見出し画像

サウナのテレビがつらくて、読書に逃げた秋。

僕はテレビをほとんど見ない。

「ああ、YouTubeとかのネットメディアが流行ってから。テレビ見ることなくなったよねー」

と、いう話ではなく、それ以前からほとんど見ない。子供の頃から「家族がつけてるから」という受け身的な理由意外で、能動的にテレビを見ることはほぼなかった。見てたのはウリナリ!くらい。あとは笑う犬もか。明らかに偏ったウッチャンナンチャン好きである。ドーバー海峡横断部とポケビが好きだ。

そんな僕だけど、ここ最近はやたらとテレビを見る機会が増えた。そう、サウナだ。ご存知の通り毎日サウナに行っている。(知らねーよ)

毎日サウナに行くと話すと、「極端だ」という人も多いが、毎日風呂に入る人を「極端」というのか?と問いたい。極端とは1日も休むことなくあかにし貝を食べ続けるみたいなことを言うのだ。そんなやついないと思うが。


あかにし貝はさておき、サウナもさておき…
今日書くのは #読書の秋2022 なんだけど、もう少しサウナの話をさせてほしい。サウナの話がさておけなくて申し訳ない。

個人的にはサウナ室にはテレビなどなくていい派なんだけど、一部のストイックなサウナを除けば、やはりサウナ室にテレビはある。そう、サウナ室にはテレビがあるのだ!

サウナ室では情報から遮断されて、ただ熱さを感じながら瞑想するのがベスト。これは間違いないんだけど、さすがにあの空間でテレビがついてると見てしまう。見るというかねじ込まれる感覚。テレビが頭の中に入ってくる。

そんなわけで今、過去一テレビの話題についていけてる自分がいる。サンドウィッチマンとか、かまいたち、千鳥ってめちゃくちゃ売れてんだな、とか呑気にバラエティを見て思ったりしてる。子供の頃、学校でテレビの話題についていけなかった自分に教えてやりたい。40代になったお前は、ちゃんとテレビの話題についていけてるよ、と。

ワイドショーやニュースを見ることもある。というか、チャンネルが固定だから自分の意思に関係なく、ついている番組を自動的に見さされる。そこに意志など存在しないのだ。自分で選ぶネットニュースとは違って、興味範囲外の情報も入ってくる。これはこれで悪くない。

***

最近だともっぱら旧統一教会の話題が多い。宗教が家庭を壊す、という切り口で聞いてると絶句するような話がバンバン飛び込んでくる。

安倍元首相の事件は痛ましい事件であり、その後の自民党との関係などもあって、取り上げないといけないトピックであるのはわかるんだけど…1日に何度も見てるとちょっと気が滅入ってしまう。サウナにととのいに行ってるのに気持ちが滅入るとはどうしたものか。

しかしまぁ、根が好奇心が強いというか、物事に対して考えを深めたくなる性分なので、「宗教が家庭を壊す」という切り口で様々な人が語ってるのを見ていると「それってどんな感じなのかな…?」と確かめてみたくもなる。表面的に情報を真に受けるのではなく、寄り添った考えを深めることが大事なのだ。

人は「なんでこんなのに騙されるのか」と言うけれど、自分が100%宗教にのめり込まない自信があるか?と言われるとちょっと自信がない。

例えば大事な人が難病にかかったとして、医療などでは手の施しようがないと突き放される。そんな時に「これを信じれば救われますよ」と言われると、すがってしまうかもしれない。そうでないとどうして言い切れるだろうか。まぁだからこそタチが悪いんだと思うけど。

そんなことを考えながらサウナ室で体を蒸し、水風呂で冷却していると、次第により深く宗教について考えてみたくなってきた。そこで、1冊の本を読んでみることにした。それが今村夏子の小説「星の子」である。こういうとき、解説本ではなく小説を選ぶ自分がけっこう好ったりする。

今村夏子 星の子

今村夏子、広島出身で僕と同年代の作家だ。2019年に「むらさきのスカートの女」で芥川賞を受賞。受賞の帯がかかったこの本を、実は本屋で見て買っている。が、積んだままになっててまだ読んでない。読めてない罪悪感を薄めるために敬意を評して「むらさきの服をきたミッフィーちゃん」の前で写真を撮ってみた。

そんなわけで初めて今村夏子作品を読む。本棚にある「むらさきのスカートの女」ではなく新たに買った「星の子」を。

「星の子」は、宗教が家庭に入り込んでいく様を描いた小説で、病弱だった主人公のちひろを両親が救いたい一心で、神秘の力を宿しているという水にすがり、怪しい宗教にのめり込んでいくという話。

怪しい宗教ではあるが、偶然か思い込みのプラシーボ効果なのかはわからないが、実際にちひろの病気はその水をきっかけに回復した。そうなると、両親からすると信じて当たり前ということだ。その気持ちは正直なところ、わからなくはない。

