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豆腐メンタルのひとり暮らし日記

4月が終わった。
私はもう1ヶ月も東京にいるらしい。

振り返りたい気持ちになったので、何となく書いてみる。個人的な日記。

社会人になった。生まれ育った関西を初めて出て、東京に住んでいる。

数カ月前までは、想像もしていなかった気がする。
昨年末の配属希望の時に、思いつきで、勢いで決めた関東行きだった。
それまで人生の中で、関東に住みたいと思ったことはなかった。人多そうだし。

そのせいか、駅で標準語が聞こえてきたり、エスカレーターに立つ人が左だったり、ふとした瞬間に「あれ、私どこにいるんだっけ」という気分になるときがある。

それでも、想像していたよりも私は平気だ。
メンタルが崩れやすい私にとって、これは快挙だった。

時々、どこか遠くの、全く知らない場所に住んでみたい欲求が膨らむことはあった。
それでも、私には無理なんだろうなと諦めていた。
メンタルを崩したとき、どうしようもないとき、面倒を見てくれる過保護な家族がいるから私は成り立っているんだと思っていた。

だから、関東行きを決めたときも、びびりまくってめちゃくちゃハードルを下げていた。
友達には多分1ヶ月で帰ってくると言いふらし、寂しいから毎日電話すると色んな人に言っていた。

引っ越しを手伝ってくれた両親が帰るひとり暮らし初日、私は絶対に泣くんだろうなと不安に怯えていたけれど。

実際全然泣かなかった。
ひとりで寝っ転がって「天井の照明、おしゃれなやつにしてよかったな」と薄ぼんやり考えていたことを覚えている。

そして、時々は友達に電話をかけたりもするけれど、そこまで頻繁にかけることもない。
家族とはLINEのみで、この1ヶ月一度も電話していない。
想像よりも私は圧倒的に平気だった。

家事をほとんどやってこず、驚異的なほど要領の悪い私は、身の回りのことをするだけで1ヶ月必死だった。
それでも、それが嫌だという気持ちは不思議となかった。

ひとり暮らしは、ひとり旅に感覚的に似ていると思った。

道に迷っても、ホテルにひきこもっていても誰にも何も言われない。
それと同じで、ひとりで暮らすと、ビンの蓋を開けるのに30分かかろうが、洗い物の手順が悪かろうが、不思議な食べ物を作ろうが、誰にも文句を言われることもない。

私は要領が悪くて、だいたい「もう貸して」と横取りされることが多いので、自分のペースで最後までやりきれることが本当に嬉しかった。

要領が悪いことも、できないことも自分でわかっている。
ハードルが下がりきっているからこそ、赤ちゃんの成長を見守るように自分を見ることができた。
いつも「やってみた動画」を撮っているような感覚だ。

スーパーに行くようになったこと。(どこに何があるか分からなくて1時間はかかった)
値段を見ながら食品を買うようになったこと。
野菜ってどうやって保存するのか悩めるようになったこと。(具体的に悩んでいるのがすごい)
冷凍食品でお弁当を詰めるようになったこと。
肉を冷凍してみるようになったこと。(業務スーパーがいいよと友達がおすすめしてくれた)
薬局で、メイクコーナーじゃなくて生活用品のコーナーを見るようになったこと。

2日に1回洗濯をするようになったこと。
寝る前に洗い物をすること。
友達が来る前に掃除するようになったこと。

数え切れないたくさんのことを、ちゃんと「できるようになったね」と喜べる。

他人と比べるのではなく、自分と対話がしっかりできているような感覚がある。

そして、それらを「やらなくては」と思うことが、私をしっかり現実に繋ぎ止めている感覚がある。

不安定な私は、何かが嫌だとすぐ死にたいだとか思ってしまう。思考が宙を浮きやすい。

少ししんどくなるときはもちろんある。
それでも「洗い物しなきゃな」「冷凍してある肉どうしよう」「お米炊かないと」という現実が頭をよぎるようになった。
そして、手を動かしていると自然に現実に戻ってくる。
多分家事は瞑想に近いのだと思う。

今のところ、洗い物を放置することもなく、朝起きられないこともない。
現実を生きられている。
そして、少しずつ慣れて自分のスタイルができてきた。

仕事終わりに飲みに誘われても、何の気兼ねもなく行ける。終電になってもびくびくしなくていい。
過保護な両親をもつ私にはあまりに自由すぎて、まだ慣れない感覚だ。自分が羽のように軽い気がする。

暇なときは近所を探索する。
知らない街をぶらぶらするのはいつだって楽しい。
標準語が聞こえてくる街にも慣れてきた。標準語を話す子どもはかわいい。
東京で暮らすうちに行きたいところはたくさんある。
少しずつ足を伸ばして行動範囲を広げていけたらいいなと思っている。
そして、ここに暮らすうちに色々な人に会いたいという前向きな気持ちもある。
意外と強い、知らない自分もいるもんだと思う。

4月は通勤定期を買わなかった。この暮らしが続くかわからなかったからだ。そこからも私の下がりきったハードルが伺える。

とりあえず今日、3ヶ月の通勤定期を買ってみようと思う。
ハードルを高くするのはまだ怖い、おそるおそるだけれど、なんとなく、まだいけるような気がする。

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