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てきとうに買ったお皿一生使う説

割れていないお皿、捨てられますか?

私はなんだかどうにも捨てられない。ほかの日用品は別に壊れていなかろうが不要と思えば構わず処分できる性分なのに、ひびも入っていないきれいな食器を捨てるのは、なににも増して罰当たりな気がするのだ。
捨てられないし、たぶんフリマサイトなんかに出しても売れないだろうから仕方なくずっと使っている食器というものが、だからいくつか家にある。

例えば、白地に藍の細い縦縞が入った6寸ほどの中鉢。こう書くとなんだか粋な雰囲気だが、味気なくつるりとした肌と、一応手描きを模しているふうなのにどうにも印刷物めいた均等な縞模様がいかにも安物の量産品、という風情の一品で、たまにチェーンの居酒屋などでまったく同じ質感、大きさ違いの小鉢が出てきてウケる。
これは確か、一人暮らしを始める折に、近所のダイエーの食器売り場で購入した。300円くらいだったと思う。透明なプラスチックの大根おろし器が、ちょうど蓋のような恰好でついていて、大根や長芋を擂ったあと蓋を外せばそのまま食卓に出せます、という触れ込みだった。

食器棚を開けてそれが目に入るたび、ああダイエーの、300円のやつ、と思いながら、これがまあ10年使ってびくともしない。さらに困ったことには、気に入りの器をいくつそろえても、なぜか毎日のように手に取ってしまう。

なんてことない和風のお惣菜に、妙にはまるのである。大抵は茹でた枝豆、白和え、きんぴらや切干の煮物といった副菜をがさっと入れて食卓にぽんと出す。肉じゃがや鶏大根といったメインどころの煮物の、一人前にちょうどよい量が入るので、一人でご飯を食べる日にもついつい手が伸びる。

さらには調理工程にも活躍する。卵を溶く、調味料を合わせて混ぜる、揚げ衣をつける、わかめを戻す、切った肉や粉類などをちょいと入れておく。
大きさ違いのボウルなどあれば恰好がつくのだろうけれどうちの台所にそんなスペースはなく、直径30センチほどはあるガラスのボウルだけ、かろうじて流し下に置いてある。大きくて重たいそれにご登場いただくにはちょっと大げさ、というときに、ほどよいサイズで雑に扱っても心の痛まないそいつは重宝な存在だ。

こうしてなんだかんだ出番が多いので、かの中鉢は食器棚のいちばん取り出しやすいところ、真ん中の手前に鎮座している。水滴のような意匠がうつくしい、北欧から来たガラスの小鉢を押しのけて真ん中に。おおらかな絵付けと玄妙な色合いに惹かれて買い求めたやちむんの深皿よりも、結婚祝いでいただいた、タンポポの綿毛のような柄がかわいいサラダボウルよりも手前に。

なんだかなあ、と嘆息しながら今日も手に取ると、底の丸みは手のひらに柔らかく沿い、慣れ親しんだ持ち重り。思わずおおダイエーよ、300円よ、と歌いながらふと、もしもこれが割れてしまったら、私は存外悲しむのだろうな、とよぎった。100年後、きっとこいつは付喪神になる。

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