おおまかな流れは上記の通りなんだけど、これに関わる登場人物の描写が見事なんですよね。親戚のおじさんだとか学校の友達や先生だとか。

少しネタバレを含むので、ここまで読んで「読んでみよう」と思った人はそっと閉じてほしいんだけど…



***



ちひろが好意を寄せる学校の先生がいるんだけど、ある日ふとしたきっかけで友人たち3人と車で送ってもらうことになる。ちひろは助手席でドキドキしてる。家の近くについて公園で降ろしてもらう。するとそこに不審者がいることに先生は気づく。先生はちひろを守るために車から降りるな、と言うんだけど…

その不審者がちひろの両親なんですよね。このシーンのせつなさたるや。

ちひろの両親は、宗教の儀式…とまではいかないんだけど、おまじないのようなもので頭にタオルを乗せて神秘の水をかけあってるわけですよ。それが他人から見たら超絶怪しいってことで。

ちひろはその時は何も言わなかったんだけど、後日あるきっかけで先生に言うんですよなね、あれ私の両親です、と。

その時の先生の描写がとてつもなく凄まじいわけですよ。ここの描写に全てが詰まってると言ってもいい。興味ある人は是非読んでみてほしい。人間を描くってこういうことだよなって思わされる。

この話はもちろんフィクションなので、リアルではないんだろうけど…宗教2世がまわりからどんなふうに見られるのか?ということを考えさせられる。表面的に見ると「かわいそう」とか「理解できない」って思ってしまいがちなんだけど、実はそれだけではなくて。

自分には理解できないけど、関わる相手の大切なもの(宗教)を理解しようとする人もいるし、宗教2世の苦しみに対してどう言葉をかけていいかわからず目を逸らす友人もいる。一方で当人からすると、その友人の目の逸らし方を見て「やさしい人だな」と感じることもあったり。

人間ってやっぱり複雑でひと括りにできないわけですよ。この「目を逸らす」相手を見て「やさしい人だな」って感じるシーンはやたらと印象に残るインパクトがあった。

思うに、ちひろは「自分は腫れ物である」と自覚してる。自覚してるからこそ、目を逸らす反応をやさしさと感じるわけで。病弱だった自分が原因で両親が宗教にのめり込んだこと、ちひろ自身、それがおかしいと思ってる側なんですよね。

でも、それを否定すると自分自身のアイデンティティを失ってしまう。自分がいま健康で両親に愛されて存在してることこそが、その宗教を証明してるのだから。だから、宗教から引き離そうとするおじさんの思いをわかりつつも、断ってしまう。

「なんだ、ちひろが治ったのは偶然で、宗教は別に関係なかったんだね、めでたしめでたし」

とはならないわけですよ。損切りできない感覚に近いといえるのではないだろうか。もう、わかってても、切り離せない。こうなるともう理屈ではない。

このあたりの感覚が、最後のシーンにあった一文につながってる、と僕は解釈する。最後の一文とはこれだ。

このまま眠ってしまえばいいだろうか。そうしたら、薬を飲まされ、ICチップを埋め込まれ、催眠術をかけられて、明日の朝にはわたしは変わっているだろうか…

小説はこのまま終わりを迎える。どうやらこの終わり方には賛否があるようだけど、僕は見事だと思った。派手な伏線回収とかではなく、おだやかに、不穏に終わっていく感じ。何も決着はつかない。それこそが人生だと思った。

ここの「変わってるのだろうか…」が指すものは、「宗教に懐疑的な自分」が、なんの疑問もなく「のめり込めるようになってる」ことを望んでると読める。そうなることが家族にとっても自分にとっても楽なのに、と。

ちひろにはお姉さんがる。そのお姉さんはちひろとは対照的に家を出ている。宗教が家庭に入り込んできたときの年齢が、既に分別がつく年頃だったことと、妹の難病を治したとはいえ、あくまで自分ではなく間接的だったことからハッキリと宗教に対して意思表示できてるのがわかる。

このことを見てもやはり、どんなに近くても当事者以外は深いところではわからないんだろうなって闇の深さを感じる。例え家族であり、近しい人間だとしても当事者の感覚とは全然違う。そのフィルターを持ってテレビを見ることを忘れたくはない。例えどんなニュースだとしても。テレビは時に過激な表現で頭に直接入り込んでくる。僕はそれがとても怖く、時には距離をとってゆっくりと考えたくなるのだ。

今村夏子作品は人間の描き方が非常に残酷で、それでいて謎のユーモアもあり、これはのめり込む人が多いのも頷けるなと思った。本棚に放置してた「むらさきのスカートの女」も読んでみることにしよう。

やはり秋は読書に限るよ。サウナと読書、話半分くらいでテレビ。そんなバランスがちょうどいい。そんなことを思いつつ、今日もサウナに行ってきます。

もちろん、この文に統一教会について肯定する主旨はありません。あくまでそこに生きる人たちの事情は様々なんだろうなってことで。人の弱みにつけ込んで人生を壊すことはあってはならないと思ってます


記事がおもしろかったら、サポート頂ければとても励みになります。が、無理のない範囲でよろしくお願いします。たぶんサウナ代に使わせていただきます。