の前の空席に座った。そこで人形に食べさせる真似をしながら進行していく老夫婦の食事の様子が描かれていた。

 小林は、人形を老夫婦が戦争で亡くした一人息子ではないかと想像していた。異様な食事を自然にこなす老夫婦を見ながら、小林は「周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わなければならなかっただろう」と考える。老夫婦の真実は読者にも小林にも計り知れないが、子供を亡くした夫婦の深い悲しみはその当事者でないと本当に理解できないというのは解ってくる。

 学生時代に伊豆の方へ旅行に行った時、中年か初老の夫婦とすれ違った。その夫婦は赤ん坊の人形を大事そうに抱いていた。それを見た時、何とも言えない異様な気分になったことを憶えている。

 随筆の中で途中から女子大生が登場してくる。老夫婦と小林とこの彼女は食事中一切言葉を交わさない。小林は女子大生も自分と同じように老夫婦の悲しみを一瞬に悟ったに違いないと書いている。

 当時学生であった私の場合は「悲しみ」ではなく「気味悪さ」だけであった。しかし今、子供を持ってみて、かつて伊豆ですれ違った夫婦を思い出すと全く違う。子供に先立たれた親の悲しみは親になってみないとやはり全く解らない。

 この随筆を読んでしみじみと思った。

*1 20010529 斎藤と斉藤
*2 『理想の国語教科書』 齋藤孝 著(文藝春秋,2002,¥1,238)
*3 小林秀雄全集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?