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【戦国】名将 大谷吉継

 歴史に名を連ねる大谷吉継。そして盟友石田三成、二人は昔から根強く庶民に愛されている。苦労しながらも天下を取った家康が人々から好かれるのはわかる。だが、この二人が、人々から好かれるのはなぜだろう?

 そこには真の友情の形があったからである。

 石田三成の盟友、大谷吉継は、ある時ハンセン病であることが発覚した。
顔の皮膚が弱ってきたため、布で顔を覆い隠していたらしい。
それでもいくさでは、輿に乗り、采配を振るっていたという。
周りからの信頼は厚かった。
吉継は豊臣秀吉から、
 
 「百万の軍の 指揮をとらせたい。」

と言われたほどの、智将でもある。石田三成とともに幼いころから秀吉の小姓として寵愛を受けていた。
秀吉の死後、多くの武将は、圧倒的な力を持つ家康に服従し始める。
家康も、天下取りという野望に向け、牙をむき始める。

 「秀頼のこと、くれぐれもよろしく頼む。」

そんな秀吉の遺言を、1年も経たないうちに破る家康を、石田光成は許せない。
石田三成は立ち上がった。

だが、力の差は歴然

三成の石高は20万石。
家康の石高は250万石。

兵力は石高に比例する。
それでも三成は打倒家康を決意する。
大谷吉継は、「家康を討つなど無謀だ、悪いがおれは家康につくぞ」と、友人の挙兵に反対し、三成の居城・佐和山城を後にする。しかし、その時かれの頭に浮かんだのはかつての「茶会の出来事」であった。

 秀吉が諸侯を集めて開いた茶会での出来事だ。
この茶会では茶椀を武将同士がまわし飲みする。秀吉が古今東西から集めた珍しい茶器をみなで楽しむための茶会である。
そこで、思わぬ事件がおきた。秀吉が特にお気に入りの茶碗に茶を淹れ、それを大谷に渡した。その時…
ハンセン病である吉継の皮膚の一部が、茶の中に落ちてしまったのだ!
武将の多くは、普段でさえ吉継の後の茶を飲むのを嫌がっていた。
吉継の後にまわってきたときは、飲む真似だけをして、武将たちは次に回した。
吉継は、茫然としたまま、減らないお茶が回っていくのをただじっとみていた…。
その体は小刻みに震えていた…。
武士にとって、恥=死である。大谷は屋敷で自決することを考えていた…。
そのとき、同席していた三成にその茶碗が回った。三成は…

 「拙者(せっしゃ)喉(のど)が渇き申した。」

と言うと、なみなみと茶が入った茶椀を受け取り、表情変えず一気に飲み干した。
 
 「結構な手前でござる」といってドンッと茶器を秀吉に戻す。

この時、二人の友情は真実のものとなった。
 それを思い出した大谷は足を止め、佐和山城に戻り、三成に言う。「三成!この命、お前にくれてやる、好きに使え!」二人は共に戦う決心をする。
友情のため。そして、自らの正義を守るため。
こうして二人は、関ヶ原において日本史上最大の戦いを繰り広げたのだった。

石田三成は孤独であっただろうか??勝てない戦いに挑み、多くの味方に裏切られて…それでも三成は幸せであったと思う。

心から信頼しあえる友人が一人でもいたから。

彼は笑って最後を迎えられたであろう。


歴史を学ぶ意義を考えると、未来への道しるべになるからだと言えると思います。日本人は豊かな自然と厳しい自然の狭間で日本人の日本人らしさたる心情を獲得してきました。その日本人がどのような歴史を歩んで今があるのかを知ることは、自分たちが何者なのかを知ることにも繋がると思います。