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新今宮PR記事の炎上に思うこと

話は三日前にさかのぼる。
呑気に夕ご飯を食べていた僕のところに一通のDMが届いた。見てみると、島田彩さんのnoteが炎上していることについて、だった。とても尊敬している友人からだった。

正直、炎上と聞くと「またか…」という気持ちになり、頭の中で「時間を使わないこと」に仕分けようとしていた。

「イチイチ人の書いたnoteにケチつけるなんてみんな暇なんかな」

そんな風に思ってた。

でも、友人(発信を生業としている)が「それだけじゃダメだ」というので、読んでみることにした。おそらく、もうほとんどの人が認識してるかもしれないがこのnoteだ。

ああ、これタイムラインで見て読んでなかったな。この記事だったのか。そんなことを思いながら夕食を中断して読んでみた。



なるほど。

読んでみた感想を正直にいうと、おもしろいなと思った。
感動とか、いい話だとかは思わなかったけど、こういう切り口でホームレスの人との交流を書くのは自分には考えつかないだろうなー的なおもしろさを感じた。普段接点のない世界を知れたことに好奇心も刺激されてた。これが嘘偽りない自分の最初の感想だ。

この時点で、僕は無意識に貧困という社会問題を消費していたといえる。

このあと、なぜこの記事が炎上するのか?を自分なりに調べてみた。すると、いろんなことを知ることができた。そして、自分がいかに貧困に無自覚だったかを思いしらされた。

と、同時に今回の話を「炎上」という形でひと括りにし、中傷的な言葉で書いた本人を責めることが本質を見えなくしてる要素のひとつになっていると思った。

中には問題を正確に把握してるからこそ怒り、ついつい攻撃的になってる人もいる。その気持ちは問題が問題だけに尊重したい。ただ、残念ながら怒りというのは、本質的な意見すら世間と壁を作ってしまう。ここは注意しなければならない。


SNSの世界は発信する内容で形成されるといってもいい。僕はここ数年「個人の意見を尊重し、責めることはNG」という価値観を発信してきた。自分と違う意見の人を叩いて何になるのか、と。そんな時間があったら自分のことに集中しよう。だから僕の周りの人は、このような価値観を持っている人が多く、炎上と聞くと一線を置く傾向にある。この件に関して、初めの僕のリアクションがそうであったように。

個人の意見を尊重する。もちろん、それはとても大事なこと。
ただ、中身を見ずにSNSで起きている「炎上」をひと括りにしてしまうことが、思考停止に近い危険を孕んでると今回思った。

今回の件、冷静な視点から(当人を責めることなく)反論を書いてる人がたくさんいる。一方で、僕の周りでは「いつもの炎上事件」として、芸能人の不倫を叩くのと同一線状に捉えている人もいる。

ただ、僕は思った。このことに触れるなら、せめて真っ当な反論に目を通してからにしてほしい。なんとなくで炎上事件のひとつにしてはいけない。

もちろん、島田さん個人を必要以上責めることも反対だ。ここは強く言っておきたい。行政のPR案件に大手広告代理店が関わっていたり、「個人の意見」と扱うには少し難しいのが今回のケースだと思うけど、必要以上の誹謗中傷は冒頭で書いたように壁を作るだけだと思う。

一方で、表現や感じ方は自由だから何書いてもいいじゃん。オールオッケー!というのも違うと思う。あくまで内容について、どんな社会問題を孕んでおり、どう考えるか?を議論すべきだと思う。

個人を責めることと、問題提起することはイコールではない。当たり前のことだが、そんなことも見えなくなるくらい、僕らはSNSのくだらない個人攻撃を見過ぎたのかもしれない。

炎上という括りは、当事者を追い詰めるだけでなく、こんな風に本来考えるべき問題に蓋をしてしまう。今まで感じていたのとは違ったタチの悪さがあると感じてる。島田さんの人格や過去の作品や文体を中傷することは、間接的に世間との分断を生んでいる。

僕はユニクロの話などとてもおもしろいと思ったし、今でもそう思ってる。今回の記事はPRということもあり、どんな依頼を受け、どんな気持ちで書いたのかわからないけど、もし間違ってたと思ってたとしたら…(これを本人の考えが出てないこの時点で、決めつけるように書いてしまうことがとても不本意なんだけど、ここで筆が止まって他にどう書けばいいかわからなかった)責めるのではなく、やり直せる社会であってほしい。

現段階で僕が言えることはこのくらい。ほぼ内容なんてなく、問題の本質にも触れてない。これなら書かなくていいんじゃないか?とも思ったけど、文中で書いた通り僕の周りには炎上に距離を取るスタンスの人が多い。

僕が初め無関心だったけど関心を持つことになったように、この件を問題視し、考えてくれる人が1人でも現れるのなら少しは意義があるんじゃないかと思って書いた。

ここまで書いて自分のスタンスを示さないのはフェアじゃないと思うので最後に書いておきたい。改めて意見を示すことは怖さがあるものだ。確実に誰かには「私はあなたとは違いますよ」と伝えることになるのだから。ましてや、完全なる知識不足の分野でもある。でも、何も言わないのはズルい。この件を問題視し、声をあげている人に敬意を示しておきたい。もちろん渦中にる島田さんにも。該当地区に関わってる人たちにも。

僕はこの記事は貧困を消費していることになっていると思う。そして、僕自身も無自覚にそちら側にいたと思ってる。玉石混交のTwitterの意見の中で、この記事の何が悪いのか!と言ってる人はキラキラして悪意がないからタチが悪いというのがあったが、まさにその通りだと思う。

一方で、新今宮という町が観光で収益をあげてはいけないのか?という意見にも考えさせられた。ここに関してはまだまだ知識不足。正直、いろんな立場での意見や行政や企業の思惑などが混じってるので、今はひとつづつ理解するので精一杯。自分の考えなんてない状態。ただ、戦争の話と同じくらい、これは学ばなければいけないことだと思ってる。

考えなければ、無自覚に社会的に弱い立ち場に置かれた人を排斥することに加担しているかもしれない。


★以下、参考に読ませてもらった記事(一部)

考えるきっかけになったということで、書かれてること全てに同意しているという意味ではありません


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