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【ボランティア編】ひとから言われたことって結構覚えているよね


こども達の話を聞いて、返答するときに、

一番に考えていたのは、

自分が同じ年ごろのときに、なんて言われたら嬉しかったんだろう、

安心できたんだろう、

ということだった。

それは内容についてではなく、言い方としてだ。


わたしは子供時代にかけられた言葉で、

嬉しいと基本的に思ったことがなかった。


なぜか、というのを説明するには、

時系列を追う必要がある。


まずは、幼少期、

まだ他人の言葉を素直に受け止められる時代に、

家庭内にて、ネガティブな言葉しか投げかけられなかった。

何をしても、何をやり遂げても、

「大学入試にはまだ足りないから、こんなもの評価に値しない」

ということに基づいた、ネガティブな内容だった。


次に、小学生になると、

外の世界でポジティブな言葉を投げかけてくれる大人もいたが、

わたし自身がもはや素直に受け止められなくなっていたので、

受け止め方が分からず、というか言葉自体を信じられず、

結果、可愛い態度がとれないので、

ネガティブな言葉に変化していくか、あるいは、無視をされることになる。


そして中高生になると、

もはや、人格自体が台本に基づいているので、

どういう評価や言葉をいただこうが、

本質的には全く無関心になっていた。

そして、このことは大人になっても続く。


こども達と接すると、

多かれ少なかれ、彼らもわたしの言葉を最初は疑ってかかる。

うわべだけの言葉ではないか、という警戒心だ。

結局、自分たちの本質を分かっておらず、

エゴで発言しているのではないか、と。


その気持ちは本当によく分かる。

だから素直に聞けないのである。

だから反抗的な発言になるのである。

本当にわたしのこと、分かった上で言っているのなら、

このぐらいの虚飾は見破れるよね?

こども達は意識的であれ、無意識であれ、

大人を試しているのだ。

・・・わたしもそうだったように。


わたしという人間の能力として、

相対して数分も話せば、その人の本音が見えてくる。

というか、これのせいで、

人との距離感や接し方に悩み続け、

もう他者と関わるのが嫌になったわけだが、

ボランティア先ではこの能力をフル稼働させた。


彼らは本音を絶対日本語で語らない。

母国語で語る。

なので、わたしは、

母国語で語る彼らに、

日本語で返答した。


「先生、○○語わかるの??」

分かるわけがない。

当時、日本から一歩も出たことはなかったのだから。

ただ、この時、わたしは期せずして、

わたしが相手と話をするときに、

言葉なんてほとんど聞いていなくて、

その人のまとう空気や表情から読み取れるものと会話をしていた、

そういう事実を改めて突き付けられた。


この出来事は、

わたしにとっても衝撃だったが、彼らにとっても衝撃だった。

「○○語わかるの??」

に対しては、もちろん笑顔で濁した。

わざわざカラクリを語る必要もないだろう(笑)。

ただ、相手の本質、本音を考え、

その本質に沿った言い方、

相手が受け止められる言い方で、

社会的に正しい内容を諭していった。


わたしは上司時代に、

会社の方針や店舗運営について部下に語ったが、

そのどれについても部下に響いたことはなかった。

どうしたら伝わるのか、

この時その壁の乗り越え方が、全く分からなかった。

なぜなら、それまでのコミュニケーションにおいて、

自分の言葉を相手に伝えようなんてことは、

考えたこともなかったからだ。


こども達と接する中で、

初めてわたしの言葉は意味を成したように思う。

相手が受け止めたというのが、

相手の返答がなくても、

はっきりと見て取れたのだ。

「え?」

と思った。

いままで相手の反応が怖くて怖くて仕方なくて、

とてもじゃないけど目を見て話せず

ただただ言いっぱなしだったわたしが、

相手がわたしの言葉を受け止めて、

そして、ふっと空気が軽くなる様を目の当たりにして、

もっと見ていたいと思った。

単純に嬉しくて、

ちょっとはお役にたてたのかも、と

幸せを感じた。

その後、目線があって、二人でなんだか笑いあう。

そこには幸せしかなかった。


ボランティア編では、沢山の人脈を作る話が語られると、

そう思っていた方もいらっしゃるだろう。

確かに、沢山の大人たちとも出会い、本当に視野を広げていただいた。

大学生の子達とも交流し、今の子達が何を考えているのか、

そういうことも知ることができた。

ボランティアを始めるきっかけとなったものは、

勿論、そこに存在していた。

だけど、それについてはエッセイの趣旨に添わないような気がしている。


結局、自身の欲しかったものをくれたのは、

こども達だった。

彼らには感謝しかないし、幸せな人生を歩んでくださることを、

心より祈るばかりなのだ。

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