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マーク・トウェインの悪魔と戦争と羊

「いや、やっぱり羊なんだよ。しかも、仔羊なんだ」とサタンは言った。「たとえば戦争のときなどを見ろ。まったく羊そっくりじゃないか、バカバカしい!」

マーク・トウェインの『不思議な少年』という中篇を読んだ。

トウェイン最晩年の作品。

16世紀の一見平和な村の少年たちの前に美少年の姿をしたサタンがあらわれ、数々の不思議を行い、少年たちに遠い世界を見せて魅了しつつ、人間社会についての言語道断な見解を述べる。

魔女として火炙りにされる罪もない中年女に内心は気がとがめながらも石を投げたり、戦争になれば何のトクにもならないのに夢中で死にに行く大衆のことを「羊」だというサタン。

このサタンの言い草は、マーク・トウェインが感じていただろうに違いない人間社会への、とくに20世紀を迎えて間もない時代の西欧文明社会への、痛烈な批判なのだ。

「痛烈な批判」というのはクリシェであるけれど、これほど「痛烈な批判」という言葉があてはまる痛烈な批判もないだろうと思うくらい痛烈だ。

「戦争を煽るやつなんてのに、正しい人間、立派な人間なんてのは、いまだかつて一人としていなかった。…
いつも決まって声の大きなひと握りの連中が、戦争、戦争と大声で叫ぶ。すると、さすがに教会なども、はじめのうちこそ用心深く反対を言う。それから国民の大多数もだ…

もちろん戦争反対の、これも少数だが立派な人たちはね、言論や文章で反対理由を論じるだろうよ。そしてはじめのうちは、それらに耳を傾けるものもいれば、拍手を送るものもいる。だが、それもとうてい長くはつづかないね。なにしろ煽動屋のほうがはるかに声が大きいんだから。そして、やがては聴くものもいなくなり、人気も落ちてしまうというわけだよ。すると、まもなくまことに奇妙なことがはじまるのだな。

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まず戦争反対の弁士たちは石をもって演壇を追われる。そして、凶暴になった群衆の手で言論の自由は完全にくびり殺されてしまう。ところが、面白いのはだね、その凶暴な連中というのが、実は心の底では相変わらず石をもて追われた弁士たちと、まったく考えは同じなんだなーーーただそれを口に出して言う勇気がないだけさ。さて、そうなると、もう全国民、そう、教会でも含めてだが、それらがいっせいに戦争、戦争と叫びだす。そして、あえて口を開く正義の士でもいようものなら、たちまち蛮声を張り上げて、襲いかかるわけだね。まもなくこういう人々も沈黙してしまう。あとは政治家どもが安価な嘘をでっち上げるだけさ。まず被侵略国の悪宣伝をやる。国民は国民でうしろめたさがあるせいか、その気休めに、それらの嘘をよろこんで迎えるのだ。
マーク・トウェイン『不思議な少年』中野好夫訳 (岩波文庫)

どうでしょうか。あまりの正確さに声も出ない。

この小説の初版が出たのは1916年なのである。今からちょうど百年ほど前。

それはまだ第一次世界大戦のさなかであり、ナチスが結成されるよりも数年前なのだ。世界はまだ核兵器も知らないし、ホロコーストも知らなかった。アメリカはまだ帝国の仲間入りをしたばかりの新興勢力だった。

このあと、20世紀の歴史を通して、ヨーロッパでも日本でもアメリカでもこのサタンが言ったとおりのことが、そのまんま実現していく。

あとがきによると、トウェインは最晩年にかけてこの中篇を何度も書き直しては途中でやめ、3種類の原稿が残っているという。この訳本の原本であるテキストは2種類の原稿をつぎはぎした上に編集者が大幅に手を加え、キリスト教会について批判的な部分をごっそり削ってしまったのだそうだ。

それでも教会についての批判がすっかり姿を消したわけではなく、よく出版できたなあ、と思うほど痛烈ではある。1916年という時代はこういう作品を(しかも少年向けの小説として)受け入れるゆとりがあったのだろう。むしろ、もっと保守的だった1950年代のアメリカで初版だったら出版できなかったのではないかと思う。

文庫本のあとがきで亀井俊介氏はこの作品を「作者の晩年に到達したペシミズムを強烈にあらわす作品である」と言っている。

だけどこれはほんとうに「ペシミズム」なのか。

鋭い洞察力と知性と感性を持った作家が、これから来るであろう世の中に対して正直なところ持つことのできた唯一の反応だったのではないかとわたしは思う。

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同時代のペシミズムというと、この1916年という年に世を去ったもうひとりの文豪、夏目漱石のことを連想せずにいられない。

漱石の文明論、『門』や『明暗』もペシミズムといわれているけれど。

漱石先生は小説の中でトウェインのサタンほど過激に語りはしなかったけれど、明治44年(1911年)の講演『現代日本の開化』では、「日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります」とハッキリ言っている。

「戦争(注:日露戦争のこと)以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすれば出来るものだと思います」
夏目漱石 『現代日本の開化』(岩波文庫『’漱石文明論集』)

この講演で漱石は、日露戦争に勝って浮かれているけれども実は国力などまるでなく、内と外が分裂して空虚で不安な日本の姿を悲しくも冷徹な洞察力で見通し、嘆息している。

漱石もトウェインも、ただ単に、その後100年の自国と人類がたどる道をあまりにもくっきりと見てしまっただけではなかったのか。



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