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僕の奇妙な冒険

僕は昔から頭痛持ちだ。
世間では偏頭痛と言うと思うが多分僕のそれは少し違うと思う。
実際の偏頭痛の人の悩みとかを見聞きするとまだ自分はそこまでの段階ではないのかなと感じるからだ。
一応周りには偏頭痛ということにしている。
傍目から見てもわからないし改めて説明するほどのことじゃない。

はっきり覚えているわけじゃないが僕の頭痛との付き合いは思春期頃からだったと思う。
なぜか夕方に起こりやすかった。
そんな時は週3回くらいの20時の塾で1番前の席で講義を受けていると頭痛はよく消失していた。
それで治っていたのが今でも不思議に思う。

今でもそうなのだが頭痛が起きたら大半は市販の薬で済ませるようにしている。
一応それで落ち着いていた。
多分本当の偏頭痛の人はそれで解決しないのだからやはり肩を並べるのは申し訳ないと思っちゃう。
僕の頭痛は病院に行くほどじゃない。
1番は病院に行くのが嫌いなのだ。

最近は年齢を重ねるごとに肩こりや眼精疲労で頻度が高く、市販の薬も効きが悪い気がしてきた。
社会人になってからは不規則な生活の疲労や仕事のストレスでより頭痛の頻度と強さは上がった気がする。
元来持ち合わせている考えすぎる性格も自分を内側から痛めつけ、それも頭痛の種の1つになっていると思う。
不眠症も止まらない。

よく人からは考えすぎだよとか気の持ちようだとか諭されることがあるのだが考えすぎることに悩んでるのに考えすぎだよと言うのは酷だと思う。

社会人3年目あたりごろが精神的に脆かった時だと思うのだが、この頃不思議な体験をした。
僕が勤める病院ではそういう環境というのもあるのかいわゆる「見えるひと」というのが職員や患者さんにたまにいる。
正直占いや霊的なものはあまり当てにしないようにしている。
科学的にとかそういうことじゃなくて盲信するのは馬鹿げていると思うからだ。
しかし3年目の僕は精神的に脆かった。
頭痛が本当に酷かった時にふと患者さんに聞いてみたのだ。
左肩に若い女性が憑いているとの事だった。
確かに肩の凝りは酷かった。
しかしこれだけなら僕も信じたりはしないのだが距離の離れた所にいる別の見える患者さんに聞くと同じ答えが返ってきた。

信じてなかったのに精神的に脆いその時期の僕にはちゃんと響いた。まさか霊とは。
女性に恨まれる覚えなんかないし、知らない霊がなんで僕を苦しめるのだ。
激しく拒否感を持って薬を飲んだり、身体を休めて対処しようと一向におさまる気配はなかった。

1週間くらいしたころからふと思い始めた。
「霊は頭痛を助長してくるけどそれ以外はなんもしてこないな」
普通霊がついたら不運な目に遭うんじゃないか?いやそもそも普通ってなんだ。
心霊ドラマの見過ぎか。
少し霊を怖くなくなってきた時に霊に対して前向きに受け入れるメンタルになってきたのだ。
すると身体はふっと軽くなってきたのだ。
2人の患者さんに確認すると跡形もなく消えていた。さよならも言わずに。
霊だって人を不運な目に合わせることが生業かもしれない。
それなのに霊を受け入れるという僕に対して拒否感を覚えてしまったのか。
これから僕のスタンドとして世界を救うために戦っていたかもしれないのに。

冗談はさておき僕の頭痛は一旦落ち着いた。

気の持ちようというのはあながち嘘ではないようだ。
大事なことは起きてることをどう捉えるかなんだ

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