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20030620 耳触り

 時々「耳触りのよい$${^{*1}}$$」という言葉を見たり聞いたりする。「聞いた時の感じがよい」という意味で最近できた言葉である。辞書にも載っている$${^{*2}}$$。

 「耳障り」という言葉は以前からあるが、「耳触り」という言葉は最近までだれも使っていなかった。それが使われだした。手触り、肌触りなどの連想から「耳触り」という言葉を使いだしたのだろうが、「耳障り」という漢字を知っていれば「耳触り」など決して連想できない筈である。「耳触り」という言葉を平気で使われると「障る」という言葉を知らないのかと思ってしまう。

 よく似た言葉に「目障り」がある。何故か「目触り$${^{*3}}$$」という言葉を使う人はいない。使っていても「目障り」の単なる間違いで、「見た時の感じ」という意味では使っていない。

 耳で聞く音も目で見る光も直接触れないのに、「耳触り」という言葉はよく使われ、「目触り」という言葉はまだできてもいない。一体この違いはどこからくるのだろうか。

 音は空気の振動である。空気は風になれば肌で感じることが出来る。現代の大人であれば大抵は音や風の正体を知っているだろう。光も振動だが、何の振動なのか今ひとつ実感し難い$${^{*4}}$$。つまり音は耳で「触る」ことが出来るが、光は目で触ることが出来ない、ということが直観的にもしくは無意識に理解されている結果なのかも知れない。音の正体は明治時代以前ならば殆どの人には解らなかったろうから、光と同様に音も当時は「さわれなかった」に違いない。

 こう考えれば現代において学校教育が浸透した結果、「耳触り」という言葉が出来たとも考えられる。「障る」という言葉は知らないが、音が空気の振動であることは知っているという状態なのであろう。

 「耳触り」という言葉が出来たもう一つの理由は、耳を触られるといい気持ちになる人が多い$${^{*5}}$$からだろう。だから「耳触りのいい」という言い回しが出来たに違いない。目を触られて気持ちがいい人は滅多にいないから「目触りのいい」という言葉は出来てこない。

 これが理由だとするともっと昔から「耳触り」という言葉が出来上がってもおかしくはない。やはり「障る」という言葉を知らない人は昔は少なかったのだろう。

*1 Google 検索: 耳触りのよい
*2 みみざわり ―ざはり 3 【耳触り】 - goo 辞書
*3 Google 検索: 目触り
*4 20010707 ドップラー効果(2)
*5 針 療 學 會 耳 穴 圖

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