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「個性」という言葉に振り回されてきた私が思うこと

そろそろ就活について考えなければと思っている今、私にとって「個性」というワードは最重要ワードの一つとして脳内に記録されている。

個性とは、それ以上に分割されることのできない、あるまとまりをもった全体であり、ある個体に備わる独自の本性である。と同時に、それによって、ある個体が他の個体からはっきりと区別されるようなものである。(引用:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))

自分が他人とどう違うのか、どういう存在なのかを理解することは、喫緊の課題であり、課題解決に日々苦戦を強いられている。この課題と向き合うにあたって、「個性」ってそもそもどういうものなのかを考えてみることにした。


年齢によって異なる個性

小さい頃は、他人と違う自分でいたくて、

小学校の高学年ごろから、みんなと同じ「普通の人」になりたくて、

大学生になるとみんなと違う自分を見つけようと躍起になって。

中学生のころ、友達に「個性があっていいね」と褒められたことがある。その言葉は明らかに、私を称賛したものであったし、何も他意を含んでいるものではなかった。しかし、人の話にうまく乗れず、「みんなと同じ、『普通の人』になりたい!」と常々思っていた私にとって、それはまるで、「あなたは普通の人じゃないよ(異物だよ)。」と言われてしまったように感じたのだった。

しかし、今大学生になって、「個性があるよね。あなたのここが面白いよね。」といわれると、自分を他者と差別化できる材料を見つけられたように、非常にうれしく感じる。

私にとって、個性という言葉は年齢によりその意味を変化させている。「個性」に一喜一憂し、いつの時代も、難題であることには変わりない言葉であるように感じている。

集団と個人によって異なる個性

また、年齢ではなく、集団でいるときと、個人として見られるときにおいても個性という言葉は、違ったものになる。

集団でいるとき、人は、特に日本人は、【皆と同じ】ということを好むように思う。自分だけが異なると、「和を乱してる」や「空気が読めない」と言われ、排除されるのではないかと不安になる。だから、多数と異なる人を「あいつは変だ」といって、異物を作り出し、自分自身を正当化し、守っているのではないかと思っている。

しかし、個人が強調されるときはどうだろう。

個人が強調されるとき、人はいかに自分が個性的であり、周りと異なるかを重視するのではないだろうか。

自己紹介でも、就職活動でも、いかに自分が他と異なり、秀でているか、魅力があるかを伝えようと躍起になり、周りと違う自分を表現する。

集団でいるときは「没個性」を好むのに、個人でいるとき、「個性」があることを目指す。個性は、その人の立場において、大きく変わってくるのだ。

迷子を作り出す言葉:「個性」

SUPER BEAVERの歌に「らしさ」という曲がある。

個性を出さなきゃいけない そういう流行りの無個性で

個性を出さなければいけないとすること自体が、逆にそれは無個性である。私はこの言葉に衝撃を受けた。個性ということばに縛られ、誰もが認める個性を出そうとすればするほど、自分が迷子になってしまうのだと感じた。

なぜ私が迷子になってしまっているように感じたのか。

私は2つの理由を考えた。

1つ目に、その個性を持つ目的が、他者に差別化してもらうためであり、自分のためではないからだ。

僕らは変わっていく 守りたいものが変わっていく
理解されない宝物から 理解されるための建前へ

個性を求めるときとはどんな時だろうと考えた。

それは、自分が他と違うのだと証明しなければいけないように感じる時ではないかと思う。

先ほど挙げた自己紹介や就活は、いかに自分という人間が面白く、魅力的であるかを表現しなければならないものなのではないかと思う。それは、他者に「面白い」と思ってもらえるようなものを個性として出さなければならないのではないか。そうすると必然的に、理解してもらえる個性を持ってこようとしてしまう。

だからこそ自分とずれてしまうし、それによって迷子事件が発生するのではないか。

2つ目に、個性とはそもそも持とうとして持つものではないからだ。

自分が理想とする個性を持とうとするから、本来の自分と乖離してしまい、迷子になってしまうのだ。

個性ってなんだ!

これら二点について、私が最も共感した歌詞がある。

自分らしさってなんだ? 「人とは違う」で差をつけろ
コンビニの雑誌コーナー 表紙に太字で書いてあった

コンビニで目にした太字を 気にしてたんだろう?
でもね それでもね 見えるものに気付いてよ

この歌詞において、「見えるものに気づいてよ」という言葉がある。この言葉を見て思ったのは、個性は、もともと持っている何かであり、探す対象ではないのだ。誰かに理解してもらうものでもなく、ただ自分を構成しているものを個性というのだと思った。

私は、なんとか人目を惹く個性を持とうとしてしまうため、自分と自分の理想の個性がずれてしまっているのだと気づいた。どんな個性でも、私の伝え方次第で私の魅力を最大限に表現することができるのだと思った。

だから 僕は僕らしく そして 君は君らしくって
始めから 探すような ものではないんだと思うんだ
僕は君じゃないし 君も僕じゃないから
すれ違う 手を繋ぐ そこには愛だって生まれる

就活を考え始め、また、日常において、すごい個性、魅力的な個性が欲しいと考えていたが、個性とは、誰かに評価されるために持っているものではなく、自分の中に知らぬ間に存在しているものだと思った。その自分の個性をいかに大事にしてあげられているかが、他者からの自分の評価にもつながる気がした。

参考:Super Beaver らしさ

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