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なんとなく「祝典」を考察する日々|ももクロ6thアルバム

この記事を読んでくれている多くの人は"モノノフ"であろう。そんなモノノフに聞いてみたいことがある。

タイアップ曲や先行シングルが多いアルバムは好きですか。

好みは分かれると思うが、個人的にはあまり好きな方面ではない。アルバムのコンセプトが薄れてしまうからだ。タイアップの色が強ければなおのこと。やはりアルバムの中に先行シングルは1〜2曲が望ましい。

それでいくと、ももクロのニューアルバム「祝典」はどうか。リリース済みのシングル3曲、先行配信されたタイアップ曲が2曲と、少し多いなという印象。

が、これらの楽曲群を"祝典の儀式"というコンセプトでまとめ、世界観をガチガチに構築している。この発想はおもしろいし、さすがももクロ陣営だなぁとうならされる。

公式サイトより引用

しかし…包み隠さず本音を言うと、少し物足りないと感じる。SHOWに見立てて世界観を作り上げた前作『MOMOIRO CLOVER Z』に比べると、少し物足りなく感じてしまう。ちょうど仕事の忙しさも重なって、楽しみではあったけど、前作ほどのめり込めてはない。それが偽らざる『祝典』の第一印象だった。

第一印象「だった」

そう、つまり上記は既に過去の話である。いきなり過去の話してんじゃねーよという声には心からお詫びするとして…「今ではどうなんだ?」と聞かれると「完全にひっくり返った」と答えたい。こんなにおもしろく、考えさせられるアルバムは滅多にあるもんじゃないと思ってる。ももクロ6thアルバム『祝典』、これは名盤である。楽曲の良さもさることながら、コンセプトから伝わってくるメッセージたるや。聞けば聞くほど新しい発見がある。タイアップ曲や先行シングルも、この流れで聞くと違った顔を見せてくる。様々な解釈ができる。これは厄介なアルバムだ。

そんなアルバムなので、スッとまとまった感想を書くというのは難しいかもしれない。語りたいことが多すぎるし、脱線して話したいこともたくさん出てくるだろう。

が、バラエティ豊かな楽曲群を見事にまとめ上げ、ここまでの名盤に仕上げてくれたももクロ陣営に敬意を込めて、自分なりにこのアルバムの解釈を文章に書き残しておきたいと思う。あくまで個人的な解釈であるとご理解の上、興味ある方は読んでいただけると嬉しいです。

なお、解釈にあたって、お坊さんYouTuberであり、友人でもある武田さんの仏教的な視点に大きなヒントを得ております。先日のディスカッションでは様々な気づきがありました。武田さん、改めてありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。


アルバムのテーマについて

ではさっそく綴っていきたい。まずはテーマから考察する。この祝典のテーマは「コロナ禍で苦しむ人を元気づける儀式」だと結論づけた。

こう考えるに至ったのは根拠がある。それが11曲目「なんとなく最低な日々」だ。それにしても11曲目から感想を書き始めるなんてさっそく散らかってるな、と思う。流れに沿って全曲解説する、というような綺麗な考察は早めに諦めておきたい。

ただ、どうしてもこの曲から入りたい。なぜなら、この曲には非常に印象的な歌詞があるからだ。ここに「祝典」を読み解くヒントがあると考える。

今は2022年 目眩く渦の中
「なんとなく最低な日々」より

「曲の中でここまで年代をはっきりと明言するのは珍しいですよね。つまりこの年にこの祝典をやる意味を強調してるんだろうなと思って」

これは、前述したお坊さんYouTuberである武田さん(以下、武田さん)の感想だが、これについては全くもって同意する。さらに、ここのパートを歌うリーダー夏菜子ちゃんの歌い方も印象的で、小難しいことを考えず、なんとなくこのアルバムを楽しむスタンスの人にも印象に残る部分だと思う。それほどのメッセージを感じさせる何かがこの曲にはある。

はっきりとした年代を明記することで時代を強く印象づけることはできる。だが、その代償として数年後にこのアルバムを聞いたとき思い出す時代が固定されてしまうという副作用がある。

