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メンズウェア100年史 1960〜2010年 後編【カジュアル期】

皆さん、こんにちは!

今回は、メンズウェア100年史と題しまして男性服飾の歴史を振り返っていきたいと思います。洋服で最も勉強が難しい分野である『クラシックファッション』。この分野を理解すると、自身のコーディネートの表現の幅がグッと広がると思います。

メンズファッションは、スーツの黎明期である1900年代から時代の変遷と共にスーツのスタイルが変化していきます。その後、60年代の大量生産時代突入を皮切りに、デニムやミリタリーアイテムを主としたカジュアルファッションの歴史がスタートします。

こうした服飾史が歩んできた歴史、メンズウェア100年史を【スーツ期】と【カジュアル期】に分けて解説していきます。スーツ期は主にスーツの変遷やスポーツウェアなどファッションになる前のカジュアル服の歴史を。カジュアル期は、モッズやアイビーなどの時代の変化に伴う流行やスタイルの変化を画像を時折混ぜながら解説していきます。この回を読んで頂くことで、100年の歴史がなんとなく理解していただけると思います。

さて、前置きをある程度書いた上で、前回の1910〜1960年【スーツ期】はいかがでしたか。ファッションの歴史を紐解いていくと、時代の転換期が明確に定められていて、1960年代の大量生産時代突入を区切りとしています。これは、業界のみならずクラシックファッションの理解がある方全員の共通認識だと思います。

では、ここからはカジュアル期60年代以降の話になります。

1960年代

メゾンが動き出す

60年代以前は、オートクチュール(オーダー)という貴族や上流階級のオーダーに対して洋服を製作していたメゾンブランド。エルメスもグッチもシャネルも錚々たるブランドはその辺の顧客へ向け、超高級品と言われる衣服や皮革製品を製造していました。
メゾンブランドの製品は一般人には到底買うことすら出来ないアイテムばかりだったのです。
それが、ある人物によって打ち砕かれました。

画像にもある、『イブ サンローラン』です。

当時、パリで大人気だったメゾン『Dior』のデザイナークリスチャン・ディオールに若くして才能を買われ、ディオールの弟子になったイブでしたが、なんと修行中の21歳の時に、師匠であるディオールがこの世を去ります。

そして、21歳という若さで『Dior』のデザイナーに抜擢されたのが、このイブでした。当時のフランスで『Dior』は国民的ブランドであったと言われていましたので、成人したばかりのイブのプレッシャーは計り知れなかったと思います。
しかしながら、天才イブはそんなのもいざ知らず、ディオールのコレクションを大成功させます。

映画 イブ・サンローランより

ここまでのストーリーは映画にもなっていますので、気になる方は是非ご覧になってください。

さて、少し長くなってしまいましたが、このイブが何をやったかというと、『Dior』を独立したのち、自身のブランド『Yves  Saint  Laurent』を立ち上げたのち、大衆が手の届く価格で商品を届ける既製品ライン『リヴ・ゴーシュ』も同時に立ち上げます。

この試みは、メゾンブランドで初でした。

メゾンが、上流階級といった路線を離れ、大衆ラインを作ったことは、当時なかなかに衝撃的だった事だと思います。結局の所、ほとんどのメゾンブランドがこの60年代を境に大衆路線に切り替えるか、同じく大衆ラインを立ち上げているので、イブの試みは成功だったと言えるでしょう。

イブサンローランが既製品ラインを立ち上げたのは、世界初という訳ではありませんが、かなり早かったハズです。そして、ここから世界は一気に大量製造によるカジュアル期へ突入したのです。

モッズファッション

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