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20010726 時間感覚

 大人が感じる時間と子供が感じる時間$${^{*1}}$$とでは大きな違いがある。これは子供と大人とを両方経験している人間なら誰でも感じることである。

 小学生の頃の一週間と大人になってからの一週間の長さは明らかに違う。小学生の頃は夏休みが始まると40日もあるので、夏休みが永遠に続くかのような錯覚に陥っていたものである。そして八月末頃になると永遠が勘違いであることに気付き慌てふためくのであった。大人になると40日と言ってもそれ程長くない。学生の頃でも小学生程ではないが結構長く感じていた。

 どうしてそう感じるのか。生きている時間によって感じる時間の長さが変化してくるのである。これは誰しも感じていることであるが、朦朧としている。こういう物は数式で表現すると何となく判った気になる。ただ、「時間の長さの感覚」は数値として表現しようがないので数式に根拠はない。

 何か絶対的な時間感覚があるとする。大人になってみると子供の時間は大人の時間よりも長いと感じる。このことから歳を取れば取る程、時間感覚は短くなる。ただし零にはなることはない。ある程度歳を取ればいつでも一定に感じるだろう。例えば数千年も生きている仙人にとって百年前の一日と今日の一日とは同じ時間感覚だろう。この状態を「絶対的な時間感覚T abs」としよう。生きている年数を$${y}$$、時間感覚の函数を$${T_{sens}(y)}$$、ある定数を$${a}$$とする。生きている年数yが無限大になれば$${T_{sens}(y)}$$は限りなく$${T_{abs}}$$に近づく。$${y}$$が殆ど零の時は赤ん坊の頃だから時間の感覚$${T_{sens}(y)}$$はほぼ無限大であろう。これを数式にするのである。

 元々数値などないので方程式は立てられない。色々と数式をいじって上の特徴を持つ数式を作り上げた。最初は

$${T_{sens}(y)=T_{abs}+a/y*T_{abs}}$$

を思いついた。$${y}$$が零ならば$${T_{sens}(y)}$$は無限大であるし、$${y}$$が無限大ならば$${T_{sens}(y)}$$は$${T_{abs}}$$に近づく。しかしこの数式には問題がある。それは絶対的な時間感覚$${T_{abs}}$$に年齢による時間感覚$${a/y*T_{abs}}$$を加算している形になっていることである。これは何となくしっくりこない。こんな感じではない。時間感覚はこのように明確には分けられない。全体が長くなっているのである。

 そこでこんな数式を考えた。

$${T_{sens}(y)=T_{abs}/(1-a^y)}$$

ここで定数$${a}$$は$${0~1}$$の値をとり、その時間に起こっている出来事が当事者にとってどれだけ影響するかを与える数値である。1に近いほど時間感覚に影響する度合いが高くなる。例えば10歳の当事者にとってどうでもよいことが起こっている時、$${a=0.1}$$とすると$${T_ {sens}(10)=1.0000000001*T_abs}$$となる。これが当事者にとって重要な時間で、$${a=0.9}$$の時は$${T_{sens}(10)=1.5353*T_{abs}}$$となる。ところが$${a=0.9}$$でも60歳ぐらいになると$${T_{sens}(60)=1.002*T_{abs}}$$となって、どうでもよい時と殆ど同じになってくる。

 人生経験を積むと楽しいことがあっても辛いことがあっても永遠に続くことはなく絶対的な時間の長さをもって経過すると言うことが理解できるようになる、と言う具合にこの数式は表現している。逆に子供にとっては定数$${a}$$によっては永遠に続く天国であったり、無限地獄であったりするわけである。

 このページは今日から3年$${^{*2}}$$目に入る。2年間は長いような短いような時間であった。

*1 時間・周波数標準-計量研究所
*2 目次

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