見出し画像

毒親回心録…?【春にして君を離れ/アガサ・クリスティー】

アガサ・クリスティーの本は人生初かもしれません。

この本を読むに至るきっかけは20年来の友人に恋愛の相談をしたことでした。
詳細は恥ずかしいので割愛しますが。ただ、相談の原因は自分(私)の性質とか気質にあるんじゃないの?と友人が一刀両断してくれたことで改善せねば…とググるうちにこの本に行き着きました。

ググったワードは「自己中 直し方」です。

※古い書籍ですのでネタバレ全開で書いてます。

ある中年女性が人生を振り返る

本書の内容としては、イギリス人の中年女性ジョーンが嫁いだ末娘の病状を確認しにバグダッドに行った帰り、豪雨によって数日間の足止めを食らってしまう。足止めによってすることの無くなったジョーンはこれまでの人生を振り返る。順風満帆で周囲からも好まれていたはずの自分の人生は…。

といった内容で中年女性の独白がひたすら続くのです。冒頭のきっかけが無かったら私も読まないでしょう。
ただこれが面白い。アガサ・クリスティー原作ですから1944年出版の大昔の小説が原作ですよ!それにも関わらず現代に通じる人の性質、気質を表現していて一気に読み切ってしまいました。
ある種、時代や環境が変わっても人そのものは大きく変わらないことをこの本自体が表しているのかもしれません。

自己中・思い込み・決めつけ・独りよがり

ジョーンは今なら毒親と評されるんじゃないでしょうか。

自分以外の人間に対して自分が自分をコントロールできるのと同様に「こうあるべき」と疑いなく考えています。夫に対しては「(夫の希望を無視して)この仕事をすべき」、子供に対しては「こう生きるべき、あんな人と付き合ってはいけない」、周囲の人に対しては「あの人は惨めな最期だった」などとこの本の残り3割くらいに至るまでずーっとこの調子です。

当然のことながら他人の人生を決める権利はないわけです。
これは作中でも触れられていて、自身の希望する仕事ができなかった夫が娘に対して「(不倫相手と結婚することになれば、結婚の制約と今の生活を捨てた相手は私のように)希望を失って生ける屍のように生きる」と娘に話す場面があります。
自分と他人は身体によって区切られているので、できるのは助言ぐらいなものと考えなければいけません。奪うだなんてもってのほかです。

こういった考え方はアドラー心理学を紹介する「嫌われる勇気」にも課題の分離という言葉で書かれています。

人は簡単に変われない

前項で挙げた自己中な自分とジョーンはついに向き合いました。
そして「なんてことをしていたんだろう」と後悔し、回心します。

この回心という言葉ですが、作中にも出ていて「回心は、神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す。」らしいです。聖人は必ず回心の瞬間を迎えるといい、後悔していたジョーンに対してその言葉がもたらされます。

で、旅の足止めも解消されて自分の家に急ぐわけですよ。「早く謝らなければ」と考えながら。
なんですが、夫と久方ぶりに顔を合わせる直前になって「私一人の勘違いだったんでは」と考えが浮かんでしまい、最後の最後はこれまでと全く同じ言葉を夫に返すシーンで終わります。

あ、変わらないのね。
というのが第一印象。非常に人間らしい想いの弱さ、意志の弱さが表現されていて、共感が止まりませんでした。

そう!かんたんに変わるわけないんですよ。ましてや人生を積み重ねてきた中年ですしね。
とはいえ、30代を迎えた私にとっては身につまされる話でありました。如何にこれまでの価値観からスイッチして、自分自身の価値観の幅を広げ続けることが人生においていつまでも必要か、ということですね。

最後に

私も「この人はこうすべき」までは行かないですけど「この人はこういう人」って思い込みはしてそうだなって思いました。

この本を読みつつ周りの人を思い浮かべて内面まで深く知れてるかっていうと一握りほどしかいなくて。それでも普段は「こういう人だろう」って前提を決めて動いているわけなのでジョーンと同じ不快感を周りに与えているかも知れません。こわ…。

考えすぎてもしょうがないところではあります。が、本書だとそこにも触れられているんですよ。
ということで、該当箇所、ジョーンが高校卒業時に送られた言葉を持って記事を締めることにします。

「安易な考え方をしてはいけませんよ。(中略)人生は真剣に生きるためにあるので、いい加減なごまかしでお茶を濁してはいけないのです。なかんずく、自己満足に陥ってはなりません」
「人生はね、ジョーン、不断の進歩の過程です。死んだ自己を踏石にして、より高いものへと進んでいくのです」

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?