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はじめまして、Mです。
30代♀ 2013年9月に学生として単身渡加した後に映像業界での仕事を経て永住権をゲット、約10年ほどバンクーバーに住んでます。
バンクーバーに関しては留学はともかく、長期にわたる移住に関する具体的な体験談をあまりみかけないので、備忘録を兼ねて誰かの役に立てれば…ということで、当時の自分が知りたかったことなどをメインに書いていこうと思います。
かんたんな経歴
私が日本で初めて就職したのは小規模な映像制作会社のD社でした。
3Dジェネラリスト(スペシャリストの反対語で要するに何でも屋)としての採用で、主な業務はゲームやパチンコ向けに3Dモデルを制作したり、アニメーションをつけたりすることでした。
実は働き出してわずか3日で日本における社会人の在り方に疑問を抱き始め、いろいろと調べているうちに海外移住という選択肢について考え始めましたが、実際に行動に移すまで3年ほどかかりました。
D社での勤務に半年ほど耐えたのちに今度はパチンコ向けに映像制作を行っている中規模のI社にジェネラリストとして転職しました。ここでの仕事はなんだかんだで楽しかったです。
何でも屋のジェネラリストなので、企画の案出しからプログラマーへデータを渡すまでのオーサリングまでの一連の作業を行うのですが、その中に「コンポジット」という作業がありました。その後、私は運よく海外帰りのコンポジターに会う機会に恵まれ「そうか、コンポジターとして海外へ行く手があったか!」とこの瞬間に海外へ行くことを強く決意したのを覚えています。
バンクーバーへ渡ったのは2013年9月で、VFX映像系の専門学校に通うためでした。期間は8ヶ月、そのうちの2ヶ月間はスタジオにてインターンを体験できるというプログラムで、私は2014年の4月からお邪魔させてもらっていたスタジオにそのまま就職しました。
当時、私はまだ20代だったのでワーホリビザを使おうと考えていましたが、ラッキーなことにスタジオからとんとん拍子で2年分のワークビザを出してもらえたので結局使わずじまいです。
2016年6月に無事に永住権を取得。ビザフリーになったので、その後はあちこちのスタジオをコンポジターとして渡り歩きながら働いていましたが、2020年5月に突然に癌になってしまったので治療に専念、寛解した2021年7月からジョブチェンジしてアニメーション業界でまったり働いています。
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