【今でしょ!note#62】 責任回避からは何も生まれない
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
皆さんの周囲には、責任回避のための言い訳ばかりが達者な人はいないでしょうか?何かを聞いているだけなのに、まず言い訳から入る人。
私がこれまで生きてきた中で、相当数見てきたので、これだけの確率でいるのであれば、おそらく皆さんも一人は思い当たる人がいるのではないでしょうか。
正直、言い訳ばかり上手な人と話してもネガティブなことしかないので、私は基本無視なスタンスなのですが、あまりにこの手の人が蔓延していて、こんなことしてるから日本のGDP伸びないんじゃないか?て感じることが多いです。
言い訳じゃなくもっとポジティブな会話を増やしていこうぜ!という想いも込めて、考えていることを記しておきます。
責任回避だけが上手くて一定の地位についた人
私の仮説ですが、責任回避だけが上手い人は、ある程度の地位についている人に多いと感じます。
おそらく口達者なので、組織の中でもある程度いい感じにアピールして、ある程度のところまでは昇進してきた人なのでしょう。
言い訳ばかりが上手な人って、よくそんなに次から次へと言い訳や嫌味が出てくるなと正直感心します。
「〜が遅れたから、自分の作業も影響を受けて遅れた」「この部分は、誰々が確認することになっていて、自分の確認対象ではない」「この部分の考慮が漏れたのは、誰々からの情報展開がなかったからだ」・・・などなど、これまで浴びせられてきた言い訳の数々を挙げると、枚挙に暇がありません。
また、責任回避の延長線では、普通にできていないことや、お願いしたいことだけをシンプルに伝えれば良いのに、余計な嫌味を言わないとすまないタイプの人もいます。
「この部分ができていない」と伝えれば良いだけの話を「この部分が全くできていない」と大袈裟に表現したり、余計な副詞をつけたがる種別の人たちです。
言い訳ばかりが上手で手が動かない人や、余計な嫌味を言ってしまう人とは、もはや相手にしないのが一番だろうと思います。
おそらく、言い訳や嫌味が溢れる環境の中で過ごしてきて、それが当たり前の価値観になってしまっていると考えると、同情すら感じます。
一番良くないのは、言い訳や嫌味が当たり前という価値観に自分も染まってしまうことです。
誰かが一方的に悪い話というのはほとんどない
何かのトラブルが発生した時に、誰か一人だけに非があるとか、どちらか一方だけが悪いことってほとんどないと思います。
コミュニケーションミスを例に取っても、「言ったはずなのにやらなかった」「私は言いましたよ」みたいな話は、一見やらなかった方に責任の所在があるように聞こえますが、伝える側の伝え方は、ちゃんと伝わる言い方になっていたのか?伝わったことを確認するアクションはしていたのか、と深掘り始めると、実は「言ったほうの伝え方の方が責任がある」みたいなことも多いものです。
それを棚上げにして、「発注元と発注先」や「その仕事に取り組んでいる年数の長短」などの、ビジネスの関係性上、どうしても強い立場か弱い立場か、みたいなところに甘えて、事象をフラットに捉えられないのは、トラブル検証能力のレベルが低いのだと感じます。
経験の長さを武器にして、新しい人を排除するような雰囲気がある組織が持続可能な組織になるはずがないですよね。
そんな組織や事業には、誰も新しい人が入らなくなり、構成員の高齢化だけが進み、時代の流れをアップデートすることもなく、衰退に向かう路をたどっていくだけです。
言い訳や嫌味よりも、ポジティブな会話を
これだけは断言できるのは、言い訳や嫌味には、全く価値がないということです。
価値がないどころか、組織や事業に対してマイナスの影響しかないです。
言い訳や嫌味を聞いたところで、誰かがネガティブな気持ちになり、やる気が削がれるだけですよね。言い訳や嫌味からは何も生まれない。
仮に何かが起こって、誰かが少しでも非があると感じたならば、さっさとそれを認めて「じゃあどうするか?」を考えるチームの方が絶対に強いです。
トラブルが起きた時に、同じことが起きないように原因の解明と再発防止策の検討自体はもちろん必要な取り組みですが、必要以上に誰かを責めることに目的がすり替わっていないか?と感じることも多々あります。
また、「謝ったもん負け」みたいな、変なプライドとプライドの闘いみたいになりがちな構図も意味が分かりません。
謝る=非を認めることだから、絶対に謝らない、みたいな話は、全くもってポジティブではありません。
強い組織は、自己組織化しており、自分たち全体としてどのように良い方向に向かっていけるかを自分たちで考えられる組織です。
それをその構成員同士が、「これは私の責任ではありません」と躍起になっている光景は、もはや滑稽でもあります。
自分が知らないことを相手が知っているのであれば、そこは素直に尊敬するのが普通ではないでしょうか。相手が何かしてくれたことに対しては、素直に感謝をした方が気持ちいい。
どうしても、やってくれていることよりもできていないことが見えやすいので、できていないことを指摘するのはまぁ誰でもできるわけです。
そうではなく一見見つけにくい、「やってくれていること」に目を向け、それに対して感謝と尊敬を気持ちを示すことができる人を見ると、この人はプロだなぁと感じます。
このあたりは過去記事でも触れているので、ご興味あればご覧になってください。
ポジティブな会話が自然発生する環境に身を置こう
私は過去10年間、東南アジアの20代、30代前半を中心としたチームメンバーと一緒に仕事をしてきました。
私が彼ら・彼女らと仕事をしていてとても気持ちが良かったのは、若いこともあるのか、みんなベースがポジティブで、何か起こった時に、まず言い訳する人は、ほとんどいなかったことです。
(もちろん、どの国にも「言い訳口達者人間」はいますので、国や世代に分けて一括りにするつもりはありません)
素直にこれは自分ができていなかったことだと認め、次はどうしたら良いのか?という会話になるまでの時間が圧倒的に早いです。
あるコミュニティで「これは自分の責任ではない」とグジグジ押し付けあっている間に、別のコミュニティでは、既に次のアクションのことを考えて実行している。
それが、地域なり、国単位になってくると、全体の成長幅や成長スピードの違いに顕著になって表れてくるのは、明らかでしょう。
日本がこの30年間成長停滞した理由は、この言い訳・他責文化に一因があると考えており、少なくとも自分が影響を及ぼすことができる自分のコミュニティに対しては、それは普通に考えておかしいことでしょう、というスタンスを貫いていきたいです。
皆さんが所属するコミュニティが言い訳や嫌味に溢れた世界なのであれば、別の世界やコミュニティには、そうでない世界があることを身をもって感じようとすることをおすすめします。
全く別の価値観があり、一度そういう世界を知ってしまうと、言い訳と嫌味に溢れた世界がどれだけ馬鹿らしい環境なのかと実感できます。
何より回避したいのは、自分が言い訳・嫌味人間に染まってしまうこと。
ポジティブな環境に自分を置くことが、人生の充実感、仕事の充実感に必ず繋がります。
それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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