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読書記録「楡家の人びと 第三部」北杜夫著

新潮文庫
2011

第三部で描かれるのは長い長い戦争。

(以下ネタバレ含む。)

俊一の同級生、城木は戦地を転々とする。彼が行くことになるラバウルは水木しげるがいたところだ。
こんなものかと思ったら、それをどんどん超える現実がやってくる。
とうとう楡家の末っ子、米国も彼に付き従っていた熊五郎も戦地へと向かう。

戦争で最も大きく変わったといえるのは藍子かもしれない。
城木と一緒になると心に決めていた藍子。戦況の悪化とともに城木が心配でひとり精神的にも肉体的にもまいってゆく。
クラスの中心でおしゃべりだった藍子の姿はもうそこにはない。
手紙が途絶えたことで勇気を出して実家を訪ね、彼が戦死したことを知る。しかしそれを共有してくれる人とていない。
その後に待ち受けている彼女の運命を知ったあとでは若き頃の日々が何と美しく遠く輝いて思えることだろう。

一方の周二。とうとう死というものが、その時がやってきたのだと感じて生き生きとした様子。
そんな彼にとって玉音放送は青天の霹靂だった。周二が受けた衝撃について記された以下の文章はかなり印象的で、そして重い。

彼はなにより茫然とし、一体何を、どう考えてよいのかもわからなかった。日本人がまだいくらも生きているというのに、戦争が終るということ、人為的に戦争をやめることができるということを周二は考えてもみなかったのだ。それは人の手によっては変更の許されぬ自然現象のように、民族の滅亡までは永遠につづくものと思っていた。それが敵方の共同宣言の受諾とは!降伏とは!そんなことが可能だとは!

病院の経営は戦時下でどんどん困難になってゆく。
職員はどんどん兵隊にとられていなくなってゆき、人手不足で新たな患者の受け入れも困難となる。更に、空襲などで避難する場合のことも考えるとどんどん患者を受け入れるというわけにはいかない。
そんな中で、楡病院はとうとう都に買い取ってもらうこととなる。

高等遊民のような暮らしをし、ただひとり戦況を冷静に見ていた欧州。今後を見据えて北海道に農地を購入していたものの、戦後の農地改革で不在地主の土地は没収されてしまう。

迷いに迷い、妻や子供とともに弟のいる山形へ疎開することに決めた鉄吉。
新たな本に取り組む気力もなかなか湧かず、更に長年集めてきたカルテや本は焼けて失われてしまう。

いや、愚かなのはなにも自分一人ではない。賢い人間がこの世にどれだけいるというのか。自分の周囲、少なくとも楡病院に暮らしていた人々は、有体にいえばすべて愚かであった。誰も彼もが愚かであった。だが愚かなら愚かなりに、もっと別の生き方もできはしなかったか?少しは妻ともなごみ、子供たちをも慈み、せめて今の意識をもう少し早く持つことができたら!それにしても、自分はなんと奥底まで疲れ、気弱になってしまったことだろう!

長男の俊一はかろうじて戦地から戻ってきたが、全てにおいて無気力な様子。
龍子だけは変わらず、楡家の一員として病院を何としても再興しなければならないと決意を新たにしている。

読み進めるうちに気付かぬうちに愛着が湧いてきた楡家の人々。
自分勝手で、だけど思うようにいかない人生を送る彼らのこの先の物語も読んでみたいと思った。

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