日本一有名な名無し猫の謎を追う本『吾輩は猫である殺人事件』
吾輩は俳優である名前(代表作)はまだない。
というかそもそも仕事がない。仕事がないから、時間はある。
小晦日から大晦日、元旦ふくめの三ヶ日、五日丸々実家に帰る。
しかし、帰ったとてすることはない。仕方がないから本を読む。
『吾輩は猫である殺人事件』
ちなみに『吾輩は猫である』を知っているだろうか?
「吾輩は猫である。名前はまだない」から始まるアレである。
ではこれを最後まで読んだものはどれほどいるだろうか。いないだろう。多分あなたは読んでいない。私も読んでいない。
名無し猫を飼っている英語教師の名前を知っているだろうか。珍野苦沙弥というふざけた名前だ。
最後の一文を知っているだろうか?
名無し猫は盆に乗っかったビールを舐めて、酔っ払い、足を滑らして水がめに落ち、そのまま溺れ死ぬ。溺死である。
桑原桑原、南無南無、若尼若尼。
『吾輩は猫である殺人事件』
上海!シャンハイ!Shàng Hǎi!
名無し猫は生きていた!
水がめに落っこちた名無し猫は、輸送船”虞美人丸”にのせられ、海を隔てたイギリス租借地時代の上海へと流れつく。
腹も減って、日本への帰り道もない。途方に暮れてさまよってると足元に一枚の古新聞。
見出しの一文を読むとそこには・・・
『苦沙弥先生死す』
そこに現れたホームズ(に飼われた猫)とワトソン(に飼われた猫)のコンビ。
東シナ海を隔てたリモート捜査がはじまる。
手がかりはこの新聞記事と、名無し猫の脳裏に残る記憶のみ。
平凡な一教師の死の裏に隠された大事件の数々。
アヘン密輸工作、ロシア革命の陰謀、猫さらい。危険な動物実験。タイムトラベル。マッドサイエンティスト。
行手を阻む宿敵モリアーティー教授(と、彼に飼われた犬)の陰。
猫たちを襲うパスカヴィル家の狗。
謎が謎を呼ぶ大捜査の最中、アヘンを大量吸入しトリップする名無し猫。
夢と幻覚の中に見覚えのある女の姿。
彼女はいったい誰なのか、どうして忘れてしまったのか。
捜査の末、ホームズたちはこの事件の鍵を握る、最大の謎へと至る。
文体が漱石。すごい。
ミステリ、ハードボイルド、政治劇、SF、『夢十夜』を彷彿とさせる幻想文学を通った先のラブロマンス。ジャンルを軽々と飛び越える荒唐無稽な鬼作。
特筆すべきはストーリーだけではない。以下の一文を読んで欲しい。
漱石の文体なのだ。
著者奥泉光はこの600ページを超える大鬼作を全篇、漱石へのオマージュとコラージュで埋め尽くしてしまうと大挙を見事成し遂げた。
しかもそれは単なる漱石の模倣ではなくして、乱暴なほどに無理やり詰め込まれたストーリー展開を混ぜ込むことで、プリコラージュされた新たなる現代の傑作となっている。
”裸体のニャー”
良い言葉だ。
日常では出会わない言葉。紙の上にしか在りえない言葉。
こう言う言葉に出会うために、俺は本を読んでいる。
そうして吾輩も麦酒に酔い、足を滑らせ、溺れていく。
今この文章を書いている2024年3月1日12時42分現在、
未だ吾輩には仕事はない。時間だけがある。
「なぜ君には名前(代表作)がないのだろうか」
これは最上のミステリーである。俳優を志して数年あまり未だ解かれぬ謎である。
このまま迷宮入りしてしまうのだろうか。
残念ながら、吾輩の隣には幾多の謎を解き明かした名探偵ホームズも、最上の相談役ワトソンもいない。
男独り六畳間でたたずむのみである。
考えても答えは出ないから、昼からビールを飲み、こんな駄文を書く。
酔いに任せて、筆が滑り、余計なことまで書いてしまう。
気を抜くと、頭が地面にひっくり返って、眠りの水がめに落っこちてしまいそうだ。
まあ、それも悪くない。一眠り、溺れるとしよう。
あ〜あ〜、目が覚めたらウォン・カーウァイから仕事来ないかな〜
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