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教員を増やす

妹尾昌俊さんの記事にインスパイアされたので久々に書きます。

教員一日当たりのコマ数

小学校では教員は大体一日当たりの5コマ程度は持っています。ちなみに

打ち合わせ8:15-
朝学習8:25-
1限8:40-9:25
2限9:3510:20
3限10:35-11:20
4限11:30-12:15
給食12:15-13:00
掃除13:00-13:15
5限13:25-14:10
6限14:15-15:05   その後会議など

 実際は週に25コマ程度のパターンが多いので、6時間授業のうち、1時間くらいは空きコマがあると考えてよいでしょう。ちなみに、子どもの休み時間ですが、宿題見たり、子どもと一緒に遊んだり、学習の準備したり、連絡帳の返事を書いたり・・・、教師は仕事をしています。給食や掃除も、基本的に子どもと一緒に行います。あと、1年生は下校指導も行います。会議もあります。仮に、空きコマなしで毎日5時間目まで授業があったとすると、14:30ごろには教室に戻ってこれます(帰りの会や下校指導、子どもとの会話等でそんなにすんなり職員室には戻ってこられません)。残り2時間15分、子どもを相手にする以外の業務時間があるとしましょう(ただし、そのうち45分間は休憩時間なので実質、仕事に充てられる時間は1時間30分です)。職員会議や児童の情報共有、テストの採点、成績処理、校務分掌の仕事、会計処理、物品発注、保護者との連絡など、あっという間に1時間30分使い果たし、たいていは就業時刻の16:45です(ちなみにこの時点で休憩時間の45分は取れていないので、実質8時間30分連続勤務ということになり、労基法的にちょっと不味いことになります)。以下、「学校における働き方改革に関する取組の徹底について(通知) 」(文科省HPより)

いろいろな改革を同時にやっていく必要はあるのだけれど、この通知のP36以降のような業務精選はもう一つ進んでいません(部活動は地域クラブへ移行したのはとても大きいですが)。教員の数を増やすまえに、きちんと業務の精選を行い、それでも減らせない仕事は、事務職や業務士を増やして対応するのがまず先のような気がします(この通知は今のところ、現場の管理職に浸透していないというのが私の印象です。登下校においてはそれが顕著で実際は保護者も交通指導員も学校の連絡しますし、実際歩いて登下校する限りは全く関知しないわけにはいかないですよね。本当に業務精選するならもう一つ踏み込んだ指針や指示、さらに法的な制度変更が必要であるように思います)。

そんなこんなで教材研究する時間は存在しない

 みなさん、お気づきだと思いますが、小学校教員が教材研究する時間は業務時間内にはほぼ、とれません。かといってしないわけにはいかないので、業務時間外や他の仕事を後回しにして業務時間内にしたり、まあいろいろです。家で研究することも多いです。当然、知識や技術、メンタリティをアップデートしていくためにはプライベートな時間をいかに削るかが要求されます(校内研修は少ない上に身になるものも少ないように思います)。

私たち教員に必要な技術と環境

 一方で、学習指導要領の内容やさまざまな先進的な意見から、子どもたちを「指導」するのではなく「ファシリテート」するということが大事だと言われています。ファシリテートするためには子ども一人一人のことをよりよく知り、その言葉に耳を傾け、向き合っていく必要があります。40人学級で1人の教師が子どもたちを「ファシリテート」するのは相当な経験と技術が必要で、アップデートできなさそうな教員が多数いる状況では現実的にはおそらくほとんど実現されないでしょう(そういう技術を大学でがっつり学ぶような時間があればまだ未来は明るいかもしれませんが)。

教員を増やす意義

 以上のことから、少なくとも子ども一人当たりの教員数は、今後、子どもたちが必要な資質能力を身に着けるための教育を行うためには必要条件のように思います。また、一人当たりのコマ数も減らす必要があると思います。そして教員ができるだけ子どものことを考える時間を増やし、教員としての資質をアップデートする時間を捻出する必要があります。これらの条件がそろって初めて教育として効果的に機能するのではないでしょうか。

少人数学級にこだわる必要はないのかもしれない

もう一つ、教員にとって今必要な資質があるとすれば、チームワークのような気がします。様々な子どもに対する視点を生かし、たくさんの大人で子どもを見守っていくような形が望ましいのかもしれません。それは、担任の先生との相性が悪かった時の緩衝にもなり、子どもの多様性を守ることにつながるように思います。

ちなみに娘の通っている幼稚園のシステム

・年少年中年長の異学年学級(お部屋と呼んでいます)
・担任を持っていないフリーの先生が沢山いる(担任の倍くらいはいる?)
・学級タイムは少なく、外遊びタイムがとても多い
・行事が運動会と作品展のみ

異学年の学級(お部屋と呼んでいます)で、年長さんは年少さんとペアを組んで過ごします。お部屋での活動では年少さんのサポートを年長さんがします。娘は好奇心が高い方で、自分のお部屋ではないこ子でも沢山名前を知っている子がいます。前にお部屋が一緒だった子ともたまにら遊んだりしているようです。一方で疲れたらお部屋に戻って本を読んだり、ちょっとしたおもちゃや楽器に触る場所があったり、砂場で黙々とお団子づくりをしたりしているようです。幼稚園だけあって、子どもが遊ぶ仕掛けが、他にもたくさんあり、長縄や鉄棒といった遊びを先生と一緒に行ったり(あくまで遊びの中で)、木登り(ルールを決めて強度もちぇっくしているようです)、小さい山小屋の遊具、なと、一人一人が居場所を見つけて過ごしていく時間が多いようです。このような中で、担任の先生とフリーの先生が連携して子どもたちの様子をみんなで見てくれているようです。子どもと大人の距離感、さらに子ども同士の距離感に多様性を認めているように見えます。一方、自由遊びが多い分、行事は最小限で、運動会、作品展のみです。しかし、これらの行事も子どもの考えが生かされるような工夫があります。運動会は、競技自体を子どもと先生で考える、作品展は自分たちでグループを作り、題材を選んで作るなど、子どもの主体性を育てる仕掛けがあります。

コロナ禍と行事の精選

一方、最近、わたしの勤めている学校の非常勤講師の方と「今年はいろいろゆとりがあっていい」と、話をしました。コロナ禍で行事が簡略化(運動会中心→2学年毎のスポーツフェスティバル、学芸会中止→ミニ作品展、野外宿泊学習→デイキャンプ)され、通知表が3枚から2枚になり、部活動もなくなりました。そうすると、私たちは子どもに寛容になれます(切実に!)。業務が多いとどんどん子どもに「やらせなければ!」という気持ちになり、「とりあえず形だけでもやっとこう」みたいなことが増えていきます。そうすると、(当然なのですが)子どもとゆっくり話をしたり、気持ちに寄り添ったりすることができなくなっていきます。先生と子どもの関係が悪くなり、そうなると、学級経営にも支障をきたし、保護者対応などにも追われると、さらにやることが増えるという悪循環なら生まれます。ここ数年、少しずつ業務の精選がすすんでは来てますが、今年は一気に進んだという実感があるのです。逆に言えば、少し前の学校現場は学級崩壊ならびに学校崩壊のリスクをかなり抱えていたことになります。ゆとりがない時に比べゆとりがあると、教師の心と子どもの心の距離は確実に縮まります。

学級行事と学校行事

そもそも学級レベルでも行事は沢山できます。学級活動の時間に係活動を活性化させ、子どもが自主的に活動する機会を増やします。学級レベルで、休み時間や学活の時間を利用してみんなで遊んだり見せあったりすることができます(みんなでドロケイ、手品タイム、折り紙タイム、ジェスチャーゲームなど、いろいろな係がイベントを催します。カレンダーに予定をいれていきます)。学校行事はどうしてもトップダウンになりがちなのに対し、学級行事は子どもの自由な考えが生かされて、一つ一つが大掛かりじゃないので(といっても子どもたちはポスターを作って一生懸命準備します)どんどん催されます。学校行事が多いとかえって学級行事をやる余裕がなくなり、スケジュール過多と緊張感から、先生も子どもも疲弊していきます。

教員を増やす前にすること、教員を増やす目的

前述の通り、学校業務のスクラップはまたまだこれからですが、コロナ禍で新たな兆しが見えつつあります。行事の精選をはじめ、様々な業務をら精選していきたい。その行き着く先は、教員一人一人が心身が健康な状態で子どもと関わること(週当たりのコマ数を減らすなどの対策が欲しい)、技術を持って教育に従事する(アップデートのための時間の確保したい)そして子ども一人一人の人格を尊重すること(一人一人に丁寧に関われる教室の人数にしたい)でありたい。