**.叶えた夢を自分の手で消した男の話.**
できっこないをーやらなくちゃー!
はい、どうも。わたしです。
今日もカウンセリングトークです。
最近はふとした瞬間カウンセラーさんしてることが多いです。
このケースを参考に、自分もそうなっちゃうかも…とか、
どうしたらよかったのかな?
もしかしたら幸せになれたんじゃないか?
とか、自分の想いとか考え方の癖などを振り返ってみる機会にしてみて頂けたら幸いです。
もちろん一緒につらくなる必要はありませんよ!
登場するAさんを支える感覚で、少しずつ自分を重ねていくような…
そんな風に私も自己を癒しながら関わった案件でした。
**.Aさんはなぜ夢だった教師を諦めたのか.**
Aさんは夢だった教師になりました。
しかし、生徒の教師いびりで鬱を患い一度教師を辞めました。
でももう一度頑張ってみようと再度教鞭に立ちました。
自身がが学生の頃から続けていたスポーツの部活の副顧問になりました。
元々まじめで部長なども任されていたような人柄です。
同僚や生徒からの信頼も厚く、
「ああ、また戻ってこれたんだ。」
と、充実した毎日を送っていました。
少しずつ自信を取り戻してきたある日。
普段からあまり素行の良くない部員。
いつも部活開始時間になってからつるんでトイレに行くなど、部活の全体進行を妨げるような行動がしばしばみられていました。
まじめにやっている生徒の時間を奪ってはいけない。
そう思ったAさんは、
「部活が始まる時間は決まっているんだから、
予めトイレに行っていくことはできないのか?」
と指導しました。
すると、それが気に入らなかった数名の部員は教育委員のアンケートに対し
「部活の副顧問がトイレに行かせてくれない」
と記載し、虐待に敏感な今日の日本ですので問題に発展しました。
結局のところ。
調査に対し
同僚は「そんなことを言う先生ではない。」
他の部員は「そんな感じの言い方ではなかった。」
など事実を事実を伝えてくれる周囲の意見もありましたが、
Aさんは教師をやめてしまいました。
「やっぱり自分には無理だったよ」と。
**.本当に諦める必要があったのだろうか.**
私は、諦める必要なんてなかったのにと悔しくなりました。
皆さんはどう思いますか?
このご時世、残念ながら物事の是非関係なく個人の感情で真実が捻じ曲げられることが常です。
Aさんは「問題を起こしてしまった」と自分を責めました。
他人に手間をかけてしまった、不快な思いをさせてしまった、
もう自分のことを信頼してくれる人はいない
自分はやっぱり先生には向いていなかったんだ。
そう、思いました。
本当にAさんは自分を責めるべきだったと思いますか?
もちろん、自分がその立場だったら同じように考えたかもしれない。
自分の行動で他人が何かをしなければならない。
自分がちゃんとしていたら、他人の手を煩わせることはなかったのに。
誰かに不快な思いをさせないで済んだのに。
自分が、いなければ・・・
わかるよ。
私も、そうだった。
でも今の私があなたに言いたいことは
「ちゃんと信頼してくれた人がいたことが、
すごいことだったんじゃないのかな」
問題に自ら巻き込まれたいと思う人はいない。
でも、虐待を疑った調査に対し、
同僚や生徒はそれに反対し真実を告げた。
その発言で自身も不利益を被るかもしれないのに。
それは、あなたがすごくすごく頑張って勝ち取ってきた信頼の証だったんじゃないのかな。
足元をすくおうとしてくる人はどこにでもいる。
探し続ければいくらでもあり、気にしていたらきりがない。
ただ、支えてくれる人はそうそういない。
いることは本当にすごいことだと思うんだ。
「自分がだめだ、自分はできない」
そんな証拠を探すためにあなたは夢に戻ったわけじゃないでしょう?
ほんの少し視点が違えば、今結果は違ったんじゃないのかな。
**.諦めは裏切り。自分を信じることが最高の恩返し.**
反省することは大切なこと。
でも、割り切って反省しないことを選ぶことも大切なこと。
どちらを選ぶのも、自分自身で選択していいんです。
私も心の癖で、周囲が求めるように動いてしまうことが多かったので、それがとても難しいことはよくわかる。
怖いよね。苦しいよね。
でもね、一度巻き込まれた以上どちらに進んだって苦しいんだよ。
それなら、すぐに自分に向かう攻撃を受けるのではなく
自分を大切にしてみた結果の苦しさについても考えみてよかったのかもしれない。
「できない理由」を探しに戻ってしまったAさん。
もし信用してくれた人の言葉を信じて立ち止まり
「本当に自分が悪かった?」
「自分は間違ったことは言っていなかった」
と自分を信じていられたら
事実がしっかり認められ、素行の悪い生徒の成長に繋がったかもしれない。
ここまで信頼を得られていた自分に気付けていたら
過去を断ち切って、理想の自分に向かって進めていたかもしれない。
自身を持ったあなたに、周囲の人も救われることもあったでしょう。
そう思うと、わたしは本当に悔しかった。
過去の話としてこの出来事に向き合ったことは本当に悔しかった。
こんなに信頼されていたのに
あなたが、自分を信頼してなかったんだよ…。
**.絶対の正解は、自分の中にしか存在しない.**
法律だって変わるし
原理原則だって新しい発見があってひっくり返るかもしれない。
考える基準をどこにおくかで、正解と不正解が真逆になる。
それなら、自分に基準を持つことしかブレない方法はない。
他人の押し付ける正解を受け入れることが、優しいではないんだよ。
みんなそれぞれ自分なりの正解をもって生きているから、ぶつかることもある。でもそれは誰が間違ってたって話ではない。
だから、自分が間違っているわけでもない。
自分が間違っていると言われたら
見方を変えれば同じだけ相手が間違っている要素もある。
だからこそ、すぐに自分の中にダメじゃなく正解を見つけてみよう。
他人が正解だって気付けたら、立ち止まって考えられた自分が正解。
何一つ間違ってないんだよ。
私がAさんに対して感じたことは、そのようなことでした。
「本当に諦める必要があったのか」
私が決めることではないけれど
諦めないで進んでいける方法は、これから作っていけると思いました。
みなさんはどう思いましたか?
まだまだ私の心も未熟で一緒に自分を癒していくべきところも多いので、
たくさんの考え方が共有していけたら幸いです。
あなたの努力はみんなの宝物です。
つらさは、戦った努力の証だから。
私最近つらいと思ったら、最近は「ああ今頑張って向き合ってる」と思えるようになったよ。
**.私の中の絶対の正解.**
私の正解は「自分の心が楽だと感じられること」それが正解だと定義している。
よかったら自分なりの正解を考えてみてください。
参考に教えてくれると嬉しいです。
みんなの心が健やかでありますように。