感情も資源としての有効活用が出来るのではないか?
「隣の芝生は青い」と言う言葉があるように、誰かのことを見ると自分よりも恵まれている、羨ましいと人は思うもの。
自分に無い物を持っている人ってとても輝いて見えるものです。
そう言う人を見たときに、自分の中に湧いて出た感情を昇華の方向に持っていける人って言うのは、爆発的なものを産み出すことが出来たり、仕事でも大きなことを成し遂げる人が多いような気がします。自分の中でのガソリンに変えていると言うか。
人の心を動かすようなクリエイターとかって見えない感情を上手く自分の力に変えているような気がするのです。
そのような感情、上手い言葉が見つからないけれどもそれを嫉妬心とでも言うのかな。
そう言う他人を羨む感情を持つってことは決して悪いことではないとは思うのです。時としてプラスに働く面もあるから。
でも、良い大人なのに、その感情を対人関係の次元で引っ張り出してきて、さらには向きだしにして(もしくは密かに)向けてこられるとちょっとやり取りしていて窮屈だなぁと感じるのです。個人的には一歩引いてしまうかな。
良い大人なのに、この人、何でこうも滲みでちゃうのかな。と少し残念に思うのです。
嫉妬心も自分の中でガソリンとして燃やしていけば良いのに。誰かに向けてぶちまけるのはもったいないじゃないか。せっかく築き上げている対人関係に放火する気なのか。着火マンなのか。笑
直接的にしろ間接的にしろ、そう言う感情を向けられると、その人が一般的に幸せであるとされているような物を手にしていたりしても、どこか満足してないのかななんて感じることがある。
せっかくなら、その気持ちを自分の中で燃やしてみたらどうだろう。
感情資源も有効活用すべきだと思うんだよな。
自分に無い物ねだりの気持ちを向けて来る人って、透けて見えると言うか、接していると、何となく分かるんだよなあ。 今日はそんなことを思った次第です。
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