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「コップのお水」の話で救われた時代

他者に期待されると期待に応えたくて、評価されたくて、
いろんなことを頑張るのが昔の私だったように思う。
自虐的な発言で悪口を言うことを回避しようとしていた(過去の投稿参照)
私は、日常的に自分で自分のことを下げていたものだから、
本当に自分はつまらなくて、いいところがないのではないかと考えるようになっていた。
自分で自分を好きになってあげれなかったのだ。
加えて、性格上、いっちょ前にプライドが高かったものだから、
絶対に人前で自分が思う失敗をしたくなかった。
また、思春期だったのもあって、男子に「ださい」と思われたくなかったのだ。
常に他人の目を気にして、びくびくしながら、完璧主義にもなり切れず、
グーたらな自分を何とか動かしている状態だった。

そんな面倒な状態において、頭はクリアに次はこーしよう、あーしようと考え、その考えのまま体を動かしていたら、なんと体がついていかなくなってしまったのだ。

体がついていかないと驚くことに色んな体の部分に影響が出る。
その影響で全校朝礼等集団で集まったり、人が四方にいる状態が耐えられなくなってしまうなど、体の不調から精神の不調にまで発展してしまったのだ。

全校朝礼を抜け出して、保健室に避難するのが一般化してしまったある日、とうとうこらえられず泣きながら保健室で休んでいると先生が様子を見に来てくれたことがあった。
私が座っている椅子の近くに、先生も椅子を持ってきて、お話をしてくれた。

「例えば、ここにお水の入っているコップがあるとしよう。
コップはあなた自身で、お水はあなたが頑張っている物事ね。
コップってそれぞれに大きさがあって、お水とかが入るのに限度があると思うの。
そんなコップに例えられるあなたは、
常にいろんなことに挑戦したり、任されて取り組んだりしてるよね。
色んな事を頑張って、頑張って、頑張ってきたからあなたは、
その頑張ってきた分、つまりお水をたくさん、たくさん、たくさんコップに注いできた。
頑張り屋さんのあなたに、コップに気づいたら水面張力ができたの。
水面張力ができたコップにお水をさらに足したらどうなると思う?
そう、こぼれちゃうよね。
こぼれて、こぼれて、こぼれても、お水を注ぎ続けたら、
コップが今度は割れてきてしまった。
今のあなたはそんな状態。
頑張って頑張って頑張ってきたから、疲れてしまったのよ。
よく頑張ったね。
だからちょっとお水を入れるのを休もう。
休むのが一番大事。
でも、休めないって思うなら水を入れる勢いを弱めてみようか。
そうしながら、コップを直してみようか。
コップを直しながら、いらないお水を捨てていこうか。
そしたら、コップに収まるお水の量になるよ。」

先生が言ってくれたこのお話は、精神的に不安定になっていた私が自分の状態を客観視するのに非常に役に立った。
ああ、自分って頑張ったんだなと。だから疲れちゃったのかなと。

自分を客観視できると人は強いもので、今までパニックになり、恐怖しか見えていなかった世界が、ただ存在している、単なる世界に戻る。
単なる世界において、自分がどう行動すれば、自分が最も良い状態になれるのかを冷静に分析することができる。

その保健室の日を境に、少しばかり自分を客観視できるようになった自分は、最悪な体調や現状において、表面上は平穏に過ごすことができるように立ち回ることができるようになった。
たくさんの人に助けていただき、迷惑を掛けながら。
コップはあの日どころかまだ直りきっていなくて、たまに決壊しかけるけれど、時間が解決してくれるとはよくいうもので、あの日よりも大分厚く、大きくなった。

保健室で先生が言ってくれたコップのお話はあの日の自分の救世主で、今の自分を支えるお話の一つだ。
先生にありがとうともう一度言いたい。
ありがとう。

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