音楽とは記憶を呼び覚ます装置でもあると思っていて、青春時代に聞いてた曲を聞くと、あの頃を思い出しノスタルジーにひたってしまう感覚…そんな時間は誰にでもあるだろう。僕はこの感覚が好きで音楽を聞いているといっても過言ではない。

だが、思い出がリリース年と重なるとは限らない。例えば僕は小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」を聴くと1999年を思い出す。大学の追いコン(卒業イベント)で先輩がカラオケで歌っててこの曲を知り、小沢健二を好きになったからだ。が、この曲のリリースは1994年である。

このように、リリース日から何年か経って曲を知り、思い入れを持つケースは多いはずだ。ももクロはこれから先も何年も活躍するだろうから、「祝典」を数年後に知る人も間違いなく出てくることになる。その人たちにとっての「今」は2022年ではなくなっているわけだ。

それでも明確に「この祝典が行われてる今は2022年ですよ!」と刻んでおきたかった。これはもう2022年にこの祝典が行われることに強烈な意味があると考えるしかない。ではその意味とはなんだろうか。

***

そう、コロナ禍である。(ここまで前フリしなくても誰もが連想してるだろうが)

この祝典はコロナ禍に何かしらの目的を持って行われている。その目的を考えることが、このアルバムを理解するヒントになるはずだ。

***

ここで僕はひとつの疑問を持っている。それは祝典という言葉の意味についてだ。祝典というのは「祝う」という文字が入ってるくらいだから、何かしらお祝いをしなければならないのではないか?お祝いと言うと、何かが"ひと段落した感"がある。にも関わらず「目眩く渦の中」である。

コロナは今なお、その渦中にあり(あくまで世間的には)終わってはいない。終わっているなら終息のお祝いということでしっくりくるが、まだ終わっていないのだ。となると、この祝典は一体何をお祝いしているのか…

これについては武田さんから腑に落ちる解釈を聞いたので、その言葉を引用したい。

卒業式のように何かが終わってお祝いする祝典もあれば、祭りとかお正月のように、年中行事として行われる祝典もある。これらは何かが終わってるわけではなく、日常の中の非日常として行われている。楽しい非日常でエネルギーをたくわえて、日常をがんばろうという意味で行われる

なるほど。つまり、この祝典は"日常をがんばるための非日常"ということだ。コロナ禍である今、多くの人の日常は大変なことになっている。となると、この祝典のテーマは「コロナ禍に苦しむ人を元気づける儀式」ということになるわけだ。

いうまでもなくコロナ禍は歴史に残る出来事で、多くの人の共通認識である。であればこの祝典が2022年に固定されることは問題ないというか、何年か経って誰が聞いたとしても、強い意味を持つことになるだろう。年代を限定する意味は充分に感じられる。

※ちなみに年代をハッキリ明言するのは珍しいと書いたが、探せばけっこうあったりする。先ほど例にも出した小沢健二の「彗星」なんかは「そして時は2020」から始まるのだが、この曲にも年代を限定する強い意味が込められている。歌詞に年代が出てくるとその意味を考えてみるとおもしろい


この祝典はどんな構図で行われているのか?

音楽ナタリー より引用


ももクロが教祖でモノノフが信者

祝典の構図を考えたときに、まず浮かぶのがこの形ではないか。僕も初めはそう考えてたし、今でもその線は全然あると思ってる。が、あえて別の解釈としてこんな考え方はどうだろうか?

ももクロはこの祝典にブッキングされたキャストである

前述した通り、この祝典が「コロナ禍に苦しむ人を元気づける儀式」として催されてるのだとしたら、キャストの選定は非常に重要である。なにしろ、戦後最大の国難とも言われる状況に立ち向かう式典だ。相当な実力を持つキャストが求められる。主催者は相当なプレッシャーに違いない。

国民に対し説得力と実績があるキャストを選ばなければならない。そこで白羽の矢が立ったのがももクロである。そう、ももクロは依頼を受け、この式典を成功させる使命を持って舞台に立つ、という構図だ。

ではなぜ主催者はももクロを選んだのか?そこを考えていきたい。

そのヒントが11曲目「なんとなく最低な日々」の中(またかよ)にある。もはやこれは祝典の考察ではなく「なんとなく最低な日々」の考察なのかもしれない。いや、そんなことはないはず、たぶん。

先ほどの「今は2022年 目眩く渦の中」に続く歌詞を見てみよう。

見えてたものが途端に見えなくなっちゃったときは
「なんとなく最低な日々」より

「目眩く渦の中」をコロナ禍と読むと、この部分はコロナ禍が招いた状況を指しており、生活が突然激変した様子を表現している。そう、多くの国民が目の前が突然真っ暗になって、進むべき道がわからなくなってしまったのである。

そんな絶望的な状況で満を持して行われる祝典。繰り返すがキャストの選定は非常に重要なものとなる。となると、前例主義である我が国では主催者はこう考えるはず。

目の前が突然真っ暗になって進むべき道がわからなくなった経験があり、かつ、それを乗り越えた実績があるキャストを選ぼう

悪く捉えられがちな"前例主義"だが、前例を持っているものは強い。もうピンとくるはず。ももクロには「目の前が真っ暗になって進むべき道が見えなくなった」という前例がある。東京ドームでの10周年ライブから、リーダー百田夏菜子の最後の挨拶を引用したい。

4人になるってわかったとき、本当に(目の前が)真っ暗になっちゃって、正直どうやって進んでいったらいいのかわからなくなってしまいそうな自分がいました

ももクロは2018年の10周年イヤーに、5人から4人体制になっている。そう、当時歌とダンスの要と言われた有安杏果の卒業だ。その時の絶望的な心情をこのMCからは感じ取れる。(今思い出しても胸がつまる…)

音楽ナタリー より引用


4人になって、この先のももクロはどうなるんだろう?文字通り目の前が真っ暗になった。それは我々モノノフも、ももクロちゃん達本人も同様にである。突然目の前に突きつけられた絶望だった。

だが、ももクロはそれを乗り越えた。歌やダンスのパフォーマンスのレベルアップはもちろん、仕事の幅も大きく広がっている。目の前が真っ暗になる前に戻ったどころか、完全に進化…かなり控えめに言って次元が上昇している。大いなるスターゲートが完全に開いてるわけだ。

今となっては鉄壁のDiamond4は当たり前になったが、当時どれだけ大変で不安だったかは多くのモノノフの胸に刻まれてるはず。

我々はこの背景を知っている。目の前が真っ暗になる絶望を味わったとしても、乗り越えた実績を持つ4人を知っている!僕がもし、この祝典の主催者であればこうプレゼンするだろう。

「コロナ禍により、多くの国民は目の前が真っ暗になり、進むべき道が見えなくなってしまっております。そんな状況下で行われるこの祝典には、闇を照らす光が必要です。私はその光こそが、ももいろクローバーZであると考えます!彼女たちは一度、目の前が真っ暗になって進めなくなる絶望を味わいました…(トーン抑えめに)
しかし!彼女たちは見事に乗り越え、進化までしているのです。"コロナ前を取り戻す"ではダメなんです!コロナ前を超えなければならない!だからこそ、この祝典のキャストにももクロを強く推します!彼女たちのパフォーマンスは必ず絶望の渦中にいる人たちを照らすでしょう、私の進退をかけます」

プレゼンは大盛況、満場一致でももクロに決定。そして僕はももクロ陣営にオーダーする。

「今回の目的はコロナ禍に苦しんでいる人たちを元気づけることです。みなさんは一度絶望を味わったけど、乗り越えて今があると思います。今こそその姿を見せてほしい!

祝典のパフォーマンスに関する仕様書

パフォーマンスは原則自由とするが、次の3点が含まれていることを条件とする

  • 辿ってきた道は大変だったけど、それも全部必要なことだった(過去の肯定)

  • 今も大変なことはあるけど、それも含めて今が最高(現在の肯定)

  • 過去も現在も未来に繋がっている、その未来は明るい(未来の肯定)


このような依頼をももクロは受け、この祝典でショービジネスを披露する立場として舞台に立つ。(と、妄想している)

ここでようやくアルバム7曲目「ショービズ」の歌詞を見てみよう。

汗と涙まみれた あの日の気持ちが 今 今日を支えている
過去の肯定
足りない自分 もどかしい気分 それも含め成長の轍
現在の肯定
後悔 願い 迷いと期待 全部まとめて繋ぐ未来へ
未来の肯定

説得力とは、このことである

多くのモノノフは「ショービズってももクロっぽいよね」と思ったはず。このアルバム「祝典」のキー曲であるといえると思う。永遠に語り継がれる名曲である。

また、ショービズ以外の曲にも、過去、今、未来を肯定するような歌詞が随所に散りばめられている。全部に触れたいが、時間に限りがあるので残念ではあるが割愛する。是非とも探してみてほしい。

なんにせよ、この祝典のキャストにももクロを選んだことは間違いなかった。主催者は昇給間違いなしだろう。うらやましい限りである。


意味を持って作られた曲と、意味を持ってしまった曲

祝典のテーマと構図を読み解くことに成功したので、あとはオマケという名の余談である。余談ではあるが、かなり重要なことだと思っているので是非最後まで読んでほしい。

冒頭でタイアップ曲や先行シングルが多いとコンセプトが薄れると書いた。それは嘘偽りなく思ってることだが、このアルバム「祝典」ではどうやらその限りではないらしい。そのヒントは曲順にある。このアルバムの曲順は相当なこだわりで作られていると推察する。

突然だが、曲には「意味を持って作られた曲」と、「意味を持ってしまった曲」があると思ってる。

「意味を持って作られた曲」はわかりやすいので説明は割愛するとして、難しいのは「意味を持ってしまった曲」の方だ。これは、誕生した時はそんな意味はなかったのに、時の流れと共に新しい意味が生まれてしまった曲である。背景含めてアーティストを応援していると、たまにこんな奇跡のような場面に出会うことがある。

わかりやすいところでいくと「『Z』の誓い」がそれにあたる。この曲のリリースは2015年。ドラゴンボールZとのコラボレーションとして作られた曲で、曲調はメタル風、歌詞もドラゴンボールのアクションを想起させるような内容となっており、そこに特別な意味はなかった。ただ、カッコいい曲だった。

時が流れ、ももクロに様々な歴史が加わってくると、この曲の歌詞が全く違ったものになってくる。その部分がこれだ。

永遠だったはずの 未来でさえも
コワレモノと知って 人は戦士に生まれ変わる
「『Z』の誓い」より

10周年の桃響導夢ライブで、声高らかに感情を込めてこのパートを歌う百田夏菜子を見て…僕は泣いた。この曲に対して、今までとは全く違う感情が湧いてくるのがわかった。そう、有安杏果卒業という歴史が加わって、この曲は別の意味を持ってしまったのだ。「意味を持ってしまった曲」とはこういうことである。

話を祝典に戻す。このアルバム祝典は「コロナ禍に苦しむ人を元気づける儀式」として作られた。(と、この記事の世界線では勝手にそう解釈している)

となると収録曲たちは、コロナという渦に対して意味を持って作られている楽曲であるわけだ。

そんな中、ただ1曲だけコロナ前に作られた曲がある。それが12曲目「stay gold」だ。リリースは2019年11月27日。コロナがまだ日本に入って猛威をふるう前である。この曲はドラマの主題歌として作られ、ドラマの世界観に合わせて“人の二面性”をテーマとしているらしい。コロナとは関係ないところで意味を持って作られた曲なわけだ。にも関わらず、この曲はコロナ渦である今でこそ、強く意味を持って輝いているようにみえる。

これを読み解くヒントが11曲目の「なんとなく最低な日々」(またかよ)にある。先程フォーカスした部分に続く歌詞に注目したい。目眩く渦の中、見えてたものが途端に見えなくなっちゃったときは…どうすんだ?って話になってくるわけだ。

みんなの街に背を向けて
誰のためでもないモンタージュを
こしらえてやればいい
どれだけ捉えどころのない様相でも
切り取ってみせるよ!
「なんとなく最低な日々」より

どうだろうか。急に意味がわかりにくい歌詞内容である。

ここまで「カーテンを閉めた」とか「サボテンに水をやった」とか、日常を具体的に綴りつつ、「誰かのように生きたくないから!」と、割とはっきり分かりやすく言語化してくれてたこの曲が、この最も大事な部分で突然に抽象的な表現になっている。だが、ここを読み解かないことには、このアルバムを理解したとは言えないだろう。多少強引ではあるが考察していく。

まず印象的なのが「モンタージュ」というワード。モンタージュとはどういう意味か。

映画・写真で、いろいろの断片を組み合わせて、一つの場面・写真を構成すること。そうして作ったもの。

断片を組み合わせて一つの場面を構成することらしい。となると「誰のためでもないモンタージュ」とはなんなのか。

誰のためでもない、ということは言うまでもなく「自分だけのため」である。自分のためだけに、いろいろな断片を組み合わせてひとつの場面を構成するということか。では、いろいろな断片とはなんだろうか。ここでひとつ思い当たることがある。

それは、コロナがインフォデミックと言われていることだ。そう、様々な情報が錯綜し、多くの人が情報に縛られている。メディアも専門家もイタズラに恐怖を煽り、誰のために情報を構成しているのかわからない。まさに捉えどころのない様相だといえよう。

こう考えると「みんなの街」というのは情報に惑わされた世間のことかもしれないと推察できる。コロナに限らず、まるで今のSNSはタイムラインの潮目を読むゲームのようだ。自分の意見、考えというより「どの立場をとれば多数派に回れるか?安全か?」で判断されている。それはとても消耗する日常である。

この歌詞は、そんな世間に背を向けて、自分だけの考えを持てばいい。どれだけ捉えどころがなくて難しいものだとしても、やってみせるよ!こんな風に捉えられないか。これはこの曲で歌われている「誰かのように生きたくないから!」とも合致する。つまり「自分の尺度で生きることが大事だよ」っていうメッセージなわけだ。誰かのモノサシで自分を測ってたんじゃロマンが足りないってことだ。

祝典をコロナに絡めたので、解釈に至るまでこのようなステップを辿ったが、別の方向から解釈しても「自分の尺度で生きよう」というところに落ち着くのは間違いない気がする。そんなことを考えながら「ランランラン〜」という歌声を聴いていると、心地よい余韻と共に曲が終わる。そして、その余韻に浸る間も無く…激しいイントロと共に12曲目「stay gold」が始まるというわけだ。この流れはヤバい。この流れが「stay gold」という曲の意味を変えてしまう。

stay gold 君は間違ってなんかない
乱れたこの時代生きろ生きろ
「stay gold」より

なんと力強いメッセージであることか。この祝典は楽しいだけではない。生き抜くために必要なことを教えてくれる場になった。

誰のためでもなく、自分のために生きるというのは時に難しいことだ。だからこそももクロちゃんたちの「君は間違ってなんかない」という肯定が心強い。「stay gold」はコロナ禍で、生き様を肯定してくれる意味を持ってしまったのだ。

この「なんとなく最低な日々」から「stay gold」という曲の並び。ここに製作陣の強い意図を感じずにはいられない。曲の持つ意味を変えてしまうほどに、強い意志を感じるのだ。

改めて言おう。タイアップ曲や先行シングルが多いとアルバムのコンセプトが薄れてしまう…これは間違いだった。大事なのはアルバムを通じて何を届けたいか?という強い意志だ。アルバム「祝典」はそんな熱い魂を感じる名盤だった。

なんとなく祝典について考察してたら、なんとなく今日が終わっていた。これはあくまで僕が自分だけのためにアルバム「祝典」から切り取ったモンタージュのひとつである。まだまだ語りたいことはたくさんあるが、ひとまずはこれで終わりたい。最後まで読んでくれてありがとうございました。

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