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『きみは誤解している』(佐藤正午)

僕自身ギャンブルはやらないし、ギャンブラーと関わったことはあまりないが、
その数少ない経験の上で言うと、ギャンブルをする人間はどこか変だ。

僕が最初に出会ったギャンブラーは、大学の演劇サークルの同期の女の子。
稽古前に必ずパチンコを打ち、勝っていれば芝居も上々、負ければ芝居も散々だった。あるとき、彼女が爆発的な芝居をして稽古場で大爆笑をかっさらった日があったが、その時は10万勝っていたんだそうな。

もう一人がバイト先の寿司屋の大将。この人は競馬だ。
慣れないスマホを片手に「最近はアプリで馬券が買える」と自慢げに見せてきたが、画面の下方に表示された収支の欄には+600万とあった。
寿司屋の大将にしては気さくでよく笑う人だったが、目つきの鋭い人だった。
ある日、売れない俳優の貧乏話をしていたら、唐突に「吉田くんは近々結婚する気があるかい?」と尋ねてきた。
当分その予定はないと応えると、「”戸籍がキレイなうちは”いい仕事がいくつかあるから、何かあったら相談しろよ」と笑顔で言ってきた。目は笑っていなかった。
スリルに浸った人間のもとには、危ない仕事の話が舞い込むんでくるのだろうか。
僕は、まかないさえ食わせてもらえれば何とか生きていけると、丁重にお断りをした。

次に出会ったのが、俳優仲間の男の子。彼はボート。
前述の二人と違うのが、彼が大きく負けていたことだった。
彼は競艇場ですりまくったあげく、カード負債は70万を超えていたが、リボ払いなので自分の首が締まっている実感がなかった。多額の負債に対して、毎月の支払は数千円。日毎に利息が積み上がるが、不思議と財布の中身に余裕がある。
忘れた頃にまた舟券を買い、ハズし、自らの愚行に苛立ち、忘れた頃にまた舟券を買う。
彼の罪な点は再三ガールフレンドを泣かせていた事で、彼の事情を知ったのも、彼女から涙ながらの相談の電話を受け取ったのがきっかけだった。
全くの余談だが、これを期に彼女と仲良くなった僕はその娘に恋をし、我ながらなかなか良いところまでいったのだが、「やっぱり彼のことが忘れられない」と、しれっと彼女はギャンブル狂の元へ戻っていった。
かくして僕はギャンブラーに色恋で負けたわけだが、女性はスリリングな男に惹かれるとはよく言ったもので、今回の敗因もそこにあるのかもしれない。

そういえば、僕の祖父も麻雀好きだった。
キリスト教系の学校の教師で、まさに聖職者であった祖父は、家に教師仲間を引き連れ夜中まで酒を飲み、麻雀に明け暮れていたらしい。
幼かった時分、祖父が僕を膝の上に乗せ、パソコンの麻雀ソフトで僕にルールを教え込もうとしたことがあった。それを観た祖母は(普段は優しい笑顔の素敵なおばあちゃんなわけであるが)、鬼の形相で僕を祖父の膝の上から引き剥がし、祖父をこれでもかと睨みつけていた。
後にも先にも祖母のあんな表情を見たことはない。多分祖父は麻雀で相当やらかしたのであろう。(本当に普段は朗らかで優しいおばあちゃんなのだ。)

思い起こせば、僕は幼少期にギャンブラーの膝の上にのっていたわけで、あの日祖母から引き剥がされなければそのまま向こうの世界に行っていたかも知れない。

『きみは誤解している』では、一線を超えて、もう戻ってこれないところまで行ってしまったギャンブラーたちが登場する。
作者の佐藤正午は大の競輪ファン。この短編集に収録される6作品、全て競輪の話だ。
表題作ではどうしても競輪をやめられない男とそれを嗜める女が登場する。
大金を賭けたい気持ちをグッと押し殺して、千円程度の賭けを趣味程度に続ける男。しかし、ギャンブル好きの父の死をきっかけに、勝負への欲が抑えられなくなり、挙句男は結婚費用200万円を賭けると言い放つ。「もしハズレたらどうするの」と問われると、平然と「ハズレない」と答える。

ギャンブラーはわれわれの住む一般的な世界とは別の世界にいる。その世界への境界線を跨ぐには特殊なパスポートが必要で、それは僕のようにささやかなギャンブルで満足できる男には手に入らない。

『きみは誤解している』は”Life is Gamble”という陳腐な文句がいかに正鵠を射ているかがよくわかる。
僕らの住む世界は一見平凡であるが、一歩踏み外せば奈落の底に突き落とされてしまう、スリリングな世界だ。
ギャンブラーとは、日常の危うさを凝縮した世界の住人の事で、決して彼らは僕らの他人ではない。
ギャンブルの世界は僕らが住む世界のすぐ隣の世界で、そこには歴然たる境界線が引かれているが、一歩足をつまずかせれば、いとも簡単に向こう側の世界へ行ってしまう。

おれに言わせりゃギャンブルの手を借りなくても人生なんてもともと狂ってる。俺はそう思う。気をつけたほうがいい。いつ何が起こるかわからない。ギャンブルに手を出そうと出すまいと、俺もあんたも狂った人生の真っ只中にいるんだ、実際のところ。


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