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じわじわと浸食される感覚

なんだろう。何かが心の底の方でザワザワとする感じ。

こういうのを「不安」とか「心許なさ」と呼ぶのだろうか。

先行きが見えないとか、簡単には解決しない問題などを抱えていると、常にザワザワと落ち着かず夜も眠れなくなってしまうものだ。

2021年の夏になっても、たまに今日みたいにどこか落ち着かない日がある。

子供たちを見ていても、特に息子の方がコロナ前と今とで何かが変わってしまったような気がする。

全体的にイライラすることが増えたし、疲れやすくなっているような印象を受けるのだ。気のせいかもしれないが、長女の方はそれほど変化が見られない。娘の安定感は一種の才能だと日頃から思っている。

昔からその傾向が強く、幼稚園の時に日本に3ヶ月長期滞在をした時も切り替えが早く、環境に馴染むのがとても早かった。息子の方が繊細なのか、日本が楽しすぎて帰りたくなかったのだろう。ドイツに戻る1週間くらい前から吃音が1ヶ月ほど続いたことがある。日本語だけでなく、ドイツ語でも話そうとすると吃ってしまうようになった。

その時はこのままドイツ語も日本語も出てこなくなるのでは!?とかなり本気で悩んだ。長期滞在がよくなかったのだろうかと思ったりもした。小児科に相談した結果、焦ったりプレッシャーをかけるのは逆効果だと、じっと様子を見守ることにした。そのうちにまた元通りに戻ったときは心底ほっとしたのを覚えている。

こんな風に同じ親から生まれた子供でさえ、状況の変化にどう左右されるのかについては大きな個人差がある。

コロナ禍における日常生活の変化についても同じことが言えるのだろう。人によって受け止め方は様々で、これが正解と簡単に言えるものではない。

ただ、日々気付かないうちに何かがじわじわと浸食されるような感覚は確かにあって、それに何とか抗おうとしている自分がいる。

そう、だからこのnoteを始めたんだった。何となく原点に戻ろう、そんな風に思った。当初はそんなに気楽な感じで始めたわけじゃなかったのだ。どうにかして正気や「日常」を保つためのツールでもあったし、自分の中の真っ黒な感情を吐き出すというか文字に置き換えることで冷静に見つめる作業でもあった。できるだけ淡々と。

ベルリンにもそのうち秋がくる。今年の冬も淡々と乗り切れればそれでいい。また、書いたり走ったりしながら。

白神真志朗さんの曲には昨年から何度も助けられた。「もう帰らないと」をここに置いておきます。


タイトル画像:Photo by Bechir Kaddech on Unsplash




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