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苦手克服と夢を叶えられる場所。共同代表中島文子さん

(※今回のインタビューを動画にまとめています。よろしければ、動画も合わせてご覧ください。)

夫の仕事が葉山で逗子に移住をして24年、今年の逗子アートフェスティバル共同代表となった中島文子さん。中島さん自身も絵を描くアーティストだ。
中島さんは大分県別府で生まれ育った。逗子に降り立った時、都会は住めないけど、逗子なら「住める」と感じた。しばらくして、大分と気候が似ていると気づく、海が近くて背後に山があって似ていると。商店街も懐かしく、ゆっくり時間が流れていると感じ、魚屋さんが駅前にあるのも良かったから「逗子なら住める」と直観したのだろう。

現在、中島さんは放課後デイサービスにて発達支援の仕事をし、働きながら絵本の挿絵をしたり、アートにも関わりながら久木地区に住んでいる。

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※挿絵をしたのは逗子で関東大震災にあった方の実話の絵本です。

【私が福祉に関わった理由は、障がいのある親戚がいたこと、友人のこどもが自閉症だったことから福祉に興味をもったから。以前、仕事でB型支援(障がい者の就職訓練を行う福祉サービスのひとつ)で働いていた時に指導をしていて若い方ほど、のびしろを感じた。特に若い方、子どもの支援をしたいと思い、現在は放課後デイサービスでの活動をしている。】
障がい者支援の活動をしていると、中島さん自身も支援している子ども達と自分が似ていると感じるそうだ。
子どもの頃、学校ではあまり馴染めず、絵を描くことで自分の癒し、メンタルを保っていた。生きづらさを絵を描くことで昇華させていた。これが中島さんの絵を始めるきっかけだった。

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美大に行きたくて絵を習っていたが、結局別の短大に通うこととなり一度夢を諦めた。
そして大人になり娘さんの生まれた頃、2011年東日本大震災が起きた。
【人生いつどうなるかわからないから、生きている間に一度くらい一生懸命やる時期もあっていいかな。もっとしっかり学ぼう、やりたいことはやっておこう!】と決意し武蔵野美術大学の通信で学びなおした。
【家族の協力もあったから勉強もできた。出だしは遅くても作家として何か残せたらな。】 

人や行く場所の距離が近い逗子

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中島さんにとって一度諦めていたことをやり出した街であるのが、逗子。そんな中島さんから見る逗子はどんな街か話していただいた。

【逗子は端から端まで歩けるくらいの大きさで、人との距離が近く、二人くらい知り合えば共通の知り合いがでてくる。コンパクトシティで市長や行政との距離も近い。

通信で勉強をしていた頃、逗子で良く行っていたスポットが中島さんのオススメの場所だ。
「なぎさ橋珈琲」逗子海岸の葉山寄りにある。渚橋交差点の目の前、最寄りのバス停は切通し下。
【職場の近くで良く通っていて、特にソファー席が座りやすく長居できます、大学のレポート書いたりしながら、周りの会話とか面白くて、でも1人で行くのが一番良い。実は1人の時間が好き。オススメメニューは手作りの自家製ジンジャーエールでこれが一番美味しい。】
中島さんは自分の時間を逗子で楽しんだ。

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偶然の繋がり、支援だけのつもりが「みんなでアート」の誕生

中島さんが逗子アートフェスティバルに初参加したのは2019年から。逗子アートフェスティバルは逗子に住んでいて開催されていることを知っていたけれど、なかなか参加するきっかけがなかった。
市の財政難により開催が危ぶまれ、2018年から市民主体で開催ができるように「逗子アートネットワーク」(逗子アートフェスティバルを運営する市民団体)が発足し、その際にクラウドファンティングが行われた。その時、中島さんは寄付をしたのだ。まずは支援からと思い2018年から「逗子アートネットワーク」の活動を知った。

2018年の逗子アートフェスティバルで作品を見ていた際に中島さんの頭にふとよぎった、

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【自分自身、癒しの為に絵を描いている。障がいのある方や子ども達にもアートが癒しになればいいな、アートと人が繋がればと思い自身で教室を開いている。私は小さく絵を描いていて、販売しているわけじゃない。なぜ世の中には障がいを持っている方々の作品に魅力を感じるのか?】そんな時、「地蔵とリビドー」知的障害や精神疾患を持つアーティストたちによる作品の魅力を掘り下げていくドキュメンタリー映画に出会って答えが見つかった気がした。

地蔵とリビドー

「アートとは何か」を教えてくれた映画との出会いと逗子アートフェスティバルの出会いで逗子でもこの映画を上映したい気持ちが現れた。勇気をもって2019年から「逗子アートネットワーク」のメンバーに参加した。

しかし映画だけだと人が集まらないことの意見が周りから出た。それならば、他とのコラボレーションをしたら集客につながるのではと考え、逗子アートフェスティバルの公開型全体会議で出会った逗子アートネットワークのメンバーの70代で現役の逗子在住、針も糸も使わずウェディングドレスを作る矢部さんや片手のマジシャン、シリュウさんとの出会いなどで、障がいがある方も子供も年配の方もみんなが楽しめるアート作品ができる場を作ればいいじゃないかとなった。さらにすこやかいきいき協議会(障がいの有無や暮らす環境を問わず健康づくりや生きがいづくりのプログラムを提供し、支え合える地域を目指すボランティアグループ)の服部さんに相談したところで「みんなでアート」が生まれた。2019年、逗子文化プラザさざなみホールにて映画の上映だけでなく、マジックショーや車いすドレスのファッションショーなどとのコラボレーションで初開催された。

みんなでアートは毎年続けていくことに意味があると中島さんは思っており、2020年も開催を予定していたが、新型コロナウイルスという難関がやってきた。しかし、中止という考えはなく、メンバーで考えた結果「コロナでも出来る作品はないか?」ということで、屋外の広々とした空間、池子の森でビニールシートに絵を描くことで飛沫防止にもなる作品を障がいのある方々と作ったり車いすドレスのファッションショーでフェイスシールドを付けたり「みんなでアート」をオンライン配信にするなど試行錯誤しながら開催に至った。

そして今年、車いすドレスのファッションショー以外にも障がい者とのダンスやワークショップ、障がいとは差別とは何か?と分かり合える講座、さらには映画も復活させて、障がいをもった方々が自立して街で暮らしていくドキュメンタリー映画「道草」も予定している。
逗子さざなみホールにて11/12に開催予定だ。
また、みんなで作った作品の展示は11/10~14逗子文化プラザホールギャラリーにて行う。

道草ポスター_page-0001

みんなが混ざり合う街、逗子

逗子の今後についてインタビューで考えていた中島さん。
【逗子市にはトモイクフェスティバルが開催されているように街全体がみんなと一緒に成長しようとする街である。そんな逗子で私はみんなでアートという作品を通して障がいがあってもなくても、子どもでもお年寄りでもみんなが混ざり合う世界をもっと生み出したい。昔、大分に住んでいた頃、町内で盆踊りとかあると何も気にせずみんな集まった時代があった。逗子がもっと日常にみんなが集まれる街になれば、さまざまな会話に逗子アートフェスティバルの糸口など集まれるきっかけがあれば、きっとみんなが混ざり合う世界になるかなと思う。】
※トモイクフェスティバルとは毎年春に逗子市民交流センターなどで行われる、逗子で共に育ち共に生きるをコンセプトに開催されているイベント。

中島さんの夢(逗子で今後やりたいこと)

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障がいの方々を中心にアートを楽しもうと関わって3年目。
今年共同代表になった。自分からやりたい事の発言をしたり、実際に動くのが苦手な中島さん。誘うのも断られたらどうしようかな?とかいろいろ考えてしまうと言う。
【逗子の人々の特徴なのか?やりましょうと言ってくれる人が多くて意外と断る人はいなかった。】
逗子アートフェスティバルで「みんなでアート」が出来た!だからこそ共同代表として自分の成長があればと。自分も変わるきっかけになると感じているという。
今後の中島さんの夢は、
【最期まで現役で絵を描き続けることとアートに特化した放課後デイサービスを作ること。みんなが好きな材料で自由に制作したり、好きなことを出来るようなフリースクールも一緒になったようなデイサービスを作りたい。
さらには、放課後デイサービスを卒業した後の雇用の場をつくり、市内に提供するお弁当やアート作品を販売できたらと。
放課後デイサービスに通う子ども達は色々な問題を抱えていますが、一方では絵がうまかったり、作曲が出来るなどの特技を持っている場合がある。そういう子どもの才能を伸ばしたり、アートを通して、うまく物事を伝えられない子達の魅力をもっと引き出してあげたいです。勇気を出して克服。自分を出せる!住んでるだけじゃなくて苦手克服と夢を叶えられる街、予算がなくても言ってみたらできちゃう・・・逗子の心広い人たち。それが逗子かな。】

インタビュアー/ライティング たかけろおねえさん
撮影/編集 本藤太郎



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