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4年を経て、アメリカ⑥

たった九日間ほどの今回のアメリカ滞在。
やることはたくさんあって1日ごとのスケジュールを時間単位で考えながら毎日過ごしていました。絶対にやらなくてはいけない予定を前半に組んでいて、それが順調に進んでいたので、少し余裕もできていました。
会いたかった人たちに会い、聞きたかった話を聞きました。

今、アメリカはどうなっているのか。どう感じているのか。
会う人会う人に率直に聞いてみました。
日本ではあまり政治や社会情勢のことについて、色々な人と話をする機会はありません。もちろんアメリカだからといって不躾に相手の思想信条を聞くのは失礼だと思います。常識的な気遣いや人付き合いのマナーは日本でもアメリカでも同じだと思っています。「海外の人は率直だから」とズケズケと接するのはやはり品がないように感じます。
そんなわけで相手の様子や表情を見ながら、政治の話や国際情勢の話や経済の話を聞いてみると、誰に聞いてもちゃんとその人の意見を話してくれました。そして話せば話すほど盛り上がっていきます。「政治の話とかしすぎると引かれてしまうよな」という心配は日本では常にしてしまいますが、アメリカでは何というか自然でした。これは前から感じていたことでしたが、それは変わっていませんでした。

コロナ、インフレ、差別やヘイト、大統領選挙、LGBTQ、戦争、メディア、などなど。たくさんのことを話しました。
今のアメリカの社会の困難さや難しさ、ということについて僕は個人的に様々考えていることがたくさんあったのですが、それについても友人たちの考えを聞くことができました。いわゆるZ世代の人もいればもっと年上の人もいます。今回そんな話をゆっくりできたのは10数人の友人たちなので、それが全ての人たちの意見とは言えませんが、会話しながらゆっくり話ができたのはとても貴重な時間でした。
真面目なことを真面目に話す、というのは楽しさとは別の、とても充足した気持ちになります。会話や対話というのは人間にとってとても大切であり心を満たしてくれるものなのかもしれません。

音楽シーンの話も聞くことができました。
インフレはインディーズ音楽のみならず、メジャーシーンにも非常に困難さをもたらしているようです。物価が上がって報酬も上がる、なんていう良い話はないというのはアメリカでも同じのようです。
音楽やアートにとっては困難な時代かもしれませんが、困難なのはどの分野も同じなのでしょう。困難さを抱えていても人々は音楽を楽しみ、音楽を聴きながら踊るのです。なぜならそれが必要だからです。「必要だから」という感覚は今回の渡米で何度か感じたワードでした。僕らの国、日本において「必要だから」という理由で保たれているものはどのくらいあるのだろうか。「必要さ」よりもコスパやタイパが勝るような社会では感性や深みが失われていくのは残念だけど仕方ないのかもしれません。

宿の前で音楽を流しながら過ごしていると、ギターを背負ったおじさんが歩いていきました。「こんにちは」と声をかけると、彼は君たちはどこから来たの?と聞いてきました。僕らは日本から来たバンドなんですよと話すと、彼は「俺はこの通りの並びに住んでいて自宅にスタジオを持っているミュージシャンなんだ」と話してくれました。それはいいね!と伝えて僕らのCDを渡しました。「ありがとう!」と彼は嬉しそうに去っていきました。
数日後、また彼に会いました。彼は僕らに「CD聴いたよ!よかったよ!」と話してくれました。そして数時間後、僕らの宿の前を通り過ぎる小学生くらいの自転車に乗った女の子2人組が「あなたたちのビデオ見たよ。かっこよかったよ!」と自転車を止めて通りの向こうから叫んでくれました。
こういうことなんだよな、としみじみ思いました。
伝え合う、ということが標語のような軽いレベルではなく自然なレベルで血の通ったコミュニケーションとして存在できるかどうか。
これはとても大切なことだなと思いました。

続く

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