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読書記録「楡家の人びと 第一部」北杜夫著

新潮文庫
2011

北杜夫が自身の家族をモデルに描いた作品。
第一部は1962年にかけて連載された。

(以下ネタバレ含む。)

時代は大正、舞台は精神病院。院長である楡基一郎と彼の家族、病院で働く従業員や患者たちの変わらない日々の日常の様子が描かれる。

楡基一郎というのが実に不思議な人物。
この変わった名前は本名ではない。本名は金沢甚作。どういう手を使ったのか、名前すらもまるごと変えてしまうような大胆な人物。
医者としてはドイツで博士号をとり、患者も絶えない。何が起きても動じず、悠々と上機嫌で構えている。
病院の設計から何から次々とアイデアが溢れてきて、ギリシャ神殿のような目立つ外観の病院を作り上げてしまう。その派手な外観だが、実は構造は安上がりな木造だったりする。
身だしなみにもこだわり、酒は飲まないがボルドーという赤いサイダーを愛飲。
政治家にもなり野心もあるのだけれど、それが嫌な感じが全くしない不思議な魅力にあふれている。

基一郎の上の娘2人は学習院に通い、”さま”など学習院で言葉遣いを持ち込む。これからさらに繁栄していくのだという基一郎の精神を反映したような長女の龍子とそれに倣おうとする聖子。
そしてまだ幼く、楡家の一員として扱われていない様子の桃子と米国。
長男の欧州は勉強はあまり出来ないようでずっと学生をやっている。一族には芸術を愛する者がいない、その程度なのだという彼の言葉は意味深。

しかし、変わらないように思える病院の日常はいつまでも続かない。

わずかな日数のうちにさえ、病院の内にも外にも数々の事件が起る。そのたびごとに、人々は仰天し、あるいは可笑しがり、あるいは真剣な表情になる。しかし日が経ってゆく。週が、月が積ってゆく。一体あのときは何があったのか?だが、それは刷られた活字のようなもので、あのいきいきとした感情のうごきはもはや帰ってこない。

一体この一年なにがあったのか?それはあった。朝鮮では万歳事件が、パリではヴェルサイユ条約の調印が、支那では五・四事件が。しかしそれがどうしたというのだ。人々は考える。なんにせよ一年が経ったのだ。そして人間も病院も変わらない。幸い死んだ者とていない。病院は繁栄している。そしてその繁栄は永遠につづくように思われる。円柱も七つの塔も永遠に。
しかし、それは錯覚というものだ。時間の流れを、いつともない変化を、人々は感ずることができない。刻一刻、個人をも、一つの家をも、そして一つの国家をも、おしながしていく抗いがたい流れがある。だが人々はそれを理解することができない。一体なにがあったのか?なんにも。…一年くらいで人間はそう歳をとりはしない。本当に何も起こらなかったと同じなのだ。人々も、病院も。

まず些細な変化として起こったのは基一郎の選挙の落選。
ここから聖子の駆け落ちと続く。
楡家の一員として扱われず、病院の患者たちと多くの時間を過ごし、恋愛を夢見て活動写真に夢中になっていた桃子。しかし、聖子の教訓を踏まえたのか、一気に結婚へと押し切られる。
桃子も、そして勘当覚悟で駆け落ちした聖子も幸せな結婚生活とはいかない。

そこに更に関東大震災が街を襲う。家族の者は無事で大きな被害はなかったものの、箱根から歩いて青山の病院まで戻ってきた基一郎には年相応の疲れがみえる。
地震では大きな被害は免れたものの、その後病院は火災におそわれ、建物はほぼ消失。火災保険にも入っておらず、また精神病院ということで人々の理解も得られずその再建は容易でない。
基一郎も一気に老け込んだようで、以前のように病院の再建に向けて生き生きと采配を振るうということはない。

そんな基一郎が新たな病院の建設地を見つけ再び元気を取り戻したところで倒れ、帰らぬ人となるところで第一部は終わる。
病院の再建をしようという今、アイデア満載で采配を振るう、”オーソリティ”基一郎を失ってしまった一家。
大正という時代は幕を閉じた。この先の時代、楡家のひとびとはどうなってゆくのだろうか。

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