とは言え、親はスポンサーとしてこどもに言うべきことはある。
もし、偏差値70のハイレベ校に入れる実力がある我が子が、偏差値38の学校に行きたいと言い出したら、親はどうする。
親が最初からこどもをコントロールしていたなら、低い偏差値の学校を意図してこどもの視界に入れていないからこんなことはほぼ起こらない。
こどもを信じている親ほど、ときどきこどもの視野狭い範疇での浅はかな希望に
ちょっと待て
と言いたくなるのでは。
親は結局こどものスポンサー。
スポンサーにはもちろん、出資先を良くするための発言権はある。
制服が気に入らない
場所が気に入らない
見学行ったけどピンとこない
靴下が学校指定なのはいや
男子が少ない
こどもの世界では大きなことだけれど、
逆に目まぐるしく毎日成長しているこども期では1年後どうでも良くなっていることかも知れない。
発達障害によるこだわりなどではすぐにこれらが解消されるのは難しいけれど、
こども期あるあるによるこだわりなら、スポンサーが、口を挟む出番ではないか。
ここでスポンサーが
自分の意見を頭ごなしに伝えてこどもの今持っている意見を否定すると、こどもはきれいにその小さなこだわりを徹底強固に保持するスタンスになり始めてしまう。
どうせ出資するなら、
お互いWin-Winでいきたいものだ。
もちろん偏差値高い学校が幸せになると言っているわけではなく、学校なんて入ってみないとわからない。人生なんてやってみないとわからない。
だけど大人として質の良い教師が居そうな学校をお勧めするのは当然。
そして我が子がハイレベ校に行けば親自身のブランドにもなる、その動機ももちろんサイコー。
こども自身が最後に自分で選択して、自分がそこにすると決めたから合格できる。
これは学力がというより、心理学や量子力学の話に寄るけれど、本人の意識が、意図がターゲット(志望校)に向かうには、やはり「自分で決断」が絶対不可欠なのだ。
スポンサーとして、
こどもに自分の心をさらけ出して
腹割ってどの範囲なら出資できるかを
ちゃんと示せば案外
その中でわりかし自分に良いように
こどもは自身の意図を持って行くから。
しょせん、まだまだ世間なんて知らない義務教育の未成年。
スポンサーは越権しない範囲で口を挟んでいかないと、スポンサー側もイライラして気持ちよく学費払ってあげられなくなっちゃうからね。
どうせ払うならハッピーに。
親と子両者合致できる案で気持ちよく受験に挑めたら本当に楽しい。
こどもは、意外と大人とディベートできちゃうよね。