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嘘を見つめる日

「エイプリルフール」。

子どもの頃は“どんな嘘をついてまわりを驚かそう”と、一日中わくわくしていました。

大抵はくすっと笑えるような、小さい嘘ばかり。
何を言ったのかも言われたのかも、覚えていないくらいです。

思いついた嘘を渾身の演技で言ってみては、お互いにすぐ見抜いて

「分かった?」
「分かるよ、ばればれ」

と笑い合っていました。

私もまわりも、「ついてはいけない嘘」をきちんと分かっていて、安心して相手の嘘を受け止めることができました。

内容は忘れてしまっても、嘘を見抜かれたあとの、まわりの人たちの笑った顔はなぜか忘れずにいます。


年齢を重ねるにつれて、嘘をつく行為が体に馴染むようになってしまいました。

その場の空気を優先して、本音を隠したり。
苦手な人にも笑顔で対応したり。
嫌なことも「分かりました」と飲み込んで、違和感を無かったことにしたり......。

相手を気持ちよくさせるために、嘘が必要になることもあります。

建前だったり、定型文の挨拶だとしても、それが社会においての最低限のマナーで、世の中を渡るには必要なスキルです。

何かを守るために、嘘をつくこともあります。

本音だけでぶつかって、お互いに傷の数を増やすよりも、時にはぐっとこらえて、折り合いをつけ、妥協することが良い方向に繋がることもあります。

相手に悪い方で何かを伝える時には、ストレートに伝えてお互いに嫌な気持ちを残すより、言い方を変えて、多少の嘘を織り交ぜながら相手に聞き入れてもらいやすくする必要があったりもします。




仕方なくついた嘘がある一方で、自分が弱くてついてしまう嘘があります。

怒られたくなくて、失敗を隠したこともありました。

嫌われたくなくて、演じたこともありました。

ややこしい事態を避けるために、事実を曲げたこともありました。

「あなたもそう思うでしょ?」
そう問いかけられ、「はい」と従ってしまったこともありました。


笑えない嘘を、いつの間にか、重ねてばかり。

本音だけで生きることは難しいです。

でも、本音を隠して生きるのも辛い。

嘘をついていながら、嘘をつかれるのはとても悲しい。

相手の嘘を疑っては、怯えてばかりいます。

嘘を避けながら嘘に頼って
嘘を嫌いながら嘘を好んでいる

矛盾している、自分の気持ち。

嘘が良いものか悪いものか、私には答えが出せません。

でも、もしも
嘘をつかずに真っさらな心でいられたら……。



このnoteでは、できるだけ本音のままに書いているつもりです。
無意識についている嘘もあるかもしれませんが、“嘘をつきたくない”と思っています。

他人と関わっている以上は本音を100%はき出すことは難しく、どうしても自分を装ってしまいます。
でも、素直になりたいと思える場所、それが私にとってはこのnoteです。


読んでくださるすべての方々に感謝を込めて。



2023.04.02 朝

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