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失われていくもの。だが。

好きだったお店が潰れてしまったり、好きだった建物が壊されてしまったりする。時間は流れ、全ての物事は変わっていくことは自覚している。
いつまでも同じものなどない。
変化していくこと、失われていくものに寂しさを感じるが、変わっていくことは必然。そういうことを受け入れていくことが生きていくということでもあるだろう。「さよならだけが人生だ」という言葉を噛み締めながら、
時の流れを感じて今日も生きていく。

しかし、だ。

そうした好きだった店や建物が壊された後に、とんでもなく安っぽいビルが建ったり、1ミリでも細かく分譲して売りさばいてやろうと言わんばかりの住宅が建ったりする。あからさまに浅ましい経済や商売やふわふわとしたお金の匂いが漂う建物を目の当たりにして、僕は本当にがっかりする。絶望する。
なんて貧乏な社会なんだろう、と。
本当に僕らの社会の貧しさを実感する。

僕は雑多な街が大好きだ。
人々の営みが何十年も積み重なって層のようになった建物や街が好きだ。
ごちゃごちゃしてカオスになったような街が好きだ。
そういう街を残せることが豊かさなのではないかと思っている。
でもそうした僕の感覚は日々否定されている。
僕は古いものはとにかく残せ、という懐古趣味で言っているのではない。
そうした「いい感じ」の街や通りを押し潰して整理した後に出現する目先の儲けのことだけ考えて作られたようなビルや、公園という名の牢屋みたいに管理されたスペースがたまらなく嫌なのだ。

気概のある建築家が全力を込めて作ったクールな建築が押しつぶされ、
どれもこれも同じような外観のダサいビルが建てられる。
長年そこで営み、長い時間をかけてその人にしか出せない信頼と雰囲気によって生まれた素敵な店が立ち退きによって潰され、積み木のように組み立てられ無機質な家が建ち並ぶ。
この先の日本は観光資源しか収入源のない国になるのに、どんどんダサい建物が溢れていく。そのほんとんどは2LDKが何戸入るかの計算だけしてデザインされたか、「おしゃれな感じ」をいかに安く再現するかに精力を傾けたようなマンションや家。もはやデザインですらない。ただの箱、人が入るケースを積み上げているだけだ。
一部の人間の金儲けのためなら100年かけてできた森や木々さえも躊躇なく刈り取る社会なのだから、このような現状は無理もないか。
古いものを潰して新しいものを打ち立てるなら、100年先を見てその古いものを超えるような素晴らしいものを作るべきだ。
そんな気概をもっている人間がどれだけいるか。
せめて10年先を見てくれ、とも思うがそれも難しいか。
ならばいっそのこと何も建てないで更地にしてくれ。

どうして価値あるものを潰してわざわざ安っぽいものに変えてしまうのか。
この疑問と憤りを忘れずにいたい。


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