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逗子のカルチャーを作る。共同代表 長島源さん

(※今回のインタビューを動画にまとめています。よろしければ、動画も合わせてご覧ください。)

海の近くの小さな映画館「CINEMA AMIGO」代表の長島源さん(通称:源さん)

源さんは、まちづくりにも携わる建築家の父と、イギリス人の母の元に六人兄弟の末っ子として生まれた。

ご実家は1900年に曽祖父が立てた別荘で、逗子に残された数少ない別荘住宅の一つ。父の代から住居として使われるようになった。

ご両親は戦中疎開も経験されており、モノがない時代を経験している。

「モノが無いなら自分で作ろう」とか「あるものを工夫して長く使おう」
という考え方や「おばあちゃんの知恵」みたいなものも、幼少期から触れて育った。


こうして逗子で生まれ育った源さんだが、
20代のうちは国内外問わず旅をし、色んな人の価値観やたくさんの地域の文化に触れ、自身の感性に磨きをかけた。

これらの経験が、今の源さんの思想や価値観のベースを築いている。

働いて、旅をして。

20代は、色々なことに挑戦した。

イギリスに音楽留学へ。

留学したその年に、出したインディーズのアルバムが思いのほか売れた。

そこで、留学を一年で切り上げ、日本での音楽活動に力を入れることに。

帰国後、すぐに都内の駅近風呂なしの、ほぼ寝に帰るためだけの安いアパートを借りて生活。

都内で音楽活動の傍ら、友達のケータリングのお手伝いやタレント活動
をして、生計を立てた。

そして、夏は兄世代が立ち上げた葉山の海の家「ブルームーン」で働き、
お金をためては世界中を旅した。

当時ニュースタイルの海の家と呼ばれた「ブルームーン」での経験は空間からカルチャーやコミュニティが生まれることを肌で感じた原体験だ。

そんな源さんは、何がきっかけで逗子に戻ってきたのだろうか。

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秋谷「SOLAYA」が、逗子に戻るきっかけ

26歳の頃、横須賀市の秋谷で「SOLAYA」という、カルチャースペース立ち上げに関わった。

それまで横須賀、葉山、逗子、鎌倉、藤沢、茅ヶ崎はエリアの壁があり、多少の交流があってもそこまで混じり合っているわけではなかった。
しかしSOLAYAは地域をまたいだ同世代のイベント好きの仲間や音楽好きの仲間が集まり、さらに都内からの人の流れも混じり新たなコミュニティが生まれた。

残念ながら「SOLAYA」は一年半という短い期間で閉店となってしまった。

しかし、ここで毎晩のようにイベントを考え、仲間と語り合った時間はとても濃厚だった。ここで出会った仲間がCINEMA CARAVAN に繋がっている。
※CINEMA CARAVANは「地球と遊ぶ」をコンセプトに、五感で体感できる移動式映画館です。

こうして「空間からコミュニティーやカルチャーが生まれる」ことをSOLAYAやブルームーンでの実体験から学んだ源さんは「30歳になる頃には自分発でカルチャースペースをつくりたい」と思うようになった。

来たる30歳に向けて場所探しを始めたのだ。

最初に目をつけたのは葉山の湧水の湧く「星山温泉」だ。

この場所で仕事帰りの大人がひとっ風呂浴びているかと思えば、音楽好きたちが奏でるジャンルレスな多様な音楽が響き渡る、不思議な空間を想像していた。

しかし、そんな妄想を膨らましている時に今の「CINEMA AMIGO」の場所が空きになったと知らせが入る。

この知らせを聞いた時の、源さんの反応は「ここだったら何をやるか?」だった。

逗子海岸沿いの国道134号線から一本裏手に入った、歴史と風情の残る閑静な住宅街に位置するこの場所では、これまでのライブのできるカフェのような音楽を中心とした空間は騒音の問題などで難しいと考えたからだ。


「SOLAYA」で出会った仲間たちは交流はもちつづけたが写真家や音楽家など自分の分野の力を高めていた。その中の二人の仲間に声をかけ、まずはこの三人でクリエイターが使える基地として会社BASE LLC.を立ち上げ、その最初の事業として映画館のCINEMA AMIGOを作った。


【映画館であれば、流す映画でテーマも変えられる。それまで同世代で集まってきたが映画という切り口なら世代をまたぐカルチャースペースを作ることが出来るかもしれない。】

このような切り口で、空間作りをスタートさせた。

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初期のイメージはこうだ。

【常に映画というイベントがありつつ、ライブ、トークそして学びや食といったモノ・コトが集まる、地域の拠点になる場所を作る】

このイメージを形にすることに決め、動き始めた。

そして、自分発の空間を作るにあたって、意識したことがある。

この動きが「食、エネルギーや文化も含めたローカルが自立した社会」につながることだ。

もともと日英のミックスという生まれから自分のアイデンティティは意識せざる得ない環境にいた。そこで出した一つの答えは日本人やイギリス人という感覚よりも「逗子人」であるというものだった。


また旅をしていた20代後半の時に参加したwavementというサーファーとミュージシャンで六ヶ所村の廃棄物再処理場へイベントを開催しながら向かったツアーの影響もあった。

【都市部に人やモノやエネルギーが集中することで、地方の過疎化や中央依存などの様々な問題を引き起こしている。
 だからもっと人は分散し、それぞれの地域が自立した文化や経済圏を築いて行くことが持続可能な社会につながるのでは?】

だから、自分発の空間では出来るだけ、地元の食材を利用したり、
仲間の作家が作った家具を取り入れて作り上げることにした。

そしてDIYの精神で内装など自分たちで手を入れられる部分は自分たちで手がけた。

約束の30歳

こうして出来上がったのが、逗子で愛され続ける海岸近くの小さなシネマカフェ
CINEMA AMIGO」だ。 

源さんは30歳になっていた。


SOLAYA解散後、それぞれの場所で、それぞれの武器に磨きをかけた仲間達との再会を会社設立のタイミングで果たすことができた。

この仲間達と一緒に立ち上げた会社が「BASE」だ。

この会社はフリーランスとして活躍するものづくりに関わるプロフェッショナルたち(仲間達)で結成され、

「一人では出来ないことを、チームで出来るようにしよう」

をコンセプトとして、活動を続けている。

現在はここで生まれたCINEMA CARAVANは外と繋ぐ船、地域に根差すCINEMA AMIGOの2軸で活動している

30歳になって戻ってきたのは、やっぱり逗子だった。

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逗子は自然もあるし、人も穏やかで、人材が豊か。

そして、まちの規模感もちょうど良くて、生活しやすい。

個人の商店も元気で、地元の食材を調達しやすいのも良い。

そして何より、逗子に愛着と誇りを持っている人が多い。

観光地とは違い、目立つものはないけれど、常に面白い人たちが集まって来るから、何年住んでも飽きないのが良いところだ。


そして自分が目指す地域自立型社会を実現するのに既に人間関係ができている逗子は最適な場所に思えた。

だから、逗子に戻って来た。

源さんの逗子のおすすめスポット

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他の地域を見た上でまた逗子に戻ってきた源さんに、逗子のおすすめスポットについて聞くと「池子の森」だと教えてくれた。

ガイドマップには載らない。地元の人は知っているけど、案外行ってない。
だから、すごく穴場なんだと教えてくれた。

【ここは、あまり人の手が入っていない自然も感じられるし、心地良い風が吹いて時間を忘れられるから好きだ。】

逗子には、迷ったり、悩んだりした時に、心を休めることのできる場所がある。

それは、海かもしれないし、お気に入りのカフェかもしれない。

だけど、必ず自分だけの居場所を見つけられるのが、逗子の良いところだ。

逗子アートフェスティバル(ZAF)とは、いつから関わっているの?

最初は「逗子市主導」のアートフェスティバルで、すでにあるイベントを
集め、ひとつにしたものを、逗子アートフェスティバルとして開催していた。

そのイベントの企画の一つとして「逗子海岸映画祭」に依頼が入ったことが、ZAFに関わるきっかけだった。

しかし初期は名前だけ貸しているような関わりだった。

2017年に転機が…

その年は、逗子文化プラザホールで音楽祭の企画が動いていたが、
諸事情により主催者が音楽祭の開催を断念せざるを得なかった。

しかし、源さんは自ら手を上げて音楽祭の開催に向けて再度動き始めた。

行政の力を借りて実現した、池子の森の音楽祭。

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実は、以前から逗子での野外の音楽祭開催に興味があり、やれるとしたら池子の森だなと妄想を膨らませていた。

もともと池子の森は米軍(アメリカ)の管轄で逗子市民が入れない場所だった。
2015年から共同使用地となり市民団体の通常使用(例:陸上教室をやりたいから、半日貸して。とか)は、手続きを行えば、使用させてもらえるような所まではきていた。

ただ、音楽祭というイベントでの使用は、目的外使用での手続きになり
市民団体が使用許可を得ることは難しかった。

そこで、源さんは閃いた。

【行政と共同で開催されるアートフェスティバルの枠組みの中では開催できるのでは?】
行政の力を借りて交渉した結果、逗子市との共同事業での使用ならばとイベントの開催を許可してもらえることになった。

そして生まれたのが「踊って、食べて、寝そべって」がテーマの池子の森の音楽祭だ。

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池子の森の音楽祭は、行政が市民に寄り添い力を貸してくれたからこそ
実現することが出来た、官民協働の良い事例となったのである。

源さんの考える、逗子アートフェスティバル2021

昨年(2020)の逗子アートフェスティバルは、コロナの影響を受けつつも
ZAFのメンバーやボランティアの方々の協力により、開催することができた。

【厳しい状況ではあったが、その中でも集客をのばし、逗子のイベントとして定着してき ている。】

だから今年は、今までやってきた事を丁寧にやり、今までのことを深める時間にしたいという。


カルチャーを通して持続可能な街へ

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行政の力も借りながら「市民主導」で資金がない中でも、維持・発展してきた逗子アートフェスティバルを持続していくこと。

そして、ZAFの取り組みが影響を与えて、自分の”街”に愛着と誇りをもつ人が増えること。

さらに言うと、自分の”街”を、自ら手を動かして耕していくような人たちが増えて、それぞれの”街”の中に、自立した文化が育まれていくような流れができて欲しいと考えている。

なぜ、そんなことを考えるのか。

それは「続いてく”街”にはカルチャーがある。」と、旅の経験から感じた
からだ。

だから「CINEMA AMIGO」や、池子の森の音楽祭など、地域に根ざした、拠点作りやイベント作りに、尽力してきた。

そして、それぞれの拠点が人と人をつなぐ結節点となって、年齢とか性別、立場という域を超えた”真の人のつながり”を実現していくことが、これからの夢だと教えてくれた。

インタビュアー/ライティング 中島理仁
撮影/編集 坂元寿行



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