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安楽椅子ウインドウ・ショッピング

ウインドウ・ショッピングが好きだ。

自分には絶対に似合わないけれどとてつもなく美しい洋服や靴、どこに飾ればよいか図りかねる色鮮やかな雑貨、海の向こうからやってきたスタイリッシュで大きすぎる家具、いつかほしいと8年思い続けているジュエリー。

もし本当にほしければ買ってもいいし、うーん、でも今は買わなくていいかも。
これをもし所有したならば、もしこれに似合う私だったならば、とパラレルな生活を想像しながら美しいものどもを眺めてまわる道のりは、ふわふわと無責任に楽しい。

仕上げになにかひとつ、今日の楽しさの証になるようなものを買って帰る。
実用的でないものがいい。くだものがたっぷり乗ったタルトとか、きれいな絵柄の一筆箋とか、中身を確かめずに買う小説とか。


例のウイルスが猛威を振るい始めてから、娯楽のために出掛けることが、なんだかしづらくなってしまった。
買うものを決めずに出掛けることも、もうずいぶんしていない。
だから、そんなウインドウ・ショッピングの楽しみを、家にいながらにして味わえる本について書こうと思う。

***

クラフト・エヴィング商會のつくりだす本は、書籍の形をとったアートだ。

もともとは、彼らの営む商店が扱う(という設定の)架空の商品や書籍について解説する、というユーモア溢れる展覧会での活動がはじまりだったらしい。
残念ながら展覧会に行ったことはないのだけれど、同じように架空の品々の紹介文と写真(!)をまとめたカタログのような本を何冊か持っている。

どんな商品かというと、こんなぐあい。
目次を眺めているだけで、うっかり日常の裏側に紛れ込んだような、奇妙な気持ちになる。

・迷走思考修復機
・アストロ燈
・水蜜桃調査猿
・青い火花を散らすもの

クラフト・エヴィング商會「どこかにいってしまったものたち」目次より一部抜粋

・ひとりになりたいミツバチのための家
・稲妻の先のところ
・軽業師の足あと
・スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス

クラフト・エヴィング商會「アナ・トレントの鞄」目次より一部抜粋

自分たちの書籍以外にも本の装丁を多く手掛けているチームらしく、表紙や文章の内容だけでなくフォント、紙の質感、余白などに仕掛けが凝らされていて、まるで実在するお店のカタログをめくっているよう。
載っている商品もあくまで架空の存在ながら、緻密に作りこまれた写真や絵図と設定によって、もしかしたらこの世のどこかにひっそりと在るのかもしれないと思えてきて、購買意欲がうずく。

子供のころ、ハリー・ポッターシリーズを読んで、ダイアゴン横丁でのショッピングに憧れをつのらせたときの気持ちに近い。


特に、クラフト・エヴィング商會を知るきっかけになった「アナ・トレントの鞄」は特別な存在。

(リンク先で、彼らの世界観の片鱗がうかがえるような短い文章が読めます)


大学の図書館で偶然出会い、何度も何度も借りては読み返して(文庫本でも教科書でもない書籍を買う、というのが学生時代の私にとっては大変なぜいたくだった)、卒業するときにやっと買い求めた、という経緯も相まって思い入れが深い。
今でも赤い表紙を見ると、立ち並ぶ書架と自習室の素っ気なく白い照明が思い出される。

趣向としては、映画「ミツバチのささやき」で主人公が手にしている鞄に特別な思い入れを持つ商會の仕入れ担当が、その鞄を探す旅の中で見つけた商品を紹介するというもの。

家具や機械のようなものは(おそらく、仕入れのために持ち歩いている鞄の中に入らないという理由で)なく、いずれも机の引き出しに収まりそうな大きさの雑貨で、人生の余白にそっと紛れ込むような控えめで謎めいた佇まいをしている。
仕入れの旅の中で出会った人との、ちょっとへんてこなエピソードが挟み込まれているのも楽しい。

リストにつらなる品々は、いったい何に使うのかわからないものも多い。
けれども(だからこそ?)、率直で簡明ながらもどこかポエティックな文章と、骨董店のカウンター奥から大事に取り出されてきたような風情の商品写真には、いちどはそれを手にとってみたいと思わせる不思議な魔力がある。


そのなかでも特に惹かれたのは、エジプト神話のエピソードに由来を持つ菓子、「マアト」だ。

魂の(もっと正確に言うと、心臓の)重さを量るための羽根の名前を冠されたその食べ物は、名にふさわしくどこまでも軽く、はかなく、かそけき食感と味わいを持つらしい。

写真からは、肝心の菓子の姿は窺えない。
静かな空気を纏った小さな白い箱と、同じく白い薄紙の包みがあるだけだ。
それは例えばわたあめに似ているのだろうか、それともメレンゲ? はたまたハッカパイプか。
空想はどこまでも膨らんでいく。

作られたときの重さに応じて、個体のひとつひとつに天使の名前がつけられている、というくだりもニクい。

そんな魅力的なエピソードがつまったマアトだけれど、これをめぐる文章の白眉は最後の数行にあると思う。
詳細は伏せるけれど、それは外見や味、食感に関するものではなく、心得だ。この世にもはかない菓子を味わうために必要な、作法のようなもの。
それを読んだ瞬間、奇妙な名前の理由はその「軽さ」だけにあるわけではない、ということがわかる。

「シノーレスの函」の頁でもそうだけれど、この本を読んでいるとときどき、心がしんとする瞬間が訪れる。そこが好きだ。

***

ずいぶん長くなってしまった。
本当はもう一冊、それについて書きたい本があったのだけれど、またの機会に回そうと思う。

明日のおやつには、なにか白くてふわふわしたお菓子が食べたくなった。



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