見出し画像

パーソナライゼーション

最近PostCoffeeなるものを知った。

コーヒー診断を行い、その人に合ったスペシャルコーヒーをアソートし、定期便で提供する。
コーヒー診断といってもコーヒーのことだけでなく、その人のライフスタイルに関する診断も行うそうだ。
診断によって、約15万通りからその人の好みを導き出す。

楽をしてぴったりを得る

さて、パーソナライゼーション(Personalization)という言葉をご存知だろうか。
パーソナライゼーションとは、企業がその人のパーソナルデータをもとに、その人に合ったプロダクト・サービスを提供することである。
先述のPostCoffeeは、まさにパーソナライゼーションそのものである。

パーソナライゼーションの醍醐味は楽をして自分に合ったプロダクトやサービスを受けることではないだろうか。
一度自分の情報を提供すれば、それ以降自分の好みのモノ・コトを得ることができる。
自分の代わりに企業がその人のために選んでくれるわけだ。
もちろん、その企業の透明性や信頼性は大前提であるのは言うまでもないが。

例えば、ファッションにそれほど興味のない人、服を選ぶのが面倒な人にとって、パーソナライゼーションは救世主である。
実際に、自分の好みやサイズを提供することによって、AIやプロのスタイリストがその人に合った服を提供するサービスがすでに存在する。

受動か?能動か?

パーソナライゼーションと似た言葉として、カスタマイゼーション(Customization)がある。
カスタマイゼーションとは、わたしたち自身がその人自身の好みに合わせてプロダクト・サービスを使用することである。
つまり、パーソナライゼーションとカスタマイゼーションの違いは、受動的か能動的かであると、わたしは考えている。

コーヒー豆に話を戻そう。
PostCoffeeの取り組みは、コーヒーのことがよく知らないけど自分にぴったりのコーヒーを飲んでみたいといった方には最適なサービスである。
一方で、玄人レベルに達するとコーヒーの生豆を購入し、自宅で焙煎してコーヒーを飲む方もいる。
前者がパーソナライゼーション、後者がカスタマイゼーションである。
言い換えれば、主語が企業なのか自分自身なのかである。

脱大量生産・大量消費

パーソナライゼーションとは、現代の大量生産・大量消費に対するアンチテーゼであると、わたしは感じている。

例えば、ファッション業界において、S・M・Lのようにサイズ展開しているのが当たり前で、これらが自分の体に完璧にフィットする人はほとんどない。
そもそも、そのようなサイズ展開は各国の平均身長や体型をもとにした最適解であり、その人にとっての最適解ではない。
特に特異な体型の方にとって提供されている服は少ない。
また、同じサイズで合ってもブランドによって微妙に異なり、あるブランドではMを着用、あるブランドではLを着用するといった事態も起こりうる。
その結果、自分に合わない服は返品、あるいは廃棄される運命を辿ることになる。

このような社会課題を解決するために、先述のFabric Tokyoではその人の体型を採寸した上で、その人の好みの生地や色を選択し、受注生産でその人に合ったスーツを提供している。
また、ユニークなアパレルブランドの一つとして、COHINAがある。

身長155cm以下の小柄女性に特化したニッチなD2Cアパレルブランドであるにもかかわらず、創業3年で順調に売上を伸ばしているそうだ。

このような受注生産や特異な体型の方へ向けたモノづくりは、大量生産や大量消費の打開策を提示していると同時に、ある意味オートクチュールへの回帰とも捉えることができる。
かつてのオートクチュールがアップデートされ、自分のための一点物が手軽に手に入る、あるいは利用できる時代が近づいているのではないだろうか。

大量消費に関して、個人的には、マイボトルを持参する文化を根付かせるために、ml単位の料金設定にしてほしいと願っている。
というより、飲み残しを法令で廃止してみてもいいかもしれない。
そうすれば、スタッフさんの掃除の手間も省けるし、何より廃棄がなくなるし、プラスチックから紙に変えるって概念もなくなると思うけどな。

パーソナライゼーションから話が脱線したので、本日はこのあたりで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?