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#209 言葉の表現を侮るなかれ

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、言葉は使い方が超大事!という話をします。
仕事における様々なシーンでコミュニケーションが発生します。コミュニケーションが全く発生しない仕事の方がかなり少ないのではないでしょうか。

私は、入社5年目くらいの段階で、メンバーとしての仕事というよりも、自分がチームリーダーの立場でメンバーを動かして仕事をする経験に恵まれて、今はマネジメントの仕事をしています。

リーダーやマネージャーポジションで仕事をしていると、この「言葉の使い方」の重要性が身に沁みて理解できるようになり、以前、以下の記事でも詳細をご紹介しています。できるだけ「メンバーが誤解なく動けるための言葉の使い方」や「メンバー自身が自分の頭で考えるための問いの設定」ということに物凄く頭を使うようになりました。

これは、マネジメントレイヤーの上に行けば行くほど、マネジメントリーチが長くなり、直接的に自分が1から100まで中身を見てマネジメントするというスタイルが時間制約的に無理になってくるからです。

例えば、メンバーと話して、アウトプットのイメージについてすり合わせを行うための時間が週に100分あるとすれば、一人だけにお願いして作れるのであれば、その100分を丸々その人に使えますから、100分かけて期待するアウトプットのイメージを伝え、完成させていけばいいです。
しかし、自分のチームに10人のメンバーがいれば「100分÷10=10分」で、一人10分の時間を使って、アウトプットのイメージを伝えて完成させる必要が生じますから、できるだけ無駄を省いて、端的に理解できる言葉、自分たちで深めることができる問いの設定力、その仕事を前向きに取り組んでもらうための言葉の表現が必要になってきます。

大きいプロジェクトでは、自分の管理下のメンバーが100人を超える時もありますから、そうなると100分を100で割るのではなく、配下の小チームリーダーを通じて間接的に全メンバーに仕事をお願いするシーンもあります。

そうなると、自分の言葉が、伝言ゲームの過程でどのように変化するのか、どう受け止められるかを考慮しながら、言葉を選んで仕事をお願いする必要があるため、より表現力に注意を払うことが求められてきます。

ここまではリーダーやマネジメントポジションにおける「言葉の表現力」の重要性を改めて振り返りましたが、そのようなポジションだけでなく全ての人にとって「言葉の表現力はとても大事なのです!」という話をしていきます。


「理解」は言葉の表現に出る

これは、仕事をお願いする立場になるとよく分かるのですが、自分がお願いした仕事を相手に復唱してもらうことで、どれだけ相手に伝わっているかが顕著に出ます。
自分が管理者として、組織長との他の管理者が集まる定例の場に出席することもよくありますが、組織長のオーダーに対して他の管理者が応対しているやり取りを横目で見ながら、「ん?この人は組織長の意図を正しく受け取れていないぞ」とか「このまま次回にやりました!と報告しても、噛み合ってないから絶対この宿題終わらないぞ」と感じることがあります。

自分のメンバーの進捗報告を受けるような場面でも、ふわっとした言葉でしか報告ができていない人は、その仕事の進め方をきちんと自分の頭で理解して、具体的な進め方のイメージを持って進められていないことも多い。
当たり前ですが、自分が理解できていないものは当然「言葉」にはできないわけですから、「言葉」として表現されているものが、なんだかズレていたり、そもそもそこで言及されていないものであれば、それは「正しく理解できていないもの」ということになります。

また、報告されている内容や、議事録などに作文されているものに対して、何かを指摘した時に「それは内容の根幹にかかるコアな問題ではなくて、表現上の軽微な問題です」とのレスポンスを受けることもしばしばあります。

でも、私はそれは違うという意見で、そこにそういう表現として出てきているということであれば、それを書いた人はそういう理解をしているということです。
もし、上手くマッチする言葉が見つからなかったのであれば、「言葉が持つパワー」を理解して、言葉の使い方により注意を払えるようになる方が良いと考えます。
なぜならば、冒頭で触れた通り、必ずしもリーダーの立場でなくても、そこで発した言葉が第三者に伝わり、第三者はそのように受け止められてしまう可能性があるからです。

例えば、「この仕事はいついつまでに顧客の”承認”を取ります」という報告を受けたとします。でも、その仕事の性質から言って、顧客に内容の"確認"をしてもらう必要はあるけれど"承認"行為を求める必要はない。この場合、その言葉を発した人は、本当に"承認"が必要だと理解していたかもしれないし、"確認"してもらうことを意図して"承認"という言葉を使っている可能性がある

それを放置すると、同じ表現で顧客に承認行為を求めて「いやいや私たちは確認はするけど承認はしませんよ」と揉める可能性もあるし、同じチームの他メンバーも「この仕事は顧客の"承認"が発生するのか」と誤解される可能性があります。

だから、"承認"ではなく"確認"だよね、という指摘を入れるわけですが、「それは表現の問題なので大した話ではありません」と返されると、「ああ、この人は言葉の表現の大切さを理解していないな」と感じるわけです。

伝え方で損をしている人があまりに多い

もう一つ指摘できることは、本人はそこまで悪意があるわけではないのに「言葉の使い方一つで損をしている人がめちゃくちゃ多い」ということです。

よくあるパターンの一つが、余計なことを言ってしまう人。
「林さんもご存知かもしれませんが、AはBということを表しています」と説明する人と、「林さんはこのプロジェクトに入ったばかりだから知らないかもしれませんが、AはBということを表しています」と説明する人。

この枕詞の違いがもたらす聞き手への微妙なニュアンスの違いが伝わりますかね?

共にAはBです、ということを言っていて、その「前提知識についてすでに知っているかもしれないけれど」ということを言っているわけですが、何となく後者の方が嫌味な感じに聞こえませんか?

異なる二人の人がコミュニケーションをするにあたって、そのコミュニケーションを通じて達成したいことがあるはずで、それをお互い気持ちよく進めて成果を出していくためには、できるだけ相手に気持ちよく動いてもらう伝え方の方がいいわけです。
なのに、余計なことを言ってしまったり、伝え方に何となく嫌味なニュアンスを入れてしまうことで、相手が感情的に引っかかってしまい、気持ちよくその話の内容を受け入れることができなくなる。

本当にクレームを言いたい時には、クレームの内容を冷静に伝えればいいわけで、毎回の会話の中で、相手の心をえぐるナイフのような表現をイチイチ入れる必要はありません。
伝え方に無頓着で、こういう表現を意図せずしてしまっている人もいるのかと思いますが、明らかに周囲からすれば「この人と一緒に仕事したくないな」と思わせるばかりなので、かなりの損をしていると認識した方が良いのでは?と考えます。

逆に、そういう人が周囲にいて、コミュニケーションにハードルを感じているのであれば、「その人は無意識にそういう表現を使ってしまう人だ」と捉えて、そのコミュニケーションの中身だけに集中して、淡々と「能面テンプレレスポンス」を貫くだけです。
「能面テンプレレスポンス」は、相手の言葉の枝葉の部分には全く触れずに「○○の件について、承知いたしました。よろしくお願いいたします」とテンプレメールで回答する作戦です。

メールを開くことすら躊躇われる、表現に無頓着な人たちは一定数存在しますから、自分の心に能面を被せてテンプレで回答する。That's all!です。